43.この程度
「まったく……全てあなたの思惑通りかしら?レオ」
ハリエットが淹れた茶を一気に飲むと母がため息をついて叔父を見た。ハリエットがまたすぐにおかわりを注いでいる。
「いえ、陛下のこれほどまでの暴走はさすがに予想外ではございましたが……。そう仰る王妃殿下も私が何も言わずとも平和裏に収めるおつもりでいらっしゃいましたでしょう?」
叔父がまた優雅に微笑む。久々に見る公の叔父の姿なのだが、フレデリックはどうにも落ち着かない。今まではただ格好良いと思っていたのに、なぜか「違う!」と叫びたくなる。
「どうしてそう思うのかしら?」
「そうでなければこの温室に我々をお呼びにならないでしょう。この王宮内で最も侵入が難しく、最も盗み聞きされないこの場所に」
「どうせレオが先回りして対処してるだろうと思ってただけよ。ていうかレオ、そろそろその話し方を止めて。気持ち悪いわ」
優雅に美しく微笑んでいた叔父の顔が一気に渋面になった。そうして伸ばしていた背筋をだらりと背もたれに預けると、これ見よがしに大きなため息を吐いた。
「いや、一般的な貴族の話し方して気持ち悪いって言われるのもどうなんだよ……」
「仕方ないじゃない、気持ち悪いんだもの」
「これだよ………」
母が焼き菓子をひとつ取ると口に入れた。一気に場の空気が緩む。説教の時間はこれで終わりなのだなと、フレデリックは肌で感じた。
母の前で立っていたフレデリックたちもそれぞれの席に戻ると、母の侍女たちが冷めた茶のカップを下げ新しいものを用意してくれる。父のあとにフレデリックの前にも湯気の上がるカップが置かれ、顔を上げるとハリエットがにこりと笑ってくれた。
ふと、首元のブローチに目が止まる。つい今しがた同じようなものを見た気がしてきょろきょろと首を動かすと、ハリエットが次に茶を出した相手、ダレルの胸元に同じ意匠のクラバットピンが光っている。赤と緑の数が違うが。
叔父がどうにか晴れにしないといけないハリエットの結婚式の花婿がフレデリックにもようやく分かった。
「あのな、セシリア。一応言っとくが、今回の件はお前も悪いんだからな?」
出された茶をひと口飲み、焼き菓子をひとつ食べて「食べろ」と左右に座る側近ふたりに声を掛けた叔父が母を見た。ベンジャミンとジェサイアは頷くと、嬉々として焼き菓子に手を付けている。
「私が?」
いぶかし気に首を傾げた母に叔父が肩を回しながら頷いた。
姿勢を無理やり正していて凝ったのだろうか。それともフレデリックと同じで気疲れだろうか。母の空気が緩んだことで何だかどっと疲れた気がする。ハリエットの淹れてくれた茶が体に染みる。とても美味しい。
「おう。俺と兄上はフレッドから見れば頼りなくて相談できる相手じゃ無い、それは分かるよな?」
「それ、堂々と言うことかしら?」
背もたれにもたれて紅茶のカップを片手に悪びれもせず言い切った叔父に、母が呆れたように半目になった。
フレデリックは父はさておき叔父はとても頼りになる大人だと思っている。今は。慌てて否定してみたが、叔父ににやりと笑われた。
「叔父上、そんなことは!」
「無かったか?」
「無く…は、無かった、です……」
フレデリックはどう言えばよいか分からず目を泳がせると小さく小さく頷いた。
つい先日まで、間違いなくフレデリックは父と叔父を頼れない、尊敬できないと思っていた。叔父にも、『馬鹿だと思ってただろう?』とあっさりと見抜かれていた。嘘を吐く意味はない。
「だろ?んでセシリアには良いとこ見せたくて、我儘を言っちゃいけない気がして、幻滅されたくなくて言いたいことが言えない……違うか?」
「違う…くは、無いです」
「幻滅って…するわけないでしょう?こんな程度で」
「こんな程度……?」
フレデリックは目を見開いた。口も若干開いてしまった。
あれは『こんな程度』なのだろうか。一国の王子が側近候補と共に護衛も振り切り子供だけで危険区域に入って怪我をして帰って来るのは。
絶対に違うとフレデリックは思ったが、余計なことは言わないことにした。幸い、フレデリックのぽつりとした独り言は叔父にも母にも聞こえていないようだ。
「だからお前のせいでもあるんだよ、セシリア。お前は『いつも良い子でいないと認めてくれない母親』だってフレッドに思われてんだよ」
肩を竦めた叔父に、母がぐっと眉間にしわを寄せて少し考えるように視線を斜めに向け、首を横に振りつつ嘆息した。
「………否定できないわね」
それも見抜かれていたのだと、フレデリックはきゅっと背中を丸くした。
母のようになりたいと言いながら、フレデリックは母のように『ならなければいけない』とも思っていた。嫌われるとまでは思っていなかったが、唯一尊敬できると思っていた母にがっかりされるかもしれないのが恐ろしかった。
「そういうことだよ。ただまぁ、そこも結局俺と兄上のせいでもあるんだよなぁ……」
「どういうこと?」
母が何事かをリビーと呼ばれた侍女に囁くと、侍女がひとつ頷いて下がっていった。
「なあ、フレッド」
「…はい、叔父上」
口に入れていた焼き菓子を急いで咀嚼して飲み込むとフレデリックは叔父を見て頷いた。
「お前の母上は、俺とお前の父上をどう思ってるように見える?諦めて、嫌って、幻滅してるように見えるか?」
「あ、えっと……少なくとも嫌ってはいない、と、思います」
絶対に呆れてはいると思う、とはフレッドは言わない。だがきっと叔父にはお見通しなのだろう。叔父は目を三日月に細めると「ふーーーーん?」と笑った。
「まあ、そうだな。んじゃ、お前の母上が父上の婚約者になってからもう二十年以上だ。その間、俺たちが大人しかったと思うか?」
「まったく思いません」
そこは即答かよ、と叔父はからからと楽しそうに笑う。
「でだ、俺とお前の父上がこんだけ無茶苦茶やってそれでも見捨てずにいてくれる母上だぞ?お前がちょっと無茶したり我儘言ったくらいで動じると思うか?」
「ない、でしょうか」
「そういうことだな。まぁあれだ。俺と兄上が馬鹿ばっかりやってセシリアを怒らせてばかりいるからな、フレッドの中では馬鹿をやると母上に嫌われる…ってなっちまってるんだろうなぁ」
「ああ…そういうこと………」
母が何かに納得したように頷いた。そうして頬に手を当てると「難しいわねぇ…」とため息交じりに呟いた。




