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王子殿下の冒険と王家男子の事情について  作者: あいの あお


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9.今しかできないことを

 来た道とは違う道をゆっくりと戻るとちょうどお昼の少し前になっていた。メイに着替えと体を拭く湯の準備を頼み、手早く拭いて着替えをすると、グレアムが庭園の東屋で冷たいレモネードを用意して待っていた。


「おかえりなさいませ、楽しく過ごされましたか?」

「ああ、中々有意義な時間だった」


 三人がそれぞれ席に着くと、すぐにグラスが目の前に用意された。小さな焼き菓子も添えられている。


「季節もよろしいので昼食もこちらにご用意しようかと思っておりますがいかがなさいますか?」


 ふわりと風が甘い香りを運んで来る。薔薇の蕾はまだ固いが、低い位置には一面にカミツレやタイムが小さく可憐な花を咲かせている。少し向こうに見える紫はスミレだろうか。この庭園、特にこの一角は王宮に比べて小さくも愛らしく香り高い花が多いように見える。


「そうだな、せっかく来たのだから最後まで堪能して帰りたいな」

「こういう庭は俺はあまり見たことが無かったです」

「王立植物園の薬草園に少し似ていますよね」

「あちらが東の離宮に似せたのでございますよ」

「そうなのか!?」

「そうなのですか?」


 フレデリックとアイザックが驚いてグレアムを見ると、グレアムは笑みを深くして頷いた。


「王立植物園には公言はされておりませんが東西南北の離宮の庭を模した区画がございまして薬草園は東の離宮の区画なのです。東の離宮は東西南北の離宮の中で唯一、王立植物園より古いのでございますよ」

「知らなかった……」

「ええ、王立植物園自体がすでに三百年以上の歴史がございますしあまり知られていない事実かもしれませんね」


 本当にフレデリックはまだまだ知らないことが多すぎる。知らなくてはならないことではないが、知っておいた方がきっとずっと良い。


「なぜ東の離宮だけ古いんだ?」


 ふとフレデリックは思いついた。もしかしたらそれこそが今は無くなった立太子の儀式に通じる鍵かもしれない。アイザックを見るとアイザックも同じ考えに至ったのかじっとグレアムを見つめている。


「現在の王宮ができる前の時代にこちらの離宮が王宮の一部として使われていたことがあるのです。そろそろ殿下も歴史の授業で習われる頃かと存じますよ」

「建国からの歴史はある程度学んだと思っていたのだが」

「宮殿や城の場所の話はございましたか?」

「いや、そういえば無かったな」


 特に言及されていなかったので、フレデリックは地図を使って説明された大きな遷都以外の王宮の場所のことなど考えたことも無かった。せいぜい、今の王宮の場所で改築されたり増築されたりされただけだと思っていた。


「市井で歴史として流布しているものと実際に起きたことに相違があることは殿下もすでにお気づきでございますね?」

「ああ。事実と真実は違うのだと、歴史の教師も言っていた」


 フレデリックが真面目な顔で頷くと、おずおずという風にアイザックが小さく手を上げた。


「あの、それは僕たちも聞いて良いお話でしょうか?」


 困ったように眉を下げるアイザックにグレアムが微笑んだ。


「スペンサー令息もリンドグレン令息も侯爵家のご子息でいらっしゃいますから。一般的に知られている歴史に違う部分があるのだ、ということまではすでに教わっておられることと存じます。わたくしもおふたりの年の頃にはすでに教わっておりましたし」

「はい、それは、はい」

「ええ。ですのでこの程度まででしたら問題なくおふたりにもお話することが可能です。このままおふたりが殿下の側近となられるのであれば、おふたりにも、事実と真実の差をある程度お話する日が来るかと存じますよ」


 にっこりと笑ったグレアムにアイザックは複雑そうな顔で頷いた。レナードは分かっているのか分かっていないのか、いつもの何を考えているかよく分からない顔でレモネードを飲んでいる。


「グレアム」

「はい、殿下」


 ブライ侯爵家の令息であるグレアムが本来知っているのはアイザックやレナードにも許される範囲までのはずだ。だが、グレアムの言葉尻からはその先を知っていることがうかがえる。恐らく、フレデリックにもまだ教えられていない何かだ。もしかしたら立太子の儀についても。


「お前はその先を知っているのか?」

「全てではございませんが、ある程度はうかがっております」

「誰にだ?」

「わたくしを殿下の侍従にと選んだお方からでございます」

「それは誰だ?」

「いずれお分かりになるかと」

「そうか………」


 静かに微笑むグレアムの目にあるのは理知の光だ。侮りも嘲りも何もない。フレデリックが無知なのではなく、今フレデリックが知る必要が無い。そう思っていることがよく分かる。

 それでも引くことができずフレデリックがじっとグレアムを見つめていると、グレアムの表情が困ったような笑顔になった。


「殿下は知らないことが苦しいですか?」

「苦しいというより、焦りを感じる」

「なるほど。殿下は早く大人になりたいとお思いなのですね」


 ちらりとアイザックを見ればアイザックもまた頷いている。


「そうですね………」


 グレアムは思案するように目を閉じた。頬に落ちた影を見て、グレアムはずいぶんとまつ毛が長いのだなとフレデリックはぼんやりと思った。

 しばらくして目を開けると、グレアムはフレデリック、レナード、アイザックを順々に見た。そうして、少しだけ寂し気に微笑んだ。


「恐らくですが、あの方ならきっとこう仰ると思います。子供でいられる時間は短い。だから今は精一杯子供でいろ、と」

「どういうことだ?」

「殿下たちはいずれ嫌でも様々なことを知らねばならない日が参ります。王太子になり、学生になり、成人を迎え…。大人に近づけば近づくほど、知れば知るほどできることが増えると同時にできないこともまた増えていくのでございます」


 グレアムはそこで言葉を切ると、静かに、けれどとても優しい声で言った。


「ですからどうか、今しかできないことを、存分になさってくださいませ」

「今しか、できないこと?」

「はい。………もっと…もっと子供でいたかったと、思わずに済むように」


 それはどんなことだろう。今のフレデリックたちにしかできないこと…父や叔父、母にはできないこと。

 たとえばこうして森に入ることだろうか。こうして友と長い時間を過ごすことだろうか。

 確かに王太子や王になればもっと自由な時間は減るのだろうが、そういうことでは無い気がする。アイザックとレナードの顔を見ればやはりふたりとも不思議そうに首を傾げたり目を瞬かせている。


「これは……難しいな?グレアム」

「何も悩まれることはございませんよ。思う存分やってみてください、ということでございます」

「思う存分、か?」


 顔を見合わせているフレデリックたちを見てグレアムがとても優しい顔で笑った。大人というのは時折こういう顔をする。メイもたまにこういう顔でフレデリックたちを見ている時がある。口うるさい時の方が圧倒的に多いが。


 何ができるだろう?と三人であーでもないこーでもないと話している内に昼食を詰めた籠を三人分持ってメイと護衛の騎士がやって来た。


「さあさあ、お待たせいたしました。ハーブチキンのサンドイッチとデニッシュ、デザートに離宮で採れた苺が入っておりますよ」


 メイは籠をフレデリックの前に置くと護衛からグラスを受け取り水差しから透明な液体を注いでいく。しゅわしゅわと軽快な音がするそれはすっきりとしたミントの香りがする。


「すごいですよ殿下!とっても大きなサンドイッチです!」

「食べきれなければ俺が食べるんで言ってください」


 興奮気味に籠から中身を取り出しているふたりはとても楽しそうだ。朝にあれだけ食べたのにもうお腹が空いているらしい。もちろん、フレデリックもすっかりお腹が空いている。


「本当だな、香りも良いし、美味しそうだな」


 フレデリックも籠からサンドイッチを取り出し包みを開いた。本当に大きなサンドイッチで王宮なら小さく切って出されるのだろうが、離宮ではきっとフレデリックたちが楽しめるようにとあえてそのまま包んで詰めてくれたのだろう。

 大きな口でかぶりつけば口いっぱいにちょうど良い塩気とハーブの香りが広がっていく。


「美味しいですね!」

「ああ、うまい」


 にこにこと、はしたなく大きな口でサンドイッチにかぶりつくふたりを見ながらフレデリックはああ、これか、と思った。今のフレデリックたちにしかできないこと。まさしくこれはそのひとつだろう。


「こういうのも、良いな」


 そよそよと優しくそよぐ風に吹かれながら皆で笑い合い大きなサンドイッチをかじる。普段ならきっとはしたないと眉をひそめることも今は全く気にならない。フレデリックはほんの少しだけ、もうしばらく子供でも良いなと思った。


「もっと子供でいさせてやりたかったと、後悔するのはもう沢山だ……」


 子供たちを優しく見守るグレアムの口からぽつりと漏れたうめきにも似た呟きは、楽し気な子供たちの声にかき消されて誰の耳にも届くことは無かった。


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