61.子供だから
翌日は実に良く晴れていた。
いっそ雨でも降ってくれれば硬い表情の理由も付けられたかもしれないのに、清々しいほどの青い空には段々と近づく夏を思わせる太陽が力強く輝いている。
外は少し動けば汗ばみそうに暑いが、フレデリックのいるサンルームはちょうど良い加減に日陰になっており、窓も全開なので風も良く通って気持ちが良い。はずだが良く分からない。
今、フレデリックの目の前にはテーブルを挟んで太陽にも負けないくらいに輝く小麦の色の髪と今日の空にも負けないほどに澄んだ碧眼の愛らしい令嬢が緊張した面持ちで座っている。
令嬢の母であるフェアフィールド夫人はこのサンルームに令嬢を残すとにっこりと笑って「後ほど迎えに参りますわ~」と母と連れ立って楽しそうに去ってしまった。
残されたのはどうしていいか分からず遠い目をしたフレデリックと、こちらも落ち着かない様子で目を泳がせるフェアフィールド公女。そしてグレアムと公女の侍女と思われる付き人の女性の四人だけだ。
こぽこぽとグレアムがお茶を注ぐ音がする。ちらりとグレアムを見ればにっこりと、それはもうとても良い笑顔で微笑んでいる。フレデリックが年頃の令嬢ならきっと頬を染めたはずだ。きっとそうだ。けれど今のフレデリックには恨めしくしか思えない。
『わたくしは本日は空気です。お茶をご用意したら脇に控えてはおりますが気持ちとしては消え去ります。殿下は思う存分どうぞ』
朝、着替えをしながら微笑みと共に言われた言葉に思わず頭を抱えてしまった。そこはせめて「大丈夫ですよ」とか言って欲しかったのだが。言われたところでどうなるものでも無かったが。
「あーっと…今日はよく来てくれた、フェアフィールド公女」
まずはフレデリックが聞きたいことを聞く。そのためにもまずは挨拶だ。
そう思い、グレアムが用意した茶をひと口飲んでフレデリックがぎこちなく微笑むと、それまで唇を引き結び椅子に座っていた公女が椅子からひょいと降りるとその場で深く王族に対する礼をした。
「本日はお招きに預かり光栄でございます。先日は大変な不敬を働きましたこと、心よりお詫び申し上げます」
フレデリックは出鼻をくじかれ少し仰け反った。
九歳とは思えないほどしっかりとした口上。きっと一生懸命考えてきたのだろう。カーテシーもハリエットに比べれば優雅さに欠けるがそれでも九歳の令嬢と思えば揺れることもふらつくこともなくしっかりと体を支えている。
これは許すと言うべきか、気にするなと言うべきか、フレデリックも自分の非を謝るべきなのか…初手で行き詰ったフレデリックはまた遠い目になりかかったが、フェアフィールド公女の手がかすかに震えていることに気づいてはっとした。
「公女、どうか顔を上げて座って欲しい。僕は今日、公女と話をしたくて来てもらったんだ」
フレデリックが声をかけると公女が顔を上げて「ありがとうございます」と頷いた。
顔色が酷く悪い。体調が悪いのかそれともフレデリックと共にあることで気分が悪いのか。どちらにしろ、あまり良い状態には見えない。茶どころでは無いのではないだろうか。
「公女、顔色が悪い。大丈夫か?辛くはないか?」
フレデリックが首を傾げてテーブル越しにフェアフィールド公女を覗き込むと、フェアフィールド公女は碧の瞳を大きく揺らして「どうして…」と呟いた。
「うん?何だろう?」
「どうして怒らないのよ…です、か……?」
「怒った方が良いのか?」
フレデリックは眉を下げてまた反対側に首を傾げた。フレデリックも話を聞いた上で必要ならば怒ろうと思ってはいる。だがそれは今ではない。フェアフィールド公女の不思議な話し方も今は不問だ。
「公女の謝罪は受け取ろう。だが今の僕は怒るべきかそうでないのかが分からないんだ。だから公女に聞きたいと思って来てもらったんだ」
フレデリックが素直にそう言うと、フェアフィールド公女は目を丸くした。
「あなた、誰?」
「は?」
フェアフィールド公女の眉がどんどんと寄せられいぶかしげな表情になっていく。
「お嬢様」
「良いんだ」
フェアフィールド公女の付き人が公女を止めようとしたがフレデリックは首を横に振った。
「良いんだ。気にしないで話して欲しい。聞いた上で僕は僕が何を言うべきか決めよう」
フレデリックが微笑めば、付き人の女性は「承知いたしました」と申し訳なさそうに眉を下げてしぶしぶと壁際に下がった。
「そういうことだ、公女。今、君が思ったことをそのまま君の言葉で話して欲しい。きっと僕が聞きたかったことに通ずると思うんだ」
フレデリックがフェアフィールド公女に向き直り頷くと、フェアフィールド公女は目を泳がせた後に少しうつむき「良いの?」と上目遣いにフレデリックを見た。「構わない」とフレデリックが安心させるように微笑むと、フェアフィールド公女はこくりと、首を縦に振った。
「あの時の殿下はあんなにみんなを威圧して怖がらせていたのに今は怖くないわ。まるで、別の人みたいに……………今日はとっても優しそうで素敵だもの…」
どんどんとフェアフィールド公女の声が小さくなっていく。最後の方はもごもごと、テーブルを挟んでいるフレデリックには何を言っているのかさっぱりと聞き取れなかった。
「怖がらせていた?僕が」
「ええ、そうよ。あんな風に高圧的にあれは駄目、これは違うって言ってばかりいたら、周りは怯えちゃうじゃない、ですわ」
「僕はそんなことを言っていた…?」
フレデリックは目を丸くした。フレデリックにはそんなに高圧的にものを言った記憶が無いのだ。確かに、場にそぐわないどころか危険を感じるほど奔放にふるまう者には何度か注意をした気がするが。
「えっと……そう、聞こえたわ、です」
「そうか……」
何がいけなかったのだろう。分からずにフレデリックが困ったように眉を下げて首をかしげていると、フェアフィールド公女も「うーん……」小首をかしげて考えるように口元に手を当て、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。そうして何かに納得したように頷くと「あのね」と大きな碧の瞳をフレデリックへ向けた。
「あなたの言っていることはひとつも間違ってなかったと思うわ。私も言わないとなって思ったもの」
何かを思い出したのか、フェアフィールド公女がきゅっと眉間にしわを寄せた。そうであれば更に分からない。フレデリックの何がそんなにいけなかったのだろう。
「そうか…では僕の何が駄目だったのだろう?」
フレデリックがまた反対の方へ首をかしげると、フェアフィールド公女も鏡のようにこてん、と首を傾げた。
「あなた、王子様でしょう?」
「ああ、そうだな。王族だな」
「悪いことをしたり礼儀を守れない子がもちろん悪いんだけど、あの日は初めて茶会に参加する子も沢山いたでしょう?私もだけど」
「ああ、そうだな。僕もだ」
「初めて会う王子様って、きっとものすっごく怖い存在だと思うの」
「僕が?公女も怖いのか?」
「ん-、きらきらして憧れるのもあるけど、怖いと思うわ。だって何かしてしまったら殺されちゃうかもしれないじゃない」
「その程度で殺さないだろう……。それに、その割に走り回っていたぞ?」
「そこはね…うん…子供だから……」
フェアフィールド公女が視線を斜めに逸らした。皆が皆では無いにしろ、フレデリックを怖がっていたら走り回ったり悪戯したりしないと思うのだが。それに、だ。
「子供だからで見過ごして良いことと悪いことがあるだろう」
「ほら、そういうことろ!」
「え!?」
突然ぐっと身を乗り出したフェアフィールド令嬢にフレデリックはぎょっとして仰け反った。
「あなたのそのとーーーーーっても綺麗な顔で、そーんな真顔で正論を言われたら、誰だって怖いのよ!!」
「は…?顔……??」
「そうよ!美人の真顔は怖いってお母様も言ってたわ!!しかもあなた王子様なのよ!?あなたは当たり前のことをちょっと注意しただけのつもりだったかもしれないけど、それを見ていた子たちは怯えて青くなってたのよ。王子様に失礼をしたせいでみんな罰せられちゃうかもしれない…って!」
フレデリックは更に仰け反った。テーブル越しなので十分な距離はあるのだが圧がすごい。
話し方も言い分もずいぶんなはずなのに、テーブルに両手をついて伸びあがり、赤く染まった頬をぷーっと丸く膨らませ唇を尖らせたフェアフィールド公女が妙に可愛らしくて、フレデリックはつい笑ってしまった。




