63.優しいひと
「ああ、そうか。それでか」
「え?」
すとんと、突然何かが腑に落ちた。
「君は僕にその…色々と言った上で他の令嬢令息たちには淑女らしからぬ表情で笑って話していただろう。あれは委縮してしまった令嬢令息に大丈夫だと、示していたんだな」
「あ……うん、そう。そのつもりだったわ。公的な場所であまり良いことでは無いと分かってはいたけど…特に下位貴族の子たちは貴族的な笑顔に余計に緊張してしまう子もいるから……。王子であるあなたが怖がらせたなら、公女であるわたしが大丈夫って言ってあげるべきだと思ったの」
目を瞬かせてフェアフィールド公女はおずおずといった感じで頷いた。
やはりそうか。あの時、フェアフィールド公女に笑いかけられた令息や令嬢はとてもほっとしたような、嬉しそうな表情をしていたように思う。単に可愛らしい令嬢に眩しい笑顔で話されて喜んでいただけかとフレデリックは思っていたが。
「そうか……僕は君にも助けられていたんだな」
「そうでもないわ。わたしもあなたと言い合いが酷くなりすぎて結局ちょっと怖がらせちゃったもの」
フレデリックが眉を下げると、紅茶をひと口飲んだフェアフィールド公女がふるふると首を横に振った。紅茶を持ったままだったことに気づいたのか「あ」と言ってカップをそーっとソーサーに戻した。幸い、こぼれてはいないようだ。
「それはあの場で君にしかできないことだったからだろう?僕に言い返すことそのものが」
「それもある、けど…言いすぎは言いすぎだわ。わたし、いつもそうなのよ……」
フェアフィールド公女はしょんぼりとまた肩を落とした。確かにフェアフィールド公女は言い過ぎていたと思う。けれどそれはフレデリックが意地になって何度も言い返したからでもある。どう考えてもお互い様だ。
それに、もっとずっと大切なことが別にあるとフレデリックは思う。
「そうか。君は、優しいひとだな」
「え!?」
フェアフィールド公女はがばりと顔を上げると大きな目を更に大きくまん丸にした。
晴れ渡る青空よりももっと澄んだ碧。フレデリックはこの色が…フェアフィールド公女の瞳の色がどうも好きなようだ。
「そうだろう?君は僕が皆を罰するかもしれないと思っていた。君自身も罰せられるかもしれないと思っていたのに、君は自分が矢面に立つことで周囲を守ろうとしたんだ。強くて、とても優しいひとだよ」
「へ!?」
にっこりとフレデリックが微笑むと、フェアフィールド公女はぱあっと音がしそうなほど表情を明るくした。そうしてぎゅっと胸の前で両手を組むと、頬を赤らめて嬉しそうに、とても可愛らしくはにかんだ。
「そんな……そんなこと、言われたこと、無い……」
「そうなのか?」
フレデリックが不思議そうに首を傾げると、フェアフィールド公女はこくん、と首を縦に振った。
「わたし、こんなだから。全然公女らしくなくて、口答えばっかりで、全然可愛げも無くて、表情もうまく隠せなくって。だから家族にもせめて公の場では公女らしくしなさいっていっつも怒られてて……」
「ああ、それは仕方ないな。僕らは見本にならなければいけない立場だから」
「そう、よね………」
またフェアフィールド公女はしょんぼりと肩を落とした。感情の振り幅が大きい。そしてその振り幅に合わせて表情だけでなく体が動いてしまっている。
小さな体と大きな瞳と相まって、まるで興味津々に跳ねまわり失敗してしょげ返る子猫を見ているようだ。何とも微笑ましい。
「うん。だがだからと言って君の優しい心まで否定されているわけじゃないだろう?公の場では公女らしく、にはもちろん同意するけれど」
「もう、また笑う…」
「ごめんごめん」
フェアフィールド公女は側近であるレナードやアイザックとは違う。
フレデリックは王子として、高位の者として振舞わねばと思うのにどうにも調子が狂ってしまう。やはり最初が最初だったからだろうか。けれど、決して嫌では無いとフレデリックは思う。
ぷーっとまた頬を膨らませていたフェアフィールド公女が今度はどんどんと、空気が抜けるように萎れていく。視線を落とすとフェアフィールド公女は悲しそうに呟いた。
「………わたし、この性格のままじゃ、いつかきっと悪役令嬢になっちゃうわ………」
「うん?あくやくれいじょう?」
聞きなれない単語にフレデリックが首を傾げると、フェアフィールド公女が小さくため息を吐いた。
「そうよ。悪役令嬢。ヒロインをいじめたりして最後は断罪されて捨てられる運命なのよ」
「誰に?」
「王子様や高位貴族の令息に」
ヒロインとは物語の女主人公のことだ。それは分かる。だがフレデリックにはそれ以外がさっぱり分からない。断罪とは何だ。裁かれねばならないほどのことをするのだろうか。それに、だ。
「王子…僕か?」
「違うわ、小説の登場人物よ。そういう小説がお姉さま方の間で流行っているのよ」
「おねえさまがた?」
「ええ。お兄様たちの婚約者とか、お姉様とか従姉とか、侍女たちとか、そういう年上のお姉さま方」
フレデリックたちよりも年上の女性に流行りの小説があるということか。
フェアフィールド公女はフェアフィールド公爵家の五人目、末姫。上には三人の兄とひとりの姉がいる。兄たちの婚約者というと二十から十三の間あたりのはずだ。姉は十五だっただろうか。
「その小説に王子が出てくるのか?」
「そうよ。ヒーローは王子様や宰相の息子とか騎士団長の息子とか高位の貴族令息でね、悪役令嬢はほとんどが政略で結ばれた婚約者か姉妹なの。王子様たちとヒロインの仲をこれでもかってほど邪魔するのよ」
何だそれは、とはさすがにフレデリックは言わなかった。だが、思うところはある。
「婚約者がいるのに別の女性と仲を深めようとする時点でその王子や令息は色々と駄目だと思うんだが」
「身も蓋も無いわね」
まだ九歳のフレデリックですらおかしいと思う。恋をするのは仕方が無いと思う。だがその時にどう行動するかはやはり、貴族としても人としても外れてはいけない道理があると思うのだ。
フレデリックが腕を組んで「うーん?」と唸っていると、フェアフィールド公女は紅茶を飲み、そうしてこくりと頷いた。
「でもそうね、私も正直そう思うわ。お話だから成り立ってるけど……別の女の子を好きになったからって婚約者の責任も果たさず婚約の解消もせずにふらふらするなんて、顔が良くても地位が高くても最低だと思うわ。しかも感情だけで動いて相手を一方的に断罪するだなんて…貴き者としての自覚が無さ過ぎるわ」
「ああ。感情ももちろん大事だが、大事だからこそ筋は通すべきだな。その悪役令嬢も相手の女性をいじめるのではなく王子や令息の方を責めるのなら問題が無かったのではないのか?」
「普通は自分より高位の人を責めたら下手をすれば不敬で裁かれるわよ。あなたくらいよ、こんなに好き勝手言われて平気でにこにこ笑ってる王子様なんて。物語の王子様があなたみたいだったらきっとお話が全く進まないわね」
くすくすと、フェアフィールド公女が楽しそうに笑った。今日、ここに来て初めて笑ってくれた。
楽し気に細められた碧の瞳にフレデリックは何だかそわそわしてしまい、誤魔化すように茶を飲むとわざと真面目な顔を作って言った。
「そもそも僕なら婚約者と話し合う」
「婚約者はだいたい王子様を愛しているものよ。だから婚約解消したくない!ってなるんだわ」
「王子に愛されていないのにか?」
「頑張っていればいつかは…って思っちゃうのよ」
「人の気持ちは難しいな」
「それが物語の醍醐味よ!!」
フェアフィールド公女がぐっと前のめりになった。テーブルの上でこぶしを握り、碧の瞳をきらきらと輝かせている。大好きなおもちゃを前にした子猫のようなフェアフィールド公女に、やはり公女はとても可愛いと、フレデリックの口元がだらしなく緩んだ。




