51.心の師匠
翌日の朝食の話題は銀一色から始まった。
「驚いたわ…意外と美味しいのね、少し独特だけれど」
「白身の魚……鶏?かと思ったよ……」
「ティーナも蛇さん、食べたのよお兄さま!ちゃんと美味しく、全部食べてあげたわ!」
朝食の席に着いてすぐに三人三様の感想を聞かせてくれた。
実際、グレアムと共に食べた銀大蛇のポワレは父の言う通り少々弾力のある白身の魚と鶏のささ身の間ほどの感じで、母の言う通り魚とも鶏とも違う何とも形容しがたい風味があったがセージの入ったハーブバターが添えられており、においがほとんど気にならず全て美味しくいただけた。
「大きい個体なので骨がありませんでしたが小さな個体だと骨が取れないので食べるのに苦労するのだそうです。食べるというより口に入れて骨を取るが近いとグレアムが教えてくれました」
昨日の夕食でグレアムに教わった知識を披露すると、母が興味深そうに目を瞬かせて首を傾げた。
「そうなのね。スープの出汁になっていたから知らなかったわ」
「………母上?」
「なあに?」
「食べたことが……?」
「あったわよ。ただ肉は無かったの。スープの出汁にしてくれたから」
「そうでしたか……」
淡々と話す母に忌避感はない。詳しく聞けばもしかしたらいつどこで食べたのかを教えてくれるかもしれない。けれど、何となく父の顔色が良く無い気がして、朝食の席ではそれ以上聞くことは止めた。
「銀大蛇はとても元気の出る食材なのだと教えてくれました。地方によっては銀大蛇ではない蛇が郷土料理の食材として使われていると」
「そうね、特に南の方では良く食べるわね」
「森林大蛇だったかい?」
「意外と食べられているんですね………」
「あら、地域によっては御馳走よ。場所によっては視察先で歓迎の料理として出てくるから。今のうちに知っておけたのはあなたにとってもティーナにとってもちょうど良かったわね。さすがに私も大型の銀大蛇を食べたのは初めてだったけど…個体数がとても少ないから」
「歓迎の料理ですか……」
ずいぶんあっさりと父も母も銀大蛇が皿に乗ることを受け入れたとは思っていたが、蛇というのがごくごく普通に食べられているものなのだと知りフレデリックは己の知識と認識の甘さを今日も再確認した。
地域や国が変われば文化が変わる。文化が変われば当然、食や生活も変わる。考えずとも当たり前のことだ。
フレデリックがいつか継ぐことになるこの王国は、元々の王国以外にも多様な民族や小国家が寄り集まって今の形になっている。フレデリックは次代の王として、目を瞑るのではなくもっと興味を持って良く知らねばならない。
「そうは言ってもね……」
母が頬に手を当ててぽつりと言った。
「王都を含めてほとんどの地域では蛇は嫌がられるわ。生き物としても嫌がられるし食べるなんて野蛮なことは以ての外…って者の方が多いのよ。逆に蛇を神聖視する者たちもいる。だから蛮族だなんて南や一部の地域を呼ぶ者たちも少なくないわ。」
「蛮族……」
「そうよ。女神の教えがあってすらそうなの。だけどね、忌避する者たちにもそれぞれの考えがあり文化があるわ。全てを受け入れろというのはとても難しいし、言うべきではない。その辺りの加減は、どうにも難しいわね」
『違いをこそ愛せ』
女神はそう言ったと聖典にはある。フレデリックも今回のことが無く、地方の視察へ行って突然食卓に蛇が乗ったら表情を取り繕えなかったかもしれない。歓迎されていないのかもしれないと邪推してしまったかもしれない。
「よく知らないまま嫌うのは違う。私の尊敬する人の受け売りよ」
難しい顔をして俯いていたフレデリックに母は微笑んだ。
「母上の尊敬する人、ですか?」
「そうよ、何人かいるうちのひとり。私の人生を大きく変えてくれた人」
ふふ、と母が声を出して笑いとても優しく若草色の瞳を細めた。きっとその人のことを思い出しているのだろう。
「それとね、知っても嫌いならそれは本当に嫌いなのよ。そうなればもう嫌いで仕方ないわ、そのままで受け入れるしかない。だから嫌いだと思ったら色々調べて知ってみると良いわね」
これも受け売りよ、といつも美しい母はにっこりと、とても愛らしく笑った。
それからすぐにダレルが父を迎えに来てフレデリックたちに微笑みと共に一礼し、しょんぼりと肩を落とす父を有無を言わさぬ笑顔で連れて行った。更にクリスティーナの乳母が興奮気味のクリスティーナを苦笑いと共に回収し、それからほどなくしてハリエットが母を迎えに来た。
「ハリエット、銀大蛇、懐かしかったわね」
「私も懐かしく思いました。あの頃はスープでしたが」
母の椅子を引いたハリエットと立ち上がった母の会話にフレデリックがはっと顔を上げるとばっちりと母とハリエットと目が合った。「おはようございます」とハリエットが微笑んでくれる。
「ああ。おはよう、ハリエット。ハリエットも銀大蛇を?」
「はい、お夕食にいただきましたよ。たいへん美味しくいただきました」
「ハリエットも平気なのか」
「私はメイウェザーですのでどこででも生きられるように仕込まれておりますから」
「じゃあ、母上に銀大蛇のスープを作ったのは、もしかして…」
「お察しの通りです」
にんまりと、ハリエットが悪戯っぽく笑った。完璧な淑女ではないときのハリエットはこんな風にも笑うのか。
「詳しい話は……?」
「殿下がお望みでしたらいずれ、機会があれば」
ハリエットの明るい笑顔がほんの少しだけ陰りを帯びた。どうも銀大蛇の食にまつわる話は大人たちにとって何かとても悲しいことにつながってしまうらしい。
「分かった。ハリエット、無理に話す必要は無い」
フレデリックが首を小さく横に振ると、ハリエットもまた首をゆっくりと小さく横に振った。
「いずれお話する日が必ず参ります。その時はどうか、私だけではなく皆の話を聞いてあげてくださいね」
淡く微笑んだハリエットの手を母がすっと取った。驚いたハリエットが母を見ると、母が首を傾げにこりとハリエットにやわらかく微笑んだ。ハリエットもまた、母を見て目元を和らげた
「ではね、フレッド。花は好きなものを添えなさい。花言葉はこの際気にしなくて良いわ」
フレデリックを振り返り、母はそう言ってにんまりと笑った。そうだ、花を贈る時には一般的には花言葉も考慮するのだ。すっかりと忘れていたがきっとグレアムなら詳しく知っているはずだ。
ハリエットと共に食堂を出ようとしていた母が「ああ、そうね」とぴたりと歩みを止めた。そうしてまたフレデリックを振り返り、ぽん、とハリエットの肩を叩くとにっこりと花が開くように美しく笑った。
「私の心の師匠よ」
「あ!」
目を見開いたフレデリックにゆっくりと頷くと、「何の話です?」と不思議そうに首を傾げるハリエットを伴って母は今度こそ食堂を出て行った。
あの受け売りはハリエットの言葉なのだろう。ハリエットの柔らかな笑顔に何ともしっくりと馴染む感じがして、フレデリックは「良く知らないまま嫌うのは違う」と小さく口に出して笑った。




