36.罰
そのまま朝食は生ぬるい空気の中で進められ、少々居心地が悪いながらも温かな気持ちのままでいつも通り各自解散となった。
が、当然そこで終わるわけはない。しっかりと午前の茶の時間に母の温室に呼ばれた。もちろん、父も、叔父も、叔父の側近も。今日は昨日いなかった父の侍従も控えている…というより父の隣、テーブルに付かされている。
時間よりも早く来たはずだが結局最後のひとりとなったフレデリックに、朝とは打って変わって仁王立ちの母がにっこりととても美しい、凄みのある笑顔で微笑んだ。
「座りなさい、フレッド」
「母上。あの、本当に申し」
「座りなさい」
「う、はい」
まずは謝罪をと思ったフレデリックをぴしゃりと遮り、母がテーブルを指さした。長机の、父の隣…フレデリックを見据える母の目の前に座ると、母が仁王立ちのままで腕を組んだ。
「まず最初に、今回の件で関わった者たちについてです」
「え?はい」
無茶をしたことに対して叱責をされるのだとばかり思っていたフレデリックは拍子抜けした。何だろう、関わった者たちについてとは。
「まず、離宮の森へあなたたちの案内をしたリリアナ・エヴァレット伯爵令嬢とキース・リンドグレン侯爵令息」
「……え?」
突然、昨日はいなかったはずのふたりの名前が出てきてフレデリックはぎょっとした。どういうことだろう。母の顔を見るも淑女の笑みを浮かべたまま表情が読めない。
「あなたたちが行方不明になったときは同行していなかったとはいえ彼らが森を案内し、エヴァレット嬢から手紙が来た結果あなたが行方不明になりました。よって、彼らは学園を卒業するまで離宮の森へ入ることを制限します」
「そんな!!彼らは何も悪く」
「黙りなさい」
またもぴしゃりとフレデリックを黙らせると母は淡々と続けた。
「あなたたちの護衛だった第一騎士団の騎士ジャック・タイラー卿とケネス・コーツ卿。彼らは救出が間に合ったとはいえあなたたちを森で見失いました。護衛としてあるまじき失態です。万が一あなたたちに何かあれば死罪を申し渡すところでした。よって、本来であれば騎士爵をはく奪するところですが、今回はあなたたちが故意に姿を消したという事情がありますので降格の上、五年間の減俸と昇給昇格無しで済ませます。ただ、ジャック卿に持ち上がる予定だった縁談は取り消しね……預けられないわ」
「それ、は……」
何らかの叱責はあるかもしれないと思っていた。けれど騎士爵のはく奪…騎士団からの追放にはならなかったがこれほどの重い処分になるともフレデリックは思いもしなかった。護衛という意味を、フレデリックたちの命を預かっている意味を全く理解していなかった。
せいぜいフレデリックがしっかりと責任を負うことで厳重注意くらいで済むと思っていたのだ。もちろん、彼らの経歴に若干の傷がついてしまうがそこはフレデリックが重用して挽回していくつもりだった。
このままではただフレデリックたちを見守っていてくれた彼らに申し訳が立たない。何とか免罪を、せめて減刑をお願いしなくては。
「グレアム・ブライ侯爵令息。今回の件ではただあなたたちを森へ見送っただけだけれど、あなたたちの企みに気が付けずことが大きくなってしまったことであなたの侍従となる人事が保留となります。本人からも辞退の申し出があるわ」
「グレアムが、辞退?そんな……」
フレデリックは愕然とした。グレアムがいなくなる。グレアムがフレデリックの侍従でなくなる。
グレアムはフレデリックが信じようと決めた者のひとりだ。共に居て欲しいと、フレデリックが望む者だ。そのグレアムを失う……しかも、グレアムの辞退で。
目の前が暗くなりそうになったが、次の母の言葉にフレデリックの意識が呼び戻された。
「それから、レナード・リンドグレン侯爵令息とアイザック・スペンサー侯爵令息」
「っ!!」
「彼らは側近候補としてあなたの蛮行を止めなければいけない立場にありながら大人へ相談することもなくあなたに同調し、あなたを危険にさらしました。よって、三年間の王宮への出入り禁止、および側近候補からは外します。スペンサー侯爵家からは辞退の話も来ています」
「は……」
なぜ自分は倒れてしまわないのかと、フレデリックは不思議なくらいだった。
大切な友だと、側近だとフレデリックが彼らに言ったのはつい昨日のことだ。彼らだからこそ側にいて欲しいとフレデリックは願った。
三年の王宮への出入り禁止、それはつまりフレデリックの立太子にはふたりは共に居られない。居られないどころか、それから始まる王太子とその側近教育にも来られない。当然か、側近候補から外されるのだから。
彼らの将来はどうなるのだろう。婚約や社交にも影響が出るだろうか。学園でも肩身の狭い思いをすることになるのだろうか。いや、そんなことよりも彼らがこれから先どこへ行ってもフレデリックの側にいない……そんなこと、フレデリックには考えられない。嫌だ。
「今回はあなたの暴走ということも加味してそれぞれの家に対しては罪を問いません。個人に対する罰で済ませます。いいわね?」
有無を言わさぬ母の物言いに、フレデリックは良いとも悪いとも言葉を発せなかった。良いか嫌かなら、もちろん嫌だ。
「はは…うえ………」
喉が張り付いたように声が上手く出せない。視線を泳がせるといつの間に出されたのか、テーブルに置かれていたティーカップの茶を一気に飲み干した。焼けるような熱さが喉から胸へとすべり降りていくが、気にならないほどにフレデリックの頭の方が沸騰しそうだった。
何かを言わねばと気は急くのに何を言えば良いのか分からない。握り締めたカップをかちゃりとソーサーに戻すと、フレデリックはただただ茫然と母の顔を見上げた。
「分かる?フレッド。あなたの浅はかな行動で罪のない人たちが裁かれるの。あなたの『ほんのちょっと』の行動で、多くの人たちの人生が狂うの。それが王族よ」
母は表情を消してそう、淡々と言った。
「僕……僕は………」
分かっているつもりだった。
理解しているつもりだった。
関わった者たちが罰せられるだろうことも、叱られるだろうことも分かっていたが、それもフレデリックたちが時間通りに何事も無く無事に帰ってしっかりと叱られれば周囲への影響は少ないものだと思っていた。
『何事かがあった時』のことは全く考えていなかった。甘いと言われれば過ぎるほどに甘い。浅いと言われれば過ぎるほどに浅い。
けれどフレデリックはどこかで過信していた。何事かなどあるわけがないし、あっても自分ならなんとかできる。問題なく帰って来て、叱られて、そうしていつもの日常に戻れるのだと。
ただフレデリックがしっかりと謝って自分の行動に責任を取ればよいのだと思っていた――――責任の取り方も、分からないくせに。
誰も、何も言葉を発さない。いつもなら混ぜ返すか茶化すくらいはしそうな叔父すら黙っている。ここにいる誰もがどんな表情でいるのかはフレデリックには分からない。俯いたまま、顔を上げることすらできないからだ。
「………この話は、これで終わりで良いかしら?」
小さくため息を吐き、母が静かに言った。
良いわけがない。何ひとつとして良くない。全てはフレデリックのせいなのだ、フレデリックが招いたことなのだ。
けれど母の言う通り、いくらフレデリックのせいとはいえ結果的に彼らが王子であるフレデリックを危険に晒すことになってしまったのも事実。
それをくつがえすだけのものをフレデリックは何も持っていない。用意、していなかった。
「僕、僕は」
うまい言葉が出てこない。何とか落としどころを探して収めねばならないのにどこにも糸口が見つけられない。考えねばならないのに、何も考えられない。
完全に思考が止まってしまったのか、フレデリックにはもう何を考えれば良いのかすら分からない。嫌なのに、駄目なのに…こんなこと。
俯いたまま顔も上げられず、言葉も紡げず、首を横に振ることも縦に振ることもできないまま唇を噛み膝の上のこぶしを震わせていると、叔父が低く、静かにフレデリックを呼んだ。




