46.王妃の温室と王妃の花
フレデリックは母にふたつのお願い事をした。
ひとつ目は、母の庭園と温室の花を分けて欲しいということ。ふたつ目は、後日、この温室を貸して欲しいということ。そうしてもうひとつは、女性を招くときはどうすれば良いのか…というものだった。
「あらフレッド。気が早いわね?」
それは予測していなかったわ、と母がぱちぱちと若草色の瞳を瞬かせた。フレデリックも母の言うことがよく分からず濃紫の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「気が早いですか?」
「ええ、もう婚約者を決めるの?」
「え!?婚約者!?」
ぎょっとしてフレデリックが少し仰け反ると、苦笑した母が「座りなさい」とフレデリックが先ほどまで座っていた椅子を指さした。グレアムがすぐに椅子を引いてくれ、フレデリックは混乱したままその椅子に座った。
「あら、違うのね?てっきりこの間の茶会で気に入った令嬢ができたのかと思ったわ」
「ち、違います!!気に入った令嬢じゃなくて、あの、怒らせてしまった令嬢がいて!あの時はなぜ彼女が怒ったのか分からなくて!!でもすごく大事なことの気がして!!」
顔が熱い。そんなつもりでは無かったのだと言いたいだけなのになぜだか妙に焦ってしまう。フレデリックが忙しなく視線を動かしていると横からそっとカップが置かれた。はっと見上げればハリエットが青灰色の瞳を瞳を優しく細めて頷いてくれた。
――――あの子の瞳は、もっと澄んだ混じりけの無い碧だったな。
頭に浮かんできた少女の面影にフレデリックの頭に更に血が上った。慌ててカップの茶をぐっと飲むと、ぬるめに淹れられた茶は喉に優しく、少しだけフレデリックの頭を冷ましてくれた。母上がハリエットを重用するわけだとフレデリックは母の後ろに控えるハリエットを見て情けない顔で笑った。
それからすぐに母に向き直ると、フレデリックは姿勢を正した。
「あの……僕はその令嬢がどうして怒ったのかを聞きたいのです。きっと僕が何か、とても失礼なことをしたはずなんです。ですが僕には分からなくて……。だから理由を聞いて、納得できることならきちんと謝罪をしたいんです。僕が何を間違えてしまったのかをちゃんと知っておきたいんです」
「なるほどね。温室を使いたいのはそのためかしら?」
「はい、彼女をここに招けたら、と」
「そう……」
母は少し考えるように頬に手を当てると、「ルイザ」と母の侍女長を呼んだ。
「この温室は駄目ね。この時期だとどこが良いかしら?」
「お茶の時間にはそれなりに気温が上がりますし、今この時期に王子殿下がお呼びになれば要らぬ憶測を生む可能性が高いかと。お相手にもよりますが…花を眺めたいのであれば奥庭から入っていただいて中央棟の内宮側サンルームがよろしいでしょう。窓を開け放てば風も良く入ります」
ルイザの言葉に母が頷いた。
「あの、どうしてこの温室は駄目なのでしょうか?」
フレデリックが首をかしげると母とルイザが同時に「ああ」といった顔でフレデリックを見た。
「ここはどこか分かる?フレッド」
「はい、母上専用の温室ですよね?」
「そうよ。この国の王妃専用の温室。ここに招かれるのは王妃が特別に認めた者だけよ。…あなたはもうすぐ十歳になるわね?フレッド」
「はい、あと四ヶ月と少しで」
あと四ヶ月と少しでフレデリックは十歳になり、その日に立太子して王子から正式な王太子になる。
「そうね。十歳になると婚約ができるようになるわ。つまり十歳になる寸前の今、他でもない王妃の温室に招かれるあなたと年の近い令嬢がいるとすればそれは…」
母はそこで一度言葉を区切り、にんまりと、初めて見るような悪い顔で美しく笑った。
「あなたの婚約者に内定した令嬢、ってことになるのよ」
「そんなつもりでは!!!」
またもフレデリックの頭に血が上る。確かに可愛らしい令嬢ではあったがフレデリックにはまだそんなつもりはない。
「でしょうね。まあ、茶会に招かれていた子たちの中でもあなたの婚約者にできる子とできない子がいるわ。その令嬢の名前は分かるかしら?」
「それがその、初めから言い合いのようになってしまって名前を聞きそびれてしまって……」
しょんぼりとフレデリックが肩を落とすと、母がちらりとグレアムを見た。フレデリックもちらりとグレアムを見上げれば、グレアムはにこりと笑って頷いている。
「フレッド、覚えている特徴はある?」
「はい、えっと。髪は母上よりも濃くて父上よりも薄い金で、目はとても…とても綺麗な澄んだ碧……今日の空よりも少しだけ濃い碧で、とても可愛い、見ただけならとても可憐な御令嬢で………」
思い返しても、あとは特徴と呼べるものが思い出せない。怒った顔、嫌そうな顔、それと口を大きく開けて笑った顔。鮮やかに思い出せるのにどう説明したら良いのか分からない。
フレデリックが言葉を探して唸っていると、グレアムがフレデリックの横に跪いた。
「水色の小さなリボンの沢山ついた淡いピンクのドレスの御令嬢でいらっしゃいましたか?」
「そう、その御令嬢だ!同じ水色のリボンを濃い金の髪にいくつかつけていた!」
「フェアフィールド公爵家のロザリンド公女でいらっしゃいますね」
「あらやだ、大本命じゃない……」
フレデリックが大きく頷くと、母が目を丸くして口元に手を当てた。心なしか口角が大きく上がっている。
「だいほんめい……?」
「こちらの話よフレッド。ちょうど良いわね、私が品種改良した薔薇が見頃になるし少し急だけれど茶会を開くわ。フェアフィールド夫人に頼んで令嬢もこっそり連れてきてもらいましょう。私の庭と中央棟のサンルームなら見えないとはいえ生垣を挟んで目と鼻の先だし夫人も安心できるでしょう」
そう言うと母は「ルイザ」とまた侍女長を呼び「日程の調整を」と頷いた。侍女長は「かしこまりました」と頷いて音も無く温室を出て行った。
ハリエットも音がしないがルイザも音がしないのだなとフレデリックはぼんやりとその姿を見送った。
「花はフェアフィールド公女に贈るのかしら?」
「あ、そのつもりもあったのですが、レナードとアイザック…スペンサー侯爵と、それから迷惑をかけた人たちに謝罪の手紙を送りたくて」
レナードとアイザックはもちろんだが、リリアナやキース、ジャックやケネスにも送りたい。騎士団長たちにもだろうか。考えれば考えるほど沢山の人が浮かんでくる。
本当は直接会って謝りたいがそれぞれに予定もあるだろうし少し時間がかかるかもしれない。だから先に、気持ちだけでも送っておきたい。
「そこに私の庭園の花を?」
「はい、母上の庭の花は珍しいものが多いので喜ばれるかと思いました」
「なるほどね……」
母はまた考えるように頬に手を当てると、小さく頷きフレデリックに向き直った。
「ねえフレッド。あなたは私の庭園にしかないような珍しい花を贈るつもりなのよね?」
「はい。あまり見ないものの方が花は…せめて花だけは喜んでもらえるかなと」
「そうね、珍しい花はもらえると嬉しいわ。でもね、私の庭の花だと分かる花を添えて謝罪の手紙を送る意味が、分かるかしら?」
「え?意味ですか?」
「そうよ。私…王妃の花を添えて謝罪の手紙を送る意味、よ」
フレデリックは俯いた。母の…王妃の花を添えて贈る意味。それはきっと、王妃がその手紙の存在を知っていると知らせる意味にもつながるのだろう。
「えっと、母上も一緒に謝罪していることになる…?」
「そう思ってくれればまだ良いのだけどね?」
そう言うと、「人の見方はそれぞれなのよ」と母は困ったように微笑んだ。




