37.それでもどうしようもない時は
「良いのか?フレッド」
フレデリックがはっとして顔を上げれば、自分を見つめる叔父の濃紫の瞳と目が合った。
「お、じ、うえ……?」
「言いたいことは無いのか?これで良いのか?」
椅子の背もたれに寄りかかって腕を組み、首をかしげた叔父が口角を上げる。
「あ……」
「良い子のまま、このまま聞き分けの良い王子で、終わるか?」
お前は本当はどうしたいんだ?そんな言外の声が聞こえる気がした。
じっとフレデリックを見つめる叔父に、フレデリックは昨日のことを思い出した。叔父はフレデリックに、何と言っていただろう。ちらりと叔父の横を見ればベンジャミンもジェサイアもフレデリックを見つめている。叔父の信じる者たちが、じっと黙ってフレデリックの言葉を待っている。
叔父は昨日、フレデリックに何と言った。
「あ………いや、です」
震える声でそう呟けば、叔父の口角がぐっと上り、濃紫の瞳が細まった。そうだ、叔父は『言え』と言ったのだ。嫌なら言えと、良い子でなんて、いるんじゃねえと。
フレデリックは微笑む叔父にひとつ頷くと母に向き直った。
言うべきは言わなければならない。やれることはやらなければならない。うまくできるかじゃない、できなくても、フレデリックはやらなければ。フレデリックが責任を取ると決めたのだから。
「嫌です…いえ。王妃殿下に申し上げます」
フレデリックは椅子から立ち上がり、手を胸に当てて母を真っ直ぐに見上げた。
「リリアナ・エヴァレット嬢もキース・リンドグレン令息も他意など無く、ただただ僕たちに森を教えてくれました。森の歩き方を教え、森の危険を教え、森の豊かさを教えてくれました。エヴァレット嬢は未来を……この国の未来を豊かにする人材です。きっと彼女が興味のままに動くことは必ず国を豊かにする……制限するなど考えるべきではありません。そしてリンドグレン侯爵家を継ぐキース殿はエヴァレット嬢を誰よりも理解し誰よりも彼女を自由でいさせてあげられる」
母はフレデリックの言葉を遮ることなく黙ってじっと耳を傾けている。
論理性など欠片もない。ただのフレデリックの印象で、フレデリックの感想だ。まだ立太子すらしていない九歳のフレデリックがそう思った…ただそれだけのことだ。
「ジャック卿とケネス卿はその容姿だけでなく人柄にも優れるように僕には思えます。僕の護衛として以外にも何度か見かけていますが、彼らは僕たちのような子供にはもちろん、第一騎士団の騎士でありながら身分や性別問わず常に他者に礼節を持ち接しているように見えました。彼らは現第一騎士団長の目指す第一騎士団にきっと必要な人材でしょう。それはきっと僕の望む形でもある……どちらも、損ないたくない人材です」
いつかの日、フレデリックは第一騎士団を変えたいと思った。レナードの父も、ジャックとケネスも、フレデリックの第一騎士団への偏見や思い込みを見直すきっかけをくれた。きっと彼らは第一騎士団を良い方へと導いてくれる。
それに、いつかまたあの長剣を見せて欲しい。今度はケネスの長剣も。
「グレアムは……そう、いつも、僕をちゃんと見てくれて。僕の言葉を聞いてくれて、僕と一緒に考えてくれて、見守っていてくれて」
グレアムと、名を呼ぶだけでフレデリックの瞼が熱くなった。
グレアムがフレデリックに付いたのは今年に入ってから…たったの半年足らずだ。それも常についていてくれたわけではない。
けれどフレデリックにとってグレアムはもう信じられる大人のひとりだ。ほんの二ヶ月ほど前まで誰も頼れないなどと思っていた自分が不思議でならない。王太子宮に行くのは、グレアムも一緒が良い。一緒でなくては嫌だ。
「レナードは、アイザックは……。彼らも、僕が間違っていたらちゃんと言ってくれます。僕が、聞かなかっただけで。僕が見えなかったところもちゃんと見ていてくれます。僕が受け入れなかっただけで」
レナードもアイザックもフレデリックが王子だからと媚びもせずへつらいもしなかった。ただ従うのではなく、共に考え、おかしいと思えば何度も声を上げてくれた。
子供だから…そうかもしれない。けれど、力の強い者に声を上げることはとても勇気が要ることだ。それは大人でも子供でも変わらない。
彼らは自分たちのためではない、フレデリックのために声を上げてくれていた。
「こんな僕なのに…叱られるって、駄目なことだってちゃんと言ってくれたのに、それでも僕が行くなら最後まで一緒に居るって、どこへでも一緒に行くって、言ってくれて…」
何度も引き返す機会はあったはずなのに、何度も戻る機会はあったはずなのに、ふたりはフレデリックと共にあることを選んでくれた。それに…。
フレデリックは大きく息を吸い込んだ、ぐっと息を止め、零れ落ちそうになる涙を飲みこむとゆっくりと息を吐いた。
「身を挺してまで…僕は何もできないのに、こんな、情けない僕なのに、こんな……」
声が震えて、うまく言葉が出ない。もっとはっきりと母に伝えたいのに、情けないフレデリックは思い出すだけで泣きたくなる。みるみる腫れていくアイザックの頬を、フレデリックを助けるために倒れ伏したレナードの姿を。
何もできなかった自分が情けなくて、責任すらまともにとれない自分が情けなくて、こんな自分に気づけなかった自分が情けなくて。そんな情けない自分を守ろうとしてくれたことが嬉しくて申し訳なくて。
「でも、だけど、色々なこと、本当はどうでも良くて……。みんな僕が……僕が見つけた信頼できる人たちで、これからも一緒に居たいって思える人たちで、だから、でも……」
まるで駄々っ子だ。欲しい欲しいとただ喚くことしかできない。
そもそもレナードとアイザックがまだフレデリックと一緒にいたいと思ってくれるのかも分からない。グレアムだって侍従を辞退すると言っていた。ジャックとケネスもかなり困らせた上に罪を負わせた。リリアナもキースも、善意を利用して巻き込んでしまった。
だからこれは完全にフレデリックの独りよがりの我儘だ。
嫌がられたら素直に身を引こう。けれど、可能性が少しでもあるならフレデリックは諦めたくない。諦められない。
「僕は、嫌です。これからも一緒に居たい、共に歩みたい、これからを、未来を、一緒に考えて、一緒に…一緒に…………。僕が、離れたくないんです。でも、今の僕には何もなくて。情けない僕には母上に返せる言葉が無くて。愚かな僕には彼らに差し出せるものが無くて。でも、だけど………」
浅はかで、決して正しい行動では無かったと思う。
けれど昨日という日がなかったら、この約二ヶ月がなかったら、きっとフレデリックは色々なことに気づけないまま何も知らない愚かなフレデリックのままだった。
今も過ぎるほどに無知で愚かだけれど、少なくとも、自分は無知で愚かなのだと気付くことはできた。
そして何より、頼れる者が…これからもずっと共にありたいと願える者が、フレデリックにはできた。だから…。
「僕は、彼らと一緒に未来を作っていきたい。でも、今の僕には守る方法が分からない。だけど諦めたくない、失いたくない、だから……」
考えても、頑張っても、それでもどうしようもない時は、その時は――――。
「教えて、ください――――助けてください!叔父上!!!!」
頼るしかできない自分があまりにも情けなくてフレデリックが眉を下げて振り向けば、叔父が嬉しそうに濃紫の瞳を細めてフレデリックを見ていた。




