重治幻想譚
プロローグ 魂の旅路の始まり
京の町は晩秋の色を深めていた。西山の端に沈みゆく陽が、病床に伏す一人の武将の顔を淡く照らす。竹中重治――世に半兵衛と呼ばれた男である。齢三十六。戦国の世にあってはまだ若いといえる年であったが、病はその才気を蝕み、もはや立ち上がる力も残されてはいなかった。
彼は静かに目を閉じ、遠い日の記憶を辿る。思い返すのは、美濃国の稲葉山城――金華山の頂に聳え立つ難攻不落の要害である。斎藤氏の居城として知られ、織田信長すら攻めあぐねた堅城であった。重治はわずかな兵でこの城を奪い取った。血を流さず、智謀と静けさで勝利を収めたその夜を、彼は「攻城の美学」と呼んだ。
「――あれは攻城の美学の体現であった。もう一度、あのような戦をしたかった。」
かすれた声で呟き、やがて彼は静かに息を引き取った。だが、その魂は地に留まった。稲葉山城の夜に見たあの形を、もう一度求めるために。肉体を失った魂は風のように漂い、時代を越え、人の胸に宿りながら「攻めの美学」を探し続ける旅へと踏み出した。
こうして、竹中重治の魂の旅路が始まる。
第一話 稲葉山城奪取 ― 静けさの美学
京の町の座敷で、竹中重治は病床に伏していた。痩せた指が布団の端を掴み、浅い呼吸が畳の目を震わせる。西山の端に沈みゆく陽が、彼の頬を淡く照らす。意識は揺れ、やがて冷たい風が胸を抜けた。魂は過去へと引き戻される。
美濃国、金華山。頂に聳える稲葉山城。斎藤氏の居城であり、難攻不落と謳われた要害である。斎藤道三が「美濃の蝮」と恐れられた智謀をもって国を治め、その後を義龍、さらに若き龍興が継いだ。しかし龍興は政治に疎く、家臣を軽んじ、国衆の心は離れていった。重治はその姿に心を痛めていた。
彼は武勇よりも智謀を尊び、無益な戦を嫌った。だが、龍興の放縦は国を危うくし、諫言も届かぬ。そこで重治は決意した。己が策をもって主君に警鐘を鳴らす、と。
永禄七年の深夜。月は薄く、雲は流れ、松の梢が擦れ合う音が低く続いた。重治は十数名の手勢を選び、暗い衣をまとわせ、山の腹を縫うように登らせた。城門を守る兵に近づくと、彼は胸に手を当て、低い声で名乗った。
「――美濃竹中、半兵衛重治。急用である。上に伝えよ。」
門番は名を知っていた。病弱にして才あり、主君に諫めを重ねる者。その名は鍵であった。疑いを逆に薄め、閂は外された。重治とその兵は音もなく城内へ滑り込んだ。
番所の火縄は抜かれ、井戸の蓋は押さえられ、倉の矢は束ねられた。人の心を揺さぶる秩序が、夜の城に広がった。誰も叫ばず、血も匂わず、鍔鳴りの音もなく。城は落ちた。落ちたといっても、石は昨日と同じ場所にあり、違っていたのは心の置き場所だけだった。
翌朝、斎藤龍興は城を取り戻した。重治は城を奪い、そして返した。奪い返すことで、諫めを目に見える形にしたのである。
「殿。城は人が守るもので、石が守るのではない。石は人の心が載ってはじめて堅くなる。心が離れれば、石はただの重さだ。」
龍興は顔を赤くし、目を逸らした。重治は静かに城を去った。
病床の重治は、その記憶を反芻し、かすれた声で呟いた。
「――あれは攻城の美学の体現であった。静けさこそ、美学の形であった。」
やがて彼は目を閉じた。魂は過去から戻り、次なる宿り先を探し始める。
第二話 炎の中の幻影 ― 本能寺から山崎へ
京の町に夜が降りていた。竹中重治の肉体はすでに病床で果てたが、その魂はまだ地に留まっていた。稲葉山城の夜に見た「静けさの美学」をもう一度求めるために。魂は風のように漂い、時代を越え、人の胸に宿る機会を探していた。
天正十年六月二日。夜明け前の京はまだ眠っていた。だが東から軍勢が迫っていた。明智光秀の軍である。織田信長は天下統一の途上にあり、中国地方の毛利攻めのために兵を進めていた。その途上、京の本能寺に宿泊していた。わずかな供回りしかなく、城ではなく寺に身を置いていたため、守りは薄かった。
光秀は馬上で振り返り、軍勢に声を放った。
「敵は本能寺にあり!」
その瞬間、冷たい風が彼の胸を貫いた。竹中重治の魂である。声は光秀の口から発せられたが、その響きには別の男の影が宿っていた。智謀を尊び、静けさを美とした半兵衛の魂が、光秀の体に乗り移ったのだ。
光秀の瞳に、一瞬の迷いが走る。己の野心と、重治の美学がせめぎ合う。だが軍勢は進み、炎は寺を包んだ。信長は奮戦したが、多勢に無勢。やがて自ら火を放ち、堂内に消えた。天下布武を掲げた男の最期は、あまりに急で、あまりに孤独だった。
重治の魂はその光景を見届けながら、胸に冷たい空洞を覚えた。確かに「攻め」は成功した。だが、それは数万の兵をもって一人を囲む戦。智謀も静けさもなく、ただ力で押し潰すだけの戦だった。そこに美学はなかった。
「これでは足りぬ。これでは、美学には至らぬ。」
光秀の胸の奥で、重治の魂は呟いた。光秀は勝利を得たが、その勝利は粗雑で、短命なものだった。信長を討ったその瞬間から、天下は乱れ、光秀の立場は揺らぎ始める。
やがて、山崎の地に軍勢が集う。羽柴秀吉――後の豊臣秀吉が急ぎ中国から戻り、光秀を討たんとする。両軍は天王山を挟んで布陣した。六月十三日、山崎の合戦が始まる。秀吉の軍は勢いに乗り、光秀の軍は疲弊していた。戦は短く、光秀は敗走し、やがて落ち武者狩りに討たれた。
その戦場に、重治の魂もあった。光秀の胸に宿っていた魂は、敗走の瞬間に見切りをつけた。美学なき戦に留まる理由はない。重治は光秀を見捨て、戦場の炎の中に身を投じた。矢が飛び、槍が突き、兵が倒れる。彼はその中に溶け込み、討ち死にの声と共に散った。だが、魂は死なない。肉体を持たぬ彼は、ただ彷徨う。美学を求めて、形を求めて、戦の中を漂い続ける。
山崎の合戦は秀吉の勝利に終わり、光秀の夢は潰えた。だが重治の魂は満たされなかった。稲葉山城の夜に見たあの静けさ、あの智謀、あの無駄のない形。それをもう一度求めて、彼は戦場を離れ、時代の流れの中を漂い始める。美学を追い求める魂は、まだ行き場を見つけていない。
第三話 水に沈む幻影 ― 忍城攻め
竹中重治の魂は、なお彷徨っていた。稲葉山城で「静けさの美学」を体現し、本能寺で「智謀の欠如」に幻滅し、山崎で光秀を見捨てた。次に宿るべき胸を探し、魂は関東の地へと流れ着いた。
天正十八年。豊臣秀吉が天下を掌握しようとする中、北条氏を討つための大軍が関東へ進発した。その一翼を担ったのが石田三成である。冷徹に理を重んじ、秩序を尊び、戦をも「利」で裁こうとする男。その胸に、冷たい風が入り込んだ。竹中重治の魂である。
三成は武蔵国忍城を攻めていた。城は沼地に囲まれ、難攻不落と謳われた。兵を費やすより、水で城を沈める。三成はそう考えた。数万の人夫を動員し、荒川や利根川の水を引き入れるための巨大な堤防を築いた。石田堤――全長二十数キロに及ぶ土の壁が大地を覆った。
水は流れ、沼は広がり、城は湖の中に孤立した。三成は満足げにその光景を見た。重治の魂もまた、その胸の奥で息を潜めていた。水攻めは成功した。城は孤立し、兵糧も途絶え、やがて落ちるだろう。
だが、重治の魂は嘆いた。水攻めは確かに理にかなっている。だが、それは人の心を動かさない。智謀の妙もなく、静けさの美もない。あるのはただ「利の追求」だけ。城を沈める水の音は、戦の美学を奏でるものではなく、ただ自然の力を借りた破壊にすぎなかった。
「利の追求の戦はだめか……。」
重治の魂は胸の奥で呟いた。美学は形を求める。形とは、人の心を揺さぶる秩序であり、無駄を削った静けさである。だが水攻めは、ただ城を沈めるだけ。そこに形はなかった。
やがて、重治は決心した。終わらせるために、石田堤を決壊させる。水攻めを自ら崩し、戦を終わらせることで、美学なき戦を断ち切ろうとしたのだ。堤は破れ、水は引き、忍城はなお落ちずに抵抗を続けた。三成の策は完全には成功せず、城は最後まで持ちこたえた。だが、豊臣秀吉の本軍が小田原城を包囲し、やがて北条氏は降伏した。忍城もその余波で開城した。
重治の魂は小田原へ向かおうとした。天下の大軍が集い、北条氏の本拠が落ちるその場に、美学を見出せるかもしれないと考えたからだ。だが、小田原城はすでに落城していた。戦は終わり、城は静かに扉を開いていた。そこに美学はなかった。あるのはただ、力に屈した敗北の形だけ。重治は失望し、三成の胸を離れた。
「利の戦に、美学は宿らぬ。」
魂は再び彷徨う。稲葉山城の夜に見たあの静けさ、あの智謀、あの無駄のない形。それをもう一度求めて、彼は時代の流れの中を漂い続ける。美学を追い求める魂は、まだ行き場を見つけていない。
第四話 幻滅の講和 ― 大阪冬の陣
竹中重治の魂は、なお彷徨っていた。稲葉山城で「静けさの美学」を体現し、本能寺で「智謀の欠如」に幻滅し、忍城で「利の虚しさ」を嘆いた。だが心の奥では確信していた。「攻めの美学は、やはり城攻めにこそ宿る」と。城は人の心を映す器であり、攻める者と守る者の意志が交錯する舞台である。そこにこそ、美学は生まれる。魂はそう信じ、次なる舞台を探した。
慶長十九年。天下は徳川家康の手に収まりつつあった。だが、その支配に抗う者がいた。豊臣家である。秀吉の遺児・秀頼が大阪城に籠り、徳川に従わぬ姿勢を示した。大阪城は難攻不落と謳われた。石垣は高く、堀は深く、城下は広大で、兵糧も豊富。天下の大軍をもってしても容易には落ちぬとされた。
その時、冷たい風が家康の胸を抜けた。竹中重治の魂である。老将の胸に宿り、戦の指揮を見届けようとした。
冬の陣。徳川方は二十万を超える大軍を率い、大阪城を包囲した。城内には十万余の兵が籠り、豊臣方は必死に抗戦した。鉄砲の音が冬空に響き、火矢が堀を越え、雪に染まる血が地を赤くした。家康の胸に宿る重治の魂は、その戦を見つめた。城を攻める。守りを崩す。智謀を尽くす。そこに美学があるはずだった。
だが、戦は思うように進まなかった。大阪城の堅固さは想像を超えていた。外堀は広く、石垣は高く、攻め手は容易に近づけない。砲撃も矢も、城の壁に阻まれた。攻める者は疲れ、守る者は士気を高めた。重治の魂はその拮抗に美を見た。攻めと守りが均衡し、形を成す瞬間。だが、家康は別の道を選んだ。攻め続けるよりも、講和を結ぶことを望んだのである。
講和の条件は、外堀を埋めること。城の防御を削ぐことで、豊臣を弱らせる策であった。戦は終わり、城は落ちず、血の匂いは消えた。重治の魂はその結末に幻滅した。攻めの美学は、城を攻め抜くことでこそ輝く。講和は智謀ではあるが、美学ではない。そこに形はなく、ただ利と計算だけがあった。
「これでは、美学には至らぬ。」
重治の魂は呟き、家康の胸を離れた。大阪城はなお聳え、豊臣の命脈は続いた。だが、魂は満たされなかった。攻めの美学を求めて、彼は再び時代の流れの中を漂い始める。城を攻め抜く戦を、形ある美を、無駄のない静けさを――それを求めて、魂はまだ行き場を見つけていない。
第五話 突撃の果て ― 旅順要塞
竹中重治の魂は、長き彷徨の末に嘆いた。稲葉山城で「静けさの美学」を体現し、本能寺で「智謀の欠如」に幻滅し、忍城で「利の虚しさ」を嘆き、大阪城で「講和の幻滅」に失望した。幾度も試みたが、「日の本の国」での戦には、もはや美学を見出せぬのではないか――そう思ったのだ。
魂は風に乗り、時代を越え、海を渡った。辿り着いたのは明治の世、日露戦争の戦場。遼東半島の南端、旅順要塞。ロシア帝国の築いた難攻不落の砦である。砲台は山を覆い、鉄条網が谷を塞ぎ、要塞は近代兵器の力をもって守られていた。日本軍はこの要塞を落とすべく幾度も攻め、血を流し続けていた。
その総指揮を執るのが乃木希典であった。老将は沈黙を好み、兵を率いて幾度も突撃を命じた。その胸に、冷たい風が入り込んだ。竹中重治の魂である。智謀でも利でもなく、ただ「魂を懸けての突撃」こそ美学の極みであると、乃木の心に響いた。
砲声が轟き、地は震え、兵は前へ進む。鉄条網を切り裂き、砲弾の雨を浴びながら、兵たちは要塞へと突き進んだ。重治の魂はその光景に満足を覚えた。智謀の夜ではなく、利の計算でもなく、講和の幻滅でもなく、ただ命を懸けた突撃。そこにこそ、美学の形があった。
乃木の声が戦場に響く。
「突撃!」
その号令に、重治の魂は重なった。声は兵の胸を震わせ、足を前へと運ばせた。血が流れ、命が散る。だが、その瞬間にこそ、美学は輝いた。
「これこそ我が美学。」
重治の魂は満足した。結果を待たず、勝敗を見届けず、ただその瞬間に形を見出した。魂は静かに消えた。稲葉山城の夜から始まった旅は、ここで終わる。智謀の美学を求め、利の戦に幻滅し、講和に失望し、ついに突撃の中に美学を見出した。竹中重治の魂は、旅順の砲煙の中で消え、永遠の静けさへと帰った。




