3.チクチクでかゆかゆ
新しい側近候補と親睦を深めたいと言ったところあっさりと東の離宮での宿泊許可は下りた。許可は下りたのだがちょうど学園の試験期間もあり予定の折り合いがつかず、結局、東の離宮行きはレナードと離宮の話をしてから三週間後に決まった。
その間、時間さえあればフレデリックは図書館に通い立太子の儀についての書籍を探した。せっかく行くのだから少しでも東の離宮や森について知っておきたいとフレデリックが嘯けば、レナードもアイザックも疑うことなく一緒になって東の離宮についての本を探してくれた。こうして三人で共に過ごす時間は思いのほか楽しく、フレデリックは東の離宮への滞在に大きな期待と、ほんの少しの罪悪感を覚えた。
そもそもはっきりとした場所も分からない上に立ち入り禁止区域の向こうだ。簡単にはたどり着けないことは分かっている。だが、憧れるくらいは自由のはずだ。
――――あわよくば王家の谷を見てみたい、それだけだ。
そう、フレデリックは自分に何度も言い訳をした。
特に大きな変化もないまま長いかと思っていた三週間は瞬く間に過ぎ、東の離宮へと向かう日は初夏の風が気持ちの良い快晴だった。
三日前までは雨が降っていたらしく森は少し湿っているが、その雨のおかげで新しく芽吹いた野草や薬草の新芽が期待できるらしい。
「夏の野草は少しえぐみがあるんです。でも森で採れる薬草は夏が旬の物も多いので結構良いジュースが作れると思いますよ」
リリアナ・エヴァレットと名乗った少女は深い森のような緑の瞳を陽光に輝かせフレデリックに笑いかけた。決して淑女的な笑いではないが、そもそも太陽の下で日傘も差さず作業用の長袖シャツにトラウザーズ、白の手袋に足には随分と重そうなブーツを纏っているためあまり気にならない。むしろそばかすの少し浮いた頬を染めて楽しそうに笑う姿はフレデリックにも不思議と好ましく映る。
むしろ、この状況でたおやかに淑やかに微笑まれたら森に入って大丈夫なのかと不安になるかもしれない。淑女であっても表情も服装も場所によって変えるべきなのかもしれないとフレデリックはほんの少しだけ認識を改めた。リリアナが社交の場で正しく淑女なのかは分かりかねるが。
「そうか、あなたは大変博識だと聞いている。今日はよろしく頼む、エヴァレット嬢」
「殿下に興味を持っていただけるなんて光栄です。精一杯ご案内させていただきますね」
そう言って笑みを深くしたリリアナに「ああ」とフレデリックも口角を上げてひとつ頷いた。
リリアナは目立つ顔立ちではない。決して不美人だとは言わないが、美人だとも言えない。フレデリックの憧れの女性であるグローリアを大輪の白薔薇とするならばリリアナは野に咲く小さな花だ。花だけを並べれば白薔薇とは比べようもないが、野の花には野の花の良さがある。きっと愛らしいとはリリアナのような人を言うのだろう。そういえばリリアナとグローリアは同じ学園に通っているのではなかったか。リリアナの方がひとつ下のはずだが。
「リリー、ほどほどにね……」
レナードの長兄、キースが不安そうに婚約者に声を掛けた。
「キースもよろしく頼む。せっかくの婚約者との休日を邪魔して悪いな」
「もったいないお言葉でございます、殿下。今日はルークはあいにく来られませんでしたがぜひレナードともども、お役に立たせてください」
胸に手を当てにこりと笑ったキースの顔には最近はあまり見られないメイの笑顔の面影がある。レナードとはあまり似ていないように思えるのはレナードが父親似なのだろう。
キースもルークも、母親であるメイがフレデリックの乳母として城に詰めていることからフレデリックが物心つく前から良く顔を合わせていた。今はふたりが学園生であることもあり最近は顔を合わせていなかったが、フレデリックにとっては数少ない年の近い知り合いだ。
「大丈夫!今日はきっと良いものが作れると思うわ!!」
にっこりと笑ったリリアナにキースとレナードがなんとも言えない顔で目を逸らしたのが気になったが、フレデリックは「期待している」と笑顔で頷くに留めた。
「うわわ!すぐりが熟れてますね!」
「あー!!エルダーがもう咲いてる!!今年は早い!?」
「ってことは……やっぱり!リンデンまで咲いてる!!」
「オトギリソウとノコギリソウあったけどジュースには向かないしなぁ…」
足元のおぼつかないフレデリックたちとは違い先を行くリリアナはまるで舗装された庭園の小径かのように軽々と進んでいく。少し薄暗い森の中にも関わらず次々と目を移しては声を上げつつ採集しているリリアナはフレデリックたちと大差ないほど小柄なのに、どうしてあんなにも飛ぶように森の中を歩くことができるのか。まるで小さなリスを見ているようだ。
「すごいな……さすがというべきか……」
「リリーは薬草好きが高じて森も山も沼地も岩場もどこにでも自力で行ってしまうのです。こちらからすれば冷や冷やして恐ろしいのですが……私よりもよほど体力も脚力もあると思いますよ」
「まるでメイウェザーだな」
「薬や医療に関してはエヴァレットの探求心も恐ろしいですよ。私がどれだけ実験台になっているか……」
「それは、大丈夫なのか?」
「失敗しても少し腹を下す程度ですよ」
「そうか……キースはその、心が広いのだな」
「リリーが楽しければ私にはそれが一番なので」
飛び回る婚約者が採取した草花を次々に受け取り籠に仕分けして入れながらキースは照れたように笑った。気が付けば木陰に隠れてしまうリリアナを追うキースの目はとても穏やかで優しい。
武のリンドグレン侯爵家の跡取りと医のエヴァレット伯爵家の令嬢、政略的な婚約だと聞いているが良い関係であるのがフレデリックの目にも見ただけで分かる。フレデリックにもこんな目で見つめることができる婚約者ができるだろうか。
「あ!ネトルも採って帰りましょう。チンキ用にも欲しいから割と摘もうかな」
「ネトル?この葉か?」
形の良い葉が左右に一枚ずつ、それが交差するように綺麗に並んだ野草がそこかしこに生えている。フレデリックが手近な葉に手を伸ばすと、慌てたように走ってきたリリアナに横から腕を掴まれた。
「殿下、待って!素手は駄目!!」
「リリー言葉遣い!!それよりも手!!!!」
慌てたキースが目を見開いてリリアナを止めようとするが、フレデリックはそれを手で制した。
「いや、良い。僕が教えてもらう身だ。素手は駄目なのか?」
フレデリックがリリアナを見て頷くと、リリアナはほっとしたように手を放し「失礼しました」とぺこりと小さく頭を下げた。
ここまでずっと手袋をしていたのだが、先ほど汗を拭く際に手袋を外してそのままポケットに入れてうっかり忘れていたのだ。
「薬草を摘むときは汁でかぶれたりもするので基本的に素手はお勧めできないんですがこれは特に駄目です!」
「そうなのか?触るとどうなる?」
「真っ赤に腫れてものすっごくチクチクでかゆかゆになります!!」
「!?」
フレデリックはとっさに一歩後ろに下がった。いつの間にそばに来ていたのか、レナードがフレデリックの一歩前に出た。アイザックがポケットから筆記具を取り出して何某かを書き込んでいる。
「どこにでも生えていますしすっごく栄養価が高いありがたい薬草なんですけどね……」
本当に薬草が好きなのだろう。リリアナはとても愛しいものを見るようにそこかしこに生えているネトルを見つめている。そんなリリアナですら素手では触らないというのだからこのネトルという植物は触れると相当ひどいことになるのだろう。




