64.ずるい人
「そうか、君はその小説がとても好きなんだな」
フレデリックが頷くと、フェアフィールド公女は少し考えるように首を傾げ、それからまたすとん、と椅子に座り直した。
「ん-、正直分からないわ。お姉さま方が読んだ本のお話を聞いているだけだもの。でも…聞けば聞くほど、わたしって悪役令嬢っぽいと思うのよ」
「そうなのか?」
「悪役令嬢ってね、こう…派手で強気な美人が多いのよ。やっぱりほら、悪役が派手じゃないと迫力が無いじゃない?だからこの何もしないのに勝手にくるくるになる派手な巻き髪とか、気が強いところとか…こういうところがね、良く出てくる悪役令嬢と似てるのよ」
フェアフィールド公女がひょいと、肩にかかっていた髪をひと房持ち上げた。とても綺麗に縦に巻いている。てっきりそう整えているのかと思っていたのでフレデリックは驚いたが、ただ綺麗だと思うばかりで何の悪感情も湧きはしない。
「つまりフェアフィールド公女が綺麗で目立つということだろう?」
「どうしてそうなるの!?」
「違うのか?」
フレデリックが困ったように首を傾げると、フェアフィールド公女は「違う…わないのかしら?」と首を傾げて考え込むように口元にこぶしを当てた。
「ならばイーグルトン公女も悪役令嬢に見えるのか?」
「は!?見えるわけないじゃない!」
呆れたように目を丸くしたフェアフィールド公女にフレデリックは更に困った顔になった。
美しく目立つと言えばイーグルトン公女だ。彼女はフレデリックから見ても表現のしようがないほど美しいし、遠くを通りがかるだけでつい振り向くほど目立つ。だが、彼女は違うらしい。色素が薄いからだろうか。
「それに、きっとわたし、婚約者に好きな人ができたら酷いこと言っちゃうわ…」
「でも君はきっと相手の女性ではなく婚約者を責めるだろう?」
「そうかも……。そうして『可愛くない女は嫌いだ』って言われるんだわ……」
フェアフィールド公女はしょんぼりとまた肩を落とした。なぜそんなことを言うのかフレデリックはさっぱり分からない。今目の前で「嫌われるのは嫌だわ」と悲しそうに眉を下げるフェアフィールド公女はこんなにも可愛らしいというのに。
「君は可愛いだろう?」
「へ!?」
「きらきらした碧の瞳も良く実って揺れる小麦みたいな輝く金の巻いた髪も確かに派手だけど…愛らしい君の顔立ちに良く似合っていると思うぞ?」
あ、愛らしい!?とフェアフィールド公女は真っ赤になって碧の瞳を何度も瞬かせている。なぜだろう、言われ慣れているだろうに。
誰がどう見てもフェアフィールド公女はいわゆる美少女だ。父上の色をした母上の幼い頃と称されるクリスティーナも妹ながら二度見をするほどの美少女だが、フェアフィールド公女も全く負けていない。
白状すればフレデリックは茶会の日、初めて見たフェアフィールド公女に見惚れた。呆けている間にすぐに口げんかになってしまったので、情けないことに名前すら聞けなかったのだが。
少し垂れた大きな目には美しく澄んだ碧の瞳。ぽってりとした小さな唇に小さな鼻。小麦の巻き髪に縁どられる真っ白な頬は美しい薔薇の名の通り薔薇色で、そのどれもが楽しそうに輝いていて……そうだ、フェアフィールド令嬢はとても生き生きとしているのだ。アイザックの言葉を借りるなら、意図は違うが命に溢れている。
「それに、淑女としては駄目だろうが…僕は君の真っ直ぐさと生き生きとした姿を好ましいと思う。公女としてはもっと駄目だろうが」
「ちょっと!分かってるから何度も言わないで!!」
「ふふふ、すまない」
ほんの少しだけ意地の悪い気持ちでフレデリックが言うと、案の定、フェアフィールド公女は眉を寄せて元気いっぱいに食いついてきた。顔を真っ赤にしているのも可愛らしいが、フレデリックとしてはこちらの方が好ましい。
「それに…僕はその物語を知らないから分からないが、道理を通さない相手に道理を通してやる必要も無いと思うんだ。ああ、でもそういう者たちと同じところまで品性を落とすのも嫌だな。やり方は考えないと」
相手が道理を弁えないからといって同じようなことをするのは違うし、意地の悪いことをするのも違うとフレデリックは思う。礼節を持った上でしっかりと対応し、その上で早々に関わりを断ちたいところだ。
「殿下ってやっぱり厳しいわね」
「そうだろうか?」
「ええ。とても優しいのに、こう…何かしら…」
「やはり『性格が悪い』?」
フレデリックがくすくすと笑いながら言うと、フェアフィールド公女は大慌てでぶんぶんと首を横に振り焦ったように身を乗り出した。
「あ…!あれは違うの…ごめんなさい……!」
「ふふふ…違うのか?」
「あのね、売り言葉に買い言葉って言うか……」
困ったように眉を下げ、また頬を染めてフェアフィールド公女は口ごもった。俯いてしばらく視線を泳がせた後に、そっと視線だけを上げてぽそぽそと、小さく言った。
「初めて見た時にね、とても素敵だと思ったの。だから余計に腹が立って……。もっと優しく言えばいいのに、って。そしたらもっと素敵なのに…って」
「そうか、それは申し訳ないことをした」
それはそうだろう。あの日のために庭園はとても美しく整えられ、茶会のテーブルもそれぞれ子供たちが喜ぶようにと趣向を凝らした焼き菓子や生菓子が綺麗に並べられ、美しく飾り付けられていた。
そんな美しくも楽しい空間に、不機嫌そうに硬い空気をまとった自分よりずっと地位の高い王子が座っていたら、フレデリックだって楽しめないしきっと残念に思うだろう。
フレデリックは良く見られることよりも、皆が楽しめるようもてなさなければならない立場だったのだ。意図したわけでは無いとはいえ、来てくれた者たちにも用意してくれた者たちにも大変申し訳ないことをしたのだと今なら分かる。性格が悪いと言われてもこれでは仕方が無い。
フレデリックがうんうんと頷いていると、フェアフィールド公女がまた拗ねたようにむっと唇を尖らせた。
「……照れもしないのね」
「え?」
「褒めたのに」
「ん?」
むーっと、フェアフィールド公女は更に唇を尖らせた。眉間にしわまで寄っている。
「わたし、あなたを素敵だと言ったのよ。恥ずかしいけど頑張ったの!」
「え?僕??茶会ではなく?」
「どうしてそういう解釈になるの?」
「う……すまない……?」
正解が分からず眉を下げて口角を上げると、フェアフィールド公女は「もう良いわ!」と、ぷいと顔をそむけてしまった。フレデリックはありがとう、と微笑むところだっただのだろうか。
とりあえず落ち着こうと、フレデリックは卵のクリームのタルトをひとつ口に入れた。こんな時でも頬が緩むのはもういっそ刷り込みに近いものがありそうだ。
「……甘いものが好きなの?」
フェアフィールド公女が顔をそむけたまま、視線だけをフレデリックに向けた。そうしてちらりとタルトを見たのを見て、フレデリックは微笑んだ。
「甘いものも嫌いではないが…僕はこれが好きなんだ。これは内宮の菓子担当の料理人が、僕が幼い頃に苦手だった卵を食べられるようにと、考えて作ってくれたものなんだ。卵のにおいが苦手だったんだが…このタルトのお陰で食べられるようになったんだ」
「そう…素敵ね」
「そうだろう?とても感謝してるんだ」
「違うわ、あなたがよ」
「僕が?」
菓子担当を褒められたと思いフレデリックがにこにこしていると、フェアフィールド公女が呆れたように笑ってフレデリックに向き直った。
「普通、誰が何をどう作ってるなんて貴い人たちは気にもしないでしょう?あなたは、ちゃんと知ってるのね…」
フェアフィールド令嬢が少し悲しげに笑った。なぜ悲しげなのかフレデリックには分からなかったが、「いや」と静かに首を横に振った。
「僕もずっと知らなかったんだ。自分が誰に支えられているか、今まで興味を持つことすらしなかった。最近になってやっと知ったんだ。元々好きな菓子だったが…知って、もっと好きになった」
「そうなのね、やっぱり素敵よ」
ふふふ、とフェアフィールド公女が今度はとても嬉しそうに笑った。ころころ、ころころ、表情が変わる。そのどれもがフレデリックには好ましい。フレデリックが知ろうとしたから知ることができた顔。
だから―――。
「僕はこうして、君のことも知ることができてとても嬉しいんだ、フェアフィールド公女」
フレデリックは心から笑った。本当に、本当に嬉しかったから。
「ずるい人だわ、あなた……」
フェアフィールド公女が何とも難しい顔をしたあとにテーブルに伏してしまったのを見て、フレデリックは自分がまた何かを失敗したのだと悟り遠い目になった。




