53.レナード
午前の間に手紙を出して午後。本来であれば鍛錬場へ行く日なのだが大事を取って明日までは謹慎という名目の休みになっている。フレデリックは切り傷と擦り傷、打ち身だけなのだが、念のためにと言われているのだ。
あまりふらふらとするわけにもいかず自室で暇を持て余していたところ謁見の申請があったと知らされた。名目とはいえ謹慎中のフレデリックが人と会って良いのかと思ったが、申請者の名を聞いて即座にグレアムに応接室の準備を頼んだ。
「レナード!!!」
中央棟の応接室に駆けこめば、そこには二日ぶりに会うレナードがいた。頬や額、手の甲にも小さなガーゼが当てられている。
「レナード!!どうした!?起きていて大丈夫なのか!?」
フレデリックが慌てて駆け寄り手を取れば、少し緊張した様子のレナードが「殿下」と小さく頭を下げた。
「この程度なら剣の稽古でも良くあることですから」
「どんな稽古をしてるんだお前は…」
レナードをすぐにソファに座らせると、フレデリックも正面に座った。何となく上から下まで何度も何度も確認してしまう。
「背中や内臓はどうだ?何だってもう動いてるんだ……」
リンドグレン侯爵家からは短くとも三日、長くて十日は様子を見ると連絡を受けている。明日にはレナードの容態を聞いて程よい頃にフレデリックがリンドグレン侯爵家を訪うつもりでいたのだが。
あまりにも何度も全身を確認するフレデリックに、レナードが苦笑した。
「背と脇腹に大きなアザはできましたが骨にも内臓にも幸い異常はありません。剣の稽古中に当たり所が悪かった時の方が酷いですよ」
「それもそれでどうかと思うんだが……いや、違うな。お前がそうやって日々努力してくれているからこそ僕らはみんな無事でいる。ありがとう、レナード」
フレデリックが真っ直ぐにレナードを見て礼を言うと、レナードは「いえ、はい」と困ったように眉を下げた。
グレアムが用意してくれた茶をひと口飲みレナードにも勧める。レナードもひと口飲んだのを確認して、フレデリックはもう一度聞いてみた。
「ところでどうしたんだ、レナード。何かあったのか?」
レナードはもうひと口紅茶を飲んでカップをソーサーに戻すと眉を寄せ、唇を引き結んで目を閉じた。何かを耐えるような、悩むような表情にフレデリックのみぞおちの辺りがぐっと重くなる。
「大丈夫だ、レナード。お前が何を言おうとも僕は最後まで聞く。言いにくいなら言えるようになるまで待つ。幸い、今の僕は時間だけは沢山あるんだ」
側近候補を辞めたい。レナードはそう言いたいのかもしれない。それは仕方のないことだし、フレデリックは無理強いをするつもりは無い。覚悟はできている。
ただし、諦める覚悟ではなく一度だけフレデリックに挽回する機会をくれるよう頭を下げる覚悟だ。
王族であるフレデリックが頭を下げることは本来であれば許されないだろうし結局無理強いすることにつながりかねない。けれどレナードとならしっかりと話し合えるとフレデリックは信じている。それでも気持ちを変えられなければフレデリックは潔く諦める。
フレデリックがゆっくりと頷くと、レナードが覚悟を決めたように顔を上げ「殿下」とフレデリックを見た。
「手紙を、読みました。花も、受け取りました」
言葉を選ぶようにレナードはゆっくりと言った。
「そうか、読んでくれたんだな。レナードの怪我が良くなったら僕が行くと書いたつもりだったんだが」
「はい。そう書いてありました。でも……それじゃ遅い。俺は、殿下に…覚悟を、見せないといけません」
「覚悟?」
一語、一語、噛みしめるように言うレナードにフレデリックは首を傾げた。覚悟が要るのはフレデリックの方だろう。
真剣な表情のレナードの意図が読めずフレデリックが二の句を継げずにいると、レナードががばりと立ち上がりフレデリックの横に来ると膝を付いた。
そうして深呼吸をすると、レナードはフレデリックを見上げ手を心臓の上に当てた。
「俺は…俺は主君を、殿下を守れませんでした」
「いや、あれは無理だろう」
フレデリックはぶんぶんと強く首を横に振った。どう考えても無理だ。大人である叔父とジェサイアがふたりがかりで倒したのだ。むしろあの状況で立ち向かい一矢報いたレナードは本当に凄い。
「分かってます。俺はまだ子供で、未熟で、自分の手で殿下を守れるなんて思い上がりでとんでもなく烏滸がましいと分かってるんです」
レナードは一度気持ちを落ち着けるように大きく息を吐くとまたぐっと目を瞑った。
「それでも俺は、自分自身が許せない…っ」
レナードは俯いた。噛みしめている唇がふるふると小刻みに震えている。
「殿下の護衛になるのは、俺じゃない方が…きっと、俺じゃなくても良いんです」
「レナード、それはっ」
「でも!!」
違うと続けようとしてレナードに遮られた。いつもじっと相手の言葉を待つレナードにしてはあまりに珍しい。フレデリックは思わず目を見開いて口をつぐんだ。
「でも……ですが俺は、俺の主君と仰ぐなら、殿下が良い。俺が剣を捧げるなら殿下が良い。俺が殿下の側にいたい」
レナードは俯き絞り出すように言葉を紡ぐ。フレデリックは膝の上でこぶしを握り、初めて自分の手が震えていることに気づいた。
フレデリックは覚悟をしていた。レナードにもアイザックにも愛想をつかされ、側近を辞めたいと言われるかもしれないと。でもこれは…きっとこの後に続く言葉は…。
「お願いです、殿下。俺にもう一度機会をください。これからもっと精進して殿下の側近として…護衛として相応しい騎士になってみせます。殿下を守れる男になる。だから…お願いです、殿下。俺に、もう一度俺に機会をください!」
跪いたままレナードが頭を深く深く下げた。よく見ればレナードの肩が小刻みに震えている。
無理をさせたのはたったの二日前。手紙を送ったのはほんの数時間前。
レナードの怪我が一番酷かった。きっと今こうしているだけでもかなり痛むはずだ。それなのに、レナードはどれだけの思いを持ってここまで来てくれたのだろう。
フレデリックが静かに控えていたグレアムを見ると、グレアムはいつもの微笑みでゆっくりと頷いてくれた。
泣き声になってしまいそうで一度熱い塊を飲みこむと、フレデリックは声の震えに気づかれないよう、あえて笑い混じりに言った。
「馬鹿だな、レナード。覚悟をするのは僕の方だろう?」
「え?」
レナードがぱっと顔を上げた。顔色が酷く悪い。
そのままでは怪我に響くかもしれないのでソファに座るように勧めたが、レナードは首を横に振りフレデリックの傍らに膝をつき続ける。仕方なくフレデリックはそのまま話を続けた。
「なぁ、レナード。レナードが僕の側近に相応しくないんじゃない。僕がレナードの主に相応しくないんだ。今の僕はまだレナードが命を預けてくれるに値する主じゃない。だから、機会が欲しいって、お願いするのは僕の方だ。そうだろ?レナード」
「殿下……」
全く思ってもいなかったというようにレナードは目を丸くして口をぽかんと開いた。
そんなレナードの顔が面白くて嬉しくて、フレデリックはへにゃりと眉を下げた。きっと父にそっくりのとても情けない顔になっているはずだ。
「今は、こんな僕だけど……僕はいつか、レナードが命を預けるのに相応しい王になる。今は全然だが、いつかレナードが仕えて良かったと思えるような主君になる。努力する。でも、僕はとても愚かなんだ。ひとりじゃ駄目なんだ。僕ひとりじゃ、きっと無理なんだ。だからレナード……共に、歩んでくれるか?こんな、僕だけど……」
上手い言葉が見つからず尻すぼみになってしまった。もっと格好良く、叔父のように凛々しく言葉を紡ぎたいのにフレデリックはさっぱりだ。あまりに情けなくてフレデリックの眉が更に下がった。
何をどう言ったら良いのか分からなくて、でも目を逸らすのも嫌でフレデリックが眉を下げたままじっとレナードを見つめていると、ぽっかりと開いていたレナードの口が閉まり、くっと、口角が上がった。
「俺で良いんですか?殿下」
「レナードが良いんだ、僕は。レナードも僕で良いのか?」
「俺も殿下が良いです」
「じゃあ、決まりだな」
「はい、決まりです」
フレデリックがにかっとはしたなく笑うと、レナードも目元を赤く染め更にぐっと口角を上げた。




