44.王家の男子
何かを考えるように口元に手を当て、眉間にしわを寄せてうつむいている母を見て叔父が困ったように笑った。
「けどそれもさ、ちょっと考えれば分かることなんだけどな?」
「何がよ」
フレデリックの方を見て眉を下げると、また母を見て叔父は肩をすくめた。
「セシリアは並の女じゃねえ。俺と兄上とこの国……全部まとめて無茶苦茶やってもため息ひとつで全部収めるところに収めちまうとんでもねえ女、ってことだよ。毎度説教はあるがな」
「褒められている気がしないのはなぜかしら」
「最上級に褒めてるぞ、一般的な貴婦人に対する誉め言葉じゃないがな」
楽しそうに笑う叔父に、「全くもう」と眉をひそめながらも母の口角は上がっている。そんなふたりを交互に見ながら父が体をゆらゆらと揺らし、にこにこととても嬉しそうに眉を下げて笑っている。
三人は本当に仲が良いのだなと、フレデリックは初めて知った。
そういえば、三人がこうして公ではない場で会しているのをフレデリックはあまり見たことがない。朝食も別だし、それ以外にも見ない。そもそも誰もが忙しそうで、こうして揃うことが中々無いのかもしれない。
母のこんな表情も崩れた言葉もはきはきと言い切るような話し方も…フレデリックが見たことが無かったのはそもそも引き出せる人が少ないのかもしれない。
ひとしきり笑うと、叔父はフレデリックの方を向いて頷いた。
「あのな、フレッド。お前の母上はお前がちょっとばかし悪さしたり突拍子もねえことを言い出しても驚きもしねえし動じもしねえ。たいていのことは俺とお前の父上でとっくにやってる」
「あの、それは良いんでしょうか、悪いんでしょうか……?」
「悪いわよ、フレッド」
「う、ごめん、セシィ」
父はまたしょんぼりと肩を丸め、叔父はまたからからと声を上げて笑った。母は呆れたようにそんなふたりを交互に見てため息をついている。
――――違うからこそ、かもしれませんよ。
グレアムの言葉が浮かんできて、またフレデリックはグレアムに会いたくなった。そうして、レナードとアイザックにも。あの言葉を聞いてからまだ一日しか経っていないことがフレデリックにはどうにも信じられない。
フレデリックが紅茶のカップを両手で包みぼんやりと揺れる水面に映る自分の影を見つめていると、叔父がフレデリックを呼んだ。
「だからな、フレッド。まぁ…あれだ。俺と兄上が信じられなくてもな、母上だけは信じてやれ。母上に相談すりゃあたいていのことは何とかなるし、駄目ならちゃんと駄目だって言ってくれる。お前の母上はそんなことでお前を嫌うことも呆れることもねえよ」
カップから顔を上げればフレデリックと同じ濃紫の瞳が優しく細められていた。
「僕は叔父上と父上も信じたいです」
「そうだな、そこはお前が決めろ。お前の心がどう動こうとも俺と兄上がすることは何も変わらない。今も昔も、これからもな」
そう頷くと、叔父はまた、ずっとフレデリックが嫌っていたはずのはしたない顔でにかっと笑って「そうだろ?」と言った。フレデリックはもう、叔父のこの笑顔が嫌いではない。むしろ何よりも叔父らしいと思う。
フレデリックも叔父を見て、「はい!」と叔父の真似をしてにかっと笑ってみた。上手くできたかは分からないが、見ていた母が「全くもう…」とため息を吐いて呆れたように笑い、父は「そうだね」と嬉しそうな顔で何度も何度も頷いていた。
「まあ、あとはあれだな」
叔父が何かを思い出したように頷くと、ベンジャミンが皿に追加した焼き菓子を咀嚼しつつ母を見た。にんまりと笑った叔父に母の眉間に少しだけしわが寄った。
「あとは何……」
「男子ってのはどうしても冒険が好きなんだよなぁ。こう……目の前に謎とか不思議とか出されると、ついうっかり突っ走りたくなるって言うかさ」
叔父が「な、フレッド?」とフレデリックを見て首を傾げた。何だか可愛らしい行動にフレデリックも反射的に頷く。父も「そうだよねぇ」と何かを思い出すようにしみじみと言っている。きっとフレデリックの知らない大冒険の話が沢山あるのだろう。
「好きなのは良いし突っ走るのも構わないわ。問題は突っ走ってしまう度合いが酷いことよ」
母は特に怒るでもなく、茶に口をつけつつ淡々と言った。
「突っ走る度合い…?」
フレデリックが母を見ると、母が頷き、ぐっと眉間にしわを寄せて「良いこと?」と言った。
「近場の立ち入り禁止区域への立ち入り程度はどこの子供たちもだいたいやるわね。私もやったもの。でもね、たいていは奥深くまで行かずに満足して帰るか早々に保護されるのよ。保護者公認で奥地まで行って蛙に踏まれて蛇に食べられかけるなんて普通はやらないし、やったら生きて帰ってこないわよ」
「そ、う、ですね」
全くその通りなのだが、フレデリックはそれ以上何も言えずにきょろきょろと視線を泳がせた。「母上もやったのですね」とは、聞きたいが恐ろしくてフレデリックにはまだ聞けそうもない。
「そこはさ、ほら。やっぱできることと動かせる人間が多い分な?」
「その分、毎回の被害が大きいのよ」
「う…ごめんね、セシィ………」
叔父は明後日の方向を見つつ「まあな」と誤魔化すように笑って茶を飲み、父はまたしょんぼりと肩を落として背を丸めた。フレデリックがどう反応して良いか分からず視線を落として何度も瞬きをしていると、母が「はぁぁぁ」と淑女にあるまじきため息を吐いた。
「ねえフレッド」
「はい、母上」
フレデリックが顔を上げれば、母は呆れた顔…ではなく、とてもとても優しい、慈しむような目をして困ったように笑っていた。
「あなた、お父様と叔父様を駄目だって言ってたでしょう」
「え!?」
フレデリックは思わず仰け反った。まさかそんな顔でそんなことを言われるとは思ってもみなかった。
「う、はい。今は思ってないです……ちょっとしか」
「ちょっとは思ってんのかよ」
「う……そうだよね……」
楽しそうに叔父は笑い、父は更に背を丸くした。「そうだよね……駄目だよね……」とどんどんと小さくなっていく父に、ダレルが微笑み何事かを囁きながらポケットから何かを出して父に渡している。
小声過ぎてフレデリックにも聞こえないが、ちらりと叔父の方を向けばフレデリックの視線に気づいたベンジャミンがテーブルの下で何かを探り小さな包みを取り出して軽く振った。あれは飴だろう。ダレルが父に渡したのもまさか飴ということだろうか。
フレデリックがこくこくと頷いているとベンジャミンの飴は横からひょいと叔父にさらわれた。ベンジャミンは呆れた顔で叔父を見てきゅっと眉をひそめて小さくため息を吐くと、またフレデリックを見て軽く肩を竦めてにっこりと笑った。
良い側近のポケットにはどうも飴が入っているものらしい。もしもスペンサー侯爵の許しがもらえたら、アイザックもポケットに飴を入れていてくれるだろうか。できればミント味が良い。
「全く、あなたたちは…」
呆れたような声がして振り向くと、母がテーブルに頬杖をついてフレデリックを見ていた。母でも頬杖をつくのだなと、おかしなところでフレデリックは感心した。
そんなフレデリックの考えが見えたわけでは無いだろうが、母は小さくため息を吐くとまたとても優しい、けれど呆れたような顔で柔らかく笑った。
「言っとくけど、あなたも十、分、王家の男子だと思うわよ……」
「はい、そうみたいです」
十分と、力を込めて言った母にフレデリックは笑った。
きっと三ヶ月間のフレデリックなら眉をひそめ心底嫌そうに自分は違うと言葉を尽くして抵抗した。けれど今は嫌ではない。少しだけ…いや、かなり嬉しいと感じる。
フレデリックも父や叔父と変わらず王家の男子なのだ。




