72.望む王(終)
部屋に着くと、まだ日はあるがグレアムは手早くカーテンを閉め次々と灯りを灯した。その間にフレデリックは服を脱ぎ室内着に着替えていく。普通の服は難しいが、室内着ならもう自分でも十分脱ぎ着できるようになっている。
「なあ、グレアム」
フレデリックは着替えを終えてソファに座ると周囲の片づけを始めたグレアムに声をかけた。
「はい」
「あれは……今更では無いのか?」
フレデリックが聞きたかったことを口にすれば、グレアムはやはりというか、苦笑した。
紫にまつわる話。これは恐らく機密中の機密…それこそ歴代の王族でも王位継承者と配偶者以外は知らない者の方が多い話だろう。それを聞かせてしまった今、レナードとアイザックに問う意味はあったのだろうか。
「左様でございますね。王家の谷については立太子後すぐに話がございますが紫にまつわるお話は立太子してから数年経ち側近と王太子の意志がしっかりと固まってから必要な者にのみ話されることでございます。わたくしも陛下の側近時代には聞いておらず、聞いたのはフレデリック様の侍従となると決まった後にございます。今回が、異例なのでございますよ」
「それは僕らが、王家の谷に行ったからか?」
「いいえ。それだけならばわたくしが聞いたように細かいところを省いて王家の谷についてだけ話せばよかったのでございますよ。ただ、お三方で王家の谷へ行かれたゆえに捕まった…とは言えるかもしれませんが」
「捕まった……?」
フレデリックが問い返すと、グレアムが微笑を消して視線を落とした。
「……正直に申し上げますとこの段階で紫の話を出してきた時点でおふたりを逃がす気がさっぱり無いのでございましょう。ですが無理だと思われればそこはわたくしが何とでもいたします。今ならまだ国外に婿に出ないことくらいで何とかなるでしょう…いえ、いたします」
グレアムがぐっと顔をしかめた。穏やかでは無い物言いにフレデリックの胸がざわざわする。
「グレアム、逃がす気が無い、とは?」
「言い方を変えれば、王家はおふたりをフレデリック様の最側近として認めた、ということでございますね」
「十歳にすらならないのに…」とグレアムが更に表情を険しくした。グレアムは怒っているのだと、その時になってフレデリックは初めて気が付いた。
「誰が、と聞いても良いか?」
「王家が、としかお答えできません。ですがそうですね…『レオはそんなことしない』とだけ」
「そうか、叔父上ではないのだな」
順当に考えれば許可を出した父だろう。だが、確証はない。
「わたくしもライオネル殿下も、おふたりがフレデリック様の側近となってくださったことをとても嬉しく思っております。ですが成人どころか学園入学すらまだなのに逃げ道を塞ぐようなやり方は納得がいっておりません。ですので…もしもの時は逃げ道はわたくしが作ります。それもまた、ライオネル殿下がわたくしをフレデリック様の侍従に付けた理由のひとつでございますから」
「叔父上は予測していたのだな?」
「はい。恐らくライオネル殿下だけでなく」
グレアムはそれ以上言わなかった。叔父だけでなく他の誰かも予測していたのだ。これでは答えを言ったようなものだ。
「グレアム、お前の立場は大丈夫なのか?」
フレデリックが苦笑するとグレアムはにっこりと、何と言うことも無いように微笑んだ。
「慣れておりますので」
「そうか…慣れているのか……」
「はい。それに今も昔もわたくしはひとりではございませんので」
にっこりと笑ったグレアムに、やはり父か…とフレデリックは眉を下げた。
レナードとアイザックは王家の谷の存在を知り、あの日父があの場に居たことを知ってしまっている。口止めするより取り込む方が良いと父は判断したのかもしれない。
決して口外しないという強い制約の元に、王家の谷の詳細と父のせいで危険が増した部分を伏せ、ダレルは両家にほとんど事実を伝えたらしい。叔父が三人を保護する時機を見誤ったせいで起こった叔父の失態として伝えられたとアイザックが教えてくれた。
レナードとアイザックは裏で何があったのかを知らないため、そういうことにしておけばふたりが何を言っても嘘にならないからだろう。
後でグレアムに聞いたところ、十歳にも満たない子供に大きな嘘を抱えさせたくないと叔父がダレルに指示を出していたと教えてくれた。
フレデリックは納得がいかなかったが父の暴走を隠す以上誰かが責を被らねばならない。これが叔父の悪評の原因かと、フレデリックは目の当たりにして悔しくて聞いたその日は布団の中でこっそり泣いた。
そんな叔父の気遣いを無駄にするように今日、レナードとアイザックに紫についての話がされた。その意味を、ふたりにはまだ知って欲しくはない。
「グレアム、もしもの時は間に合うのか?」
「ライオネル殿下次第でございますね」
「また叔父上に被せるのか…それは嫌だな…」
フレデリックが眉をひそめるとグレアムは困ったように眉を下げた。
「ライオネル殿下はそれを望まれます」
「叔父上が望んだとしても僕が嫌だ」
「意外とあの方は笑いながら何でもこなしてしまわれますよ」
「もう笑うしかないだけじゃないのか?」
「……黙秘とさせていただきたく」
目を逸らしたグレアムにフレデリックはぷうっと頬を膨らませた。
なぜ皆、叔父が何とかするのが当たり前だと思っているのだろう。父は叔父に頼りきりに見えたし、母も『どうせレオが先回りして対処してるだろうと思ってた』と言っていた。グレアムまで叔父が何とかすると言う。
そういえば、叔父も言っていなかっただろうか。『王妃殿下も私が何も言わずとも平和裏に収めるおつもりでいらっしゃいましたでしょう?』と。
叔父が先回りし、母が収め、側近や周囲の者たちが寝る間も惜しんで駆け回り、第三十二代国王ウィルフレッドの御代は表向き平和に回っている。それこそが、フレデリックが知ったこの国の真実だ。
もうフレデリックは父も叔父も何もかも駄目だとは言わないし、母を恐ろしいとも思わない。でも駄目だ。フレデリックはやはり認められないし認めたくない。
フレデリックはソファから立ち上がると窓辺へと行きカーテンを少し開いた。
「お開けしますか?」
「頼む」
グレアムがさっとカーテンを横へ引くと、まだ少し白さの残る空にさっくりと半分に割ったような月がぽっかりと浮かんでいた。
「そろそろ夕食の時間か」
「確認してまいりましょうか?」
「ああ、頼む」
そうしてグレアムが部屋を後にした後、今の今までフレデリックは空にぽっかりと浮かぶ半月をぼんやりと眺めながら一日を思い出しひとり物思いにふけっていたのだ。
「やはり僕は、父のような王にはなりたくない」
ぽつりと口に出してみる。
「叔父のようにもならない。母のようにもならない」
ただ守られるだけの王にも、ただ守るだけの王にも、均衡を保つだけの王にもならない。フレデリックが望む王は、なりたい王はそうではないと思う。
「僕らしい、王……」
そう呟いても具体的な姿はフレデリックにはもう見えない。手本はいる、だがその誰も完璧な理想では無い。
父とも、母とも、叔父とも違う。フレデリックの思う王の姿―――。
「そうだ……嫌なことだけ考える、だ」
フレデリックは守られるだけは嫌だ。誰かに自分の失敗を被せてまで守る王の尊厳など要らない。
守りはしたいが守られる側が辛くなるような守り方は嫌だ。自分も周囲も、痛みを感じるような守り方はしてはいけないししたくない。
均衡は保つべきでも心を無視するのは嫌だ。心ごと天秤に乗せてこその均衡のはずだ。
逃げ道を塞ぐのも嫌だ。どんな時も、誰にでも、必ずひとつは選択肢があって欲しい。
「僕は…」
アイザックは『優しさと温かさを失って欲しくない』と言ってくれた。けれどそれはきっと弱さと甘さに通ずる。フレデリックの望む王は、もしかすると情けないほど甘い王なのではないだろうか。
「それでも僕が、次代の王だ」
そう半月に呟いた時、扉が三回叩かれた。
「夕食をお持ちいたしましたよ」
グレアムがワゴンと共に戻って来た。
「ああ、食べよう」
テーブルへと移動しようとしてフレデリックはもう一度半月を振り返り、ぽつりと言った。
「グレアム…僕は愚かで情けないんだ」
「フレデリック様?」
テーブルをセットしていたグレアムが不思議そうに首を傾げ、フレデリックの元へと近づいて来た。
「僕はあまりにも足りなくて、あまりにも知らないんだ…」
フレデリックの隣に並んだグレアムがフレデリックの視線を追い、半月を見た。
満月に半分足りない月。フレデリックのようだと言ったら月に怒られるだろうか。何も言わずにただ隣で一緒に月を眺めてくれるグレアムにも。
「よし、まずは食べて風呂に入って寝よう。母上がそう仰ったからな」
「承知いたしました」
微笑んだグレアムがテーブルへ戻りすっと椅子を引いてくれた。
フレデリックが椅子に座ると目の前に夕食の皿が乗せられる。皿の上の白身の魚にあの銀大蛇を思い出した。
「グレアム」
「はい」
「僕は甘い王になりたい」
「ならばレナード君、アイザック君は辛くて苦い側近になっていただきましょう」
「う…それも申し訳ないな……」
魚にナイフを入れればほろりと崩れる。やはり銀大蛇とは弾力が違うな、などと考えてしまいフレデリックは思わず口元が緩んだ。
「思う存分にどうぞ、フレデリック様」
「ああ。しっかりと子供でいることにする」
「はい。しっかりと守らせていただきますよ。いつか大人になられるその日まで」
「うん」
フレデリックが素直に頷くとグレアムは優しく微笑み、窓辺へ行くとちらりと月を見上げてからカーテンを静かに閉めた。
明日、レナードとアイザックにも言ってみようとフレデリックは決めた。
『僕は甘い王になりたい』と。
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まだまだシリーズは続きますので今後ともぜひ、お付き合いいただけますと幸いです。
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