42.侍従
母はじっとフレデリックを見つめ、それから叔父に視線を移した。母の表情が口元にだけ微笑を浮かべた王妃の顔になり、叔父の顔がまたすぐにきりりと引き締まった。
「状況は理解しました。グレアム・ブライ、ジャック・タイラー、ケネス・コーツの三名に関しては今回の件は不問とします」
叔父をちらりと見上げれば、叔父ががきゅっと、ほんの少し目を細めて応えてくれた。フレデリックを見守ってくれていた三人が咎められることは無い、そのことがどうしようもなくフレデリックは嬉しいが、何とか表情には出さないように耐えた。
「リリアナ・エヴァレット、キース・リンドグレンの両名はレナード・リンドグレンの近しい関係者であることから詳細は知らされずとも今回、森で何かがあったことは伝わるでしょう。そうなればいらぬ責任を感じる可能性がありますから私から一筆書きます。うちの男どもが本当にごめんなさいっ、て」
罰を与えるはずがこちらからの謝罪に変わった。しかも王妃直筆。
確かに、森でフレデリックたちに何かあったと聞けばリリアナは自分を責めるかもしれない。フレデリックはこれからもリリアナとキースと一緒に森に入りたい。次に会ったら詳細は語れずともフレデリックからもちゃんと謝罪しよう。
母がいらぬ責任と言ったことはフレデリックは聞かなかったことにした。
「それと、レナード・リンドグレン、アイザック・スペンサーの両名は私からは何もしないわ。罰しもしないし引き止めもしない。あなたが自分で何とかしなさいね、フレッド」
「母上……!」
母は何もしない。つまり、ふたりとも咎められることはないということだ。心の底からほっとして、フレデリックの瞼がぐっと熱くなった。
けれどまだだ、まだとても大切なことが残っている。零れ落ちそうになった雫を俯き手の甲でぐっとぬぐうとフレデリックは顔を上げた。
「はい、母上。僕自身の言葉で、僕が話します」
「一応言っとくが、俺もお前の側近候補については何もしないぞ?………つってもまぁ、俺は、だがな」
そう言うと、叔父は肩をすくめてちらりと父の隣を見た。それまで父の隣でただ静かに控えていた父の侍従が立ち上がり、フレデリックの横へ跪くと、胸に手を当て目元を柔らかくして微笑んだ。
「リンドグレン侯爵家からは殿下とご子息の意思で決めて良いとのお答えをちょうだいしております。スペンサー侯爵家からも、辞退の意思はあるが辞退も継続も本人の意思を無視してまで推し進めるつもりはないとのお言葉をいただいております。令息の意見を聞き、殿下と直接お話をしてその結果で考える、と」
フレデリックは大きく目を見開いた。昨日、フレデリックの目が覚めた時にもその後にもこの侍従はいなかった。父の侍従でありながら父の側に侍りもせずどこにいたのかと思っていたが…もしやフレデリックのために動いていたのだろうか。
「話を、聞いてもらえるのか……?」
「はい。両家ともご子息のお怪我の具合もございますので数日は様子を見たいとの仰せです。スペンサー侯爵家はまずはスペンサー侯爵とのお話となりますが…」
「良い。もう二度と会えないかもしれないと思っていた。機会をもらえるなら、それで十分だ。あとは僕が頑張るだけだから」
フレデリックが力強く頷くと、父の侍従は綺麗な緑の瞳を細めてゆっくりと頷いた。
「離宮や関係者への根回しも済んでおります。陛下と殿下たちの冒険が公になることはございません。ご安心くださいませ」
「あなたは……」
「ダレル・ストークスでございます」
父の侍従…ダレルはまた胸に手を置いて頭を下げた。落ち着いた静かな声と穏やかな微笑み。こうして改めて見ると、エメラルドの瞳とブルネットの髪が相まって、まるで静かに佇む大きな木を見ているような、そんな不思議な安心感がある。
「そうか。ダレル殿は、昨日の間に……?」
「陛下のなさることを収めるのが私の職務ですので」
「ああ、そうか。だからあなたはいつも後ろに控えているのか……」
ただ父の後ろに立っているだけの頼りなさげな侍従かと思っていた。けれどダレルは常に父の側に控え、何かが起これば真っ先に動き、影響を最小限にするために力を尽くしてくれる、とても大切で重い役割を担う人だった。
ふと見ると、父が眉を下げて困ったように笑っている。なぜ常に父の側にいるのがダレルだけなのかは分からないが、もしもずっとひとりで父の暴走が起こるたびに対処していたのなら、頼りないどころか王家の救世主ともいえるのではなかろうか。割と大げさではなく。
「本来でしたら未然に防げるのが一番なのですが、昔から私では力が及ばないものですから」
そう言って眉を下げダレルは力なく笑った。よく見れば目の下にくまがくっきりと残っている。昨夜の間にずいぶんと無理をしてくれたのだろう。慢性的なものでは無いと良いのだが。
フレデリックは首をふるふると横に振ると、頭を下げる代わりにゆっくりと頷いた。
「いや……あなたがいてくれたからこそ防げたことはたくさんあるはずだ」
「もったいないお言葉にございます、殿下」
少し目を見開き、嬉しそうに、照れくさそうにダレルは笑った。そうしてフレデリックの向こう、少し離れた場所を見て目元を更に柔らかくした。
その目元の柔らかさに、フレデリックはもうひとりの侍従を思った。フレデリックの侍従。王太子宮へ入ればメイに変わりいつもフレデリックの側に控えていてくれるはずの人。
「あの」
「はい、何でございましょう?」
「その……グレアムが、辞退するというのは………?」
「ああ、そちらの件でしたら」
ダレルが緑の瞳を優しく細めてすっと叔父の方を見た。叔父を見ると、片方の口角をきゅっと上げてフレデリックを見ると、大変貴族的な、見惚れるほど美しい微笑を浮かべて胸に手を当て母に軽く頭を下げた。
「王妃殿下。グレアム・ブライが王妃殿下に申し上げたことを王子に『正しく』お伝えになるべきではございませんか?」
顔を上げた叔父がまた貴族的ににこりと笑うと、母が心底嫌そうな顔で叔父を見て「ほんと腹の立つ顔ね」と言った。
「あのね、フレッド。私がグレアムに、今後もあなたの侍従を続ける気があるならあなたの様子を嘘偽りなく私に逐一報告しなさいって言ったのよ。そうしたらグレアムはね、『どのような形になっても私から王子殿下の元を去るつもりはありません。ですが唯一、私があの方の何らかの枷にされるくらいでしたら侍従の座を辞退いたします。私が望むのはただ、王子殿下が健やかにのびのびと成長なさることだけ。侍従でなくともお側にいる方法はいくらでもありますでしょう?』って笑って言ったのよ。あなたの母親であり王妃である私に対して、これからもあなたの意志を優先するって言い切ったの。大したものよね……あなたの目は正しいわよ、フレッド」
母は肩を竦めると、「私も喉が渇いたわ」と上座に座りちらりと後ろを見た。すぐにハリエットがカップを用意して茶を注いでいる。
「グレアム………」
昨日、離宮で別れてからまだ一度も会えていないグレアムに、フレデリックはたまらなく会いたかった。会ってグレアムにも、ごめんなさいとありがとうを沢山言いたいと心から思う。変わらず側にいてほしいと…叔父のように抱きつくことは許されないだろうけれど。




