57.レベッカ
そのまま話を続けるわけにもいかずフレデリックがレナードと顔を見合わせて首を傾げつつ扉をじっと見ていると、こんこんこん!と非常に忙しなく叩かれ扉が返事を待たずにばたん!と開かれた。
「失礼いたします!」
「アイザック!返事を待たなきゃ!!」
「「アイザック!?」」
レナードとフレデリックが驚いてがばりと立ち上がると、気付いたアイザックの表情が崩れた。
「殿下…レナード……!!」
「あぶない!」
駆け寄って来ようとしてよろけたアイザックをいつの間に移動したのかレナードが抱き留めた。後ろから手を伸ばしていた少女に気づき、「すまない」とレナードが軽く頭を下げた。
「大丈夫か、アイザック」
「ごめん、レナード」
「良い、落ち着け。ゆっくり息を吐いてから吸え」
何度か深呼吸を繰り返すアイザックにフレデリックもゆっくり近づくと、息が整ったのを確認して声をかけた。
「アイザック、大丈夫か?」
「すいません、殿下。取り乱しました」
「良い。怪我はどうだ?まだ痛むか?」
フレデリックがそっとアイザックの頬に触れると、アイザックははにかみ小さく首を横に振った。
「大丈夫です、殿下がすぐに対処してくださいましたから…二日ほどで腫れも引いていたんですよ」
「そうだったか、だが傷もアザもあっただろう?」
「何てこともありません。僕よりレナードの方が…あ、レナード!怪我は?」
「問題ない。もう鍛錬も始めている」
「問題なくはないだろう。たった二日で王宮に来て熱を出したんだぞ」
「何てことしてるんですレナード!そういう時はしっかり休んで早く完全に復帰してこそ主のためになるんです」
「ああ、身に染みた。すまない」
常のように人差し指を立て眉をひそめたアイザックに、レナードが照れたように眉を下げて微笑み、頭を掻いた。
「ナニコノサンニン、トウトイ…モエ……!」と謎の呪文が聞こえてアイザックの後ろを見ると、アイザックと同じ髪の色をした少女が両手で顔を覆って天を仰いでいた。
「あ……三つ年上の姉でレベッカと言います。姉さん、殿下の前でそれはちょっと……」
アイザックが振り向いてレベッカと呼ばれた少女に声をかけると、「あ」と言って少女が背筋を正した。
「スペンサー侯爵家の長子レベッカと申します。第一王子殿下にお目通りがかないましたこと、無上の喜びにございます」
完璧な口上で見事なカーテシーをしてみせたレベッカにフレデリックは微笑み頷いた。
「レベッカ嬢、第一王子のフレデリックだ。こちらは僕の友人で護衛になるリンドグレン侯爵家のレナード、後ろにいるのが僕の侍従でブライ侯爵家のグレアムだ。会えて嬉しいよ」
アイザックを支えていたレナードがフレデリックの隣に来るとぺこりと頭を下げた。アイザックもレナードとは反対側に立ち、三人横並びになってレベッカと向かい合った。
「く…可愛いのよこの子たち…!」
「レベッカ嬢?」
「あ、はい!愚弟ともどもどうぞよろしくお願い申し上げます」
「ああ、どうか楽にして欲しい。あなたは僕の大切な友人の姉君なのだから」
フレデリックがにっこりと笑うと、レベッカは感極まったように口元を押さえ、そうしてなぜかまた深々とカーテシーをした。「うう…トウトイ…ダメヨレベッカシッカリ…はぁ、トウトイ…落ち着いて……」と、何かの呪文のようにぶつぶつと唱えている。
どうしたら良いのか分からずアイザックを見ると、アイザックが「申し訳ありません、殿下」と眉を下げた。
「いや、構わないんだが…大丈夫だろうか?」
「ああ、少し顔が赤い。休んだ方が良いのでは?」
フレデリックが首を傾げると、レナードもレベッカを少し覗き込むようにして頷いた。
「いえ、大丈夫です。姉はこれが正常なので」
「そうか…ならば良いんだ。楽しい姉君なのだな」
「殿下はお優しいですよね」
「そうか?」
アイザックの言葉がフレデリックにはよく分からずグレアムを見るとにっこりと、とても良い笑顔が返って来た。だが口元がふるふると震えているので間違いなく何かあるのだろう。
「レベッカ、下がりなさい」
「はい、お邪魔をいたしまして申し訳ございませんでした」
スペンサー侯爵がため息とともに言うとレベッカはすぐに居住まいを正し一礼した。
「いや、会えて良かったレベッカ嬢。いずれまた」
「光栄でございます、殿下」
フレデリックが微笑んで頷くと、レナードもまた軽く一礼した。レベッカが扉から出る時に「あー…キョウキュウカタネ……」とまた何か聞こえた気がしたが、アイザックを見ると「大丈夫です」と曖昧に微笑まれたので聞かなかったことにした。
「騒がせたな、侯爵」
「いえ、当家の子供たちが申し訳ございません」
フレデリックとレナードがもと居た位置に座るとスペンサー侯爵が額を押さえていた手を膝に置き頭を下げた。
「気にしないで欲しい。良い家族のようだ」
「ありがとうございます。……アイザックの言う通りですね」
「ん?アイザックの?」
侯爵は困ったように微笑むとアイザックに「座りなさい」と空いていたひとり掛けソファを指さした。
「はい。お恥ずかしながらこの数日で、こんなに息子と話したのは初めてかもしれないと思うほどに話をいたしました」
「そうか」
フレデリックが頷くと、スペンサー侯爵は夫人と顔を見合わせた。夫人がスペンサー侯爵の手を取り、にこりと微笑んだ。
「当家にはアイザック以外に姉と、下に妹がおります。ご覧いただいた通りその…大変個性的な娘でして、下の娘も中々…押しの強い娘で」
「そうなのか?とてもしっかりとした美しいカーテシーをする御令嬢だと思ったが」
「はは…本当に、アイザックの言っていた通りの方だ」
「何だろう?」
アイザックはフレデリックについて何を言ったのだろう。想像がつかずフレデリックがアイザックに首を傾げると、アイザックは目を泳がせ、少し頬を染めて照れくさそうに「いえ…」と微笑んだ。
「不敬になるかもしれませんが、お許しいただけますか?」
「もちろんだ侯爵。多少の不敬は気にしない。かなりの不敬になると僕ではなく侍従が黙っていないかもしれないんだが、なるべく黙らせる」
フレデリックが苦笑いをするとスペンサー侯爵も少し笑い、頷いた。
「息子は殿下のことを、とても素直で真っ直ぐで、とても優しい目でものごとを受け取ることができる方だと言っておりました。疑うことを知らない方だから人の言葉をそのままに受け取ってしまって時に危ういけれど、あるがままに受け入れることができる優しさと温かさを失って欲しくない。だからその分、息子が側にいて殿下の目になり耳になり支えたいのだと、そう言っておりました」
「そうか……」
フレデリックが頷くとアイザックが困ったように眉を下げた。
「申し訳ありません殿下、生意気を申し上げました」
「いや、アイザックは僕よりもずっとよく僕を知っているんだな。僕は自分が危ういことをこの間気が付いたばかりだぞ」
更に眉を下げたアイザックにフレデリックは笑って首を横に振り、肩を竦めた。本当についこの間…たったの五日前に自分の危うさを理解したばかりだ。生意気だったのはフレデリックの方だ。
「僕の危うさを知ってなお、アイザックは支えたいと言ってくれるのだな」
フレデリックはアイザックの忠言を聞かなかった。聞きはしたが、その後何か手を打とう、動こうとはしなかった。
アイザックの頬の腫れは無くなっているが、痛かったことと怖かったことは消えない。悔しさと情けなさでフレデリックが視線を下げるとアイザックが首を横に振った。
「殿下の危うさは素直で優しいお心の裏返しでもありますから。僕はきっと、お役に立てると思うんです。いいえ、僕がお役に立ちたいんです」
顔を上げればアイザックが、真剣な顔でひとつ、フレデリックに頷いた。




