21.森を統べる王
それは、怪物と呼ぶにはあまりにも美しかった。
離宮の森の左側、蛙たちが逃げてくる大地の更に向こうの森。そこからずりずりと音をさせて光の下に現れたのは白銀に輝く、金の瞳の大蛇だった。その体はほとんどが森に隠れたままだが、離れた場所にいるフレデリックたちの目にもはっきりと顔が分かるほどに大きい。風向きが変わったのか、風に乗って生臭い臭いがフレデリックたちの元まではっきりと届く。
「王大蛇……」
ぽつりとアイザックが呟いた。その目は大きく見開かれ、恐怖では無く興奮で輝いている。
「何だ?」
「本で読んだことがあるんです。森を統べる王、銀の大蛇がいるって!」
「離宮の森にか?」
「いいえ、どこの森とも……ただの古い伝説なんです!」
「伝説の生き物が今、目の前にいるってことか!?」
呆然とその姿を見つめていると、またもシューっという不快な音がする。銀の大蛇は鎌首をもたげちろちろと赤い舌を出して周囲を伺っている。
「そうか、暴食蛙たちはあの蛇に気づいて慌てていたのか……」
今もフレデリックたちの周りを暴食蛙たちは逃げまどっている。あまりに数が多いせいで水に入ることも水から出ることもできない個体がぶつかり合い、陸でも水中でもひしめき合っている。大混乱だ。
ゲロゲロというよりギョロギョロと耳障りな甲高い声で悲鳴のような合唱を続ける蛙たちに向かい、ついに銀の大蛇が動き出した。ずるりと、長く太い体が森からどんどんと日の下に這い出してきて眩しいほどにきらきらと煌めいている。背の色は青みがかった銀、腹はほとんど白に近い銀だ。
「綺麗だな……」
危機的状況のはずなのにあまりのことに感覚が麻痺してしまったのだろうか、フレデリックは一匹、二匹とどんどんと逃げ遅れた暴食蛙を飲みこんでいく大蛇の姿に呆然と見惚れた。
「はい、とても美しいですね……」
アイザックも目を見開いたまま頬の痛みも忘れたように固まっている。蛇の捕食の様子などただただ恐ろしいだけのはずなのに目の前の大蛇はあまりにも美しい。
「言ってる場合か!森へ…入るのも危ないのか?だがここにいるよりましだ!ふたりとも森へ急げ!あの赤い綱はたぶんあいつのせいだ!!」
フレデリックははっとした。そうだ、赤い綱。危険を知らせる赤い、赤い色。今目の前に広がるのはどう見ても危機的状況だ。
「すまない、レナード!呆けていた!アイザック、動けるか?」
「は、はい、申し訳ありません、行けます!」
蛙を捕食しながらも銀の大蛇はずりずりと、大地の上を這って来る。この大きな水たまりを囲む楕円の大地に草がほとんどないのはあの蛇が這って潰してしまうせいだと気が付きフレデリックはぞっとした。
「くそ、蛙が邪魔だな!」
何とか這いながら森へと向かおうとするが逃げ惑う蛙が邪魔で上手く動けない。どんどんと近づいてくる大蛇に蛙たちの混乱も一入だ。
「水の中の方が安全なのか!?」
「そうでもなさそうですよ」
レナードがこの状況に似合わないほど淡々と言って水たまりの方を指さした。大地の上から蛇が首だけを窪地に突っ込んで蛙を捕食している。どうも上からでも十分に届くようだ。
ずいぶんと近くに来たように思えるのにまだ尻尾の先が向こうの森から出ていない。
「どんだけでかいんだよ……」
レナードが呆れたように呟いた。
「レナード、お前、本当にすごいよ……」
この状況で全く慌てることなく色々なことを見ているレナードにフレデリックはただただ感心した。フレデリックにはもう、自分たちを踏んで跳ねまわる蛙しか見えないというのに。
「解決策が見いだせない時点で俺はまだまだです」
「そう言うな、本来なら僕が何か指示をしないといけないところだ」
「おふたりとも、十分凄いです!!」
フレデリックはどうしたらいいのか分からず伏せたまま脱力していただけなのだがアイザックの目には落ち着いているように見えたらしい。アイザックが頭を抱えて悲鳴のような声を上げた。
すると突然、ぴたりと、大蛇の動きが止まった。またも鎌首をもたげて二股に分かれた赤い舌をちろちろと出しきょろきょろと周囲を見回している。ずるり、ずるりと少しずつこちらへと進んでくる。
「え……なんだ……?」
周囲には蛙たちが飛び回っているというのに大蛇は見向きもしない。ずるりずるりと這い出して、首を伸ばせばフレデリックたちに届きそうなところまで来るとぴたりと止まり、大きな金色の目でじっと森を見つめてちろちろとまた舌を出している。そうしてシューっ、シューっと、何度もあの不快な音を立て始めた。
「森を、見てる?」
フレデリックたちが出て来た方、離宮の森の方角を見て大蛇は何かを探すようにきょろきょろと頭を振ると、怯えるように身構えるようにぐっと身を低くした。
「どうしたんだ…?」
フレデリックが森を見ようと飛び回る蛙の中で体を起こすと、蛇が驚いたようにびくりと体を震わせた。そうして目を怒らせるとフレデリックに向かってシューっと音を立て口を大きく開いた。
「っ!!!!」
真っ赤だった。
大きく開かれフレデリックにどんどんと近づいてくる口は真っ赤で、大きな二本の牙が見える。大蛇の動きはなぜかゆっくりと見えるのにフレデリックの足が動かない。違う、動けない。後ろには、アイザックがいるのだ。
「殿下ああああああ!!」
――――呑まれる!
フレデリックはぎゅっと固く目を閉じた。けれど全く訪れない予想していた衝撃にはっとして目を開くと、ぐっと上に持ち上がった大蛇の顔、その金の目の片方に細い剣が突き刺さっていた。痛みに怒りを覚えたのかぶんぶんと頭を振りながらびたんびたんと大蛇の体が波打ち、大地に打ち付けられ、いたるところで蛙が下敷きになっている。
「あ…レナード!?」
大蛇の片目を貫いているのはレナードの小剣だ。気付いたがどこにもレナードがいない。きょろきょろと見回すと、森の手前にレナードが飛ばされたのか倒れている。
「レナード!!!」
のたうち回る大蛇を横目にフレデリックはレナードに駆け寄った。何度も蛙にぶつかられ倒れたがそれでも必死にフレデリックは駆けた。
「レナード!レナード!!」
「大丈夫です、殿下……」
「無事か!怪我は!?」
フレデリックが背に手を添えて抱き起すとレナードの顔がぐっと歪んだ。
「少し、背を打ちました。ですが、大丈夫です。俺よりもアイザックを……」
ぱっと振り向けばアイザックが何とかこちらへ来ようと跳ねまわる蛙の合間を這っている。いったいこの蛙どもはいつになったら全部が逃げ終わるのか。それよりも何よりも、暴れる大蛇がいつアイザックの方へと体を傾けるか分からない。
「分かった、僕が行く!レナードはここで木にもたれていてくれ!」
レナードに手を貸して森の木にもたれさせるとフレデリックは上体を低くしてアイザックの方へ駆けた。先ほどより蛙を避けられるようになっている。やはり後ろから来られるより前から来られる方が避けやすい。
「アイザック、大丈夫か!?」
「殿下……申し訳ありません……」
「何を謝る!お前は僕を助けてくれたんだろう!」
「ですが…レナードが……」
「僕の責任だ、全ての咎は僕にある!今は何も気にせず逃げることを考えろ!一緒に無事に逃げ切ると約束しただろう!!」
「殿下……はい……!」
アイザックがフレデリックを見て目に涙を浮かべて頷いた。フレデリックも力強く頷くと、「行け!」とアイザックを先に行かせフレデリックはその足元にかがんだ。
這って行くアイザックに蛙がぶつからないようフレデリックが障害物になる。フレデリックがアイザックの後ろにかがんでいれば蛙たちはフレデリックを避けようとしてアイザックの方には行かない。あとの問題はあの大蛇だけだ。
「どうする……今のうちに森へ入れば逃げ切れるかもしれないが……レナードは動けるのか?」
じりじりと、フレデリックも森の方へと後退していく。ちらりと後ろを確認すれば、アイザックがレナードの元へ辿り着いたのが見えた。
「よし!このままふたりでレナードを抱えて…!?」
フレデリックもふたりへ駆け寄ろうと大蛇に背を向けた瞬間ひと際大きな地響きと蛙たちの悲鳴が上がった。驚いて大蛇を振り返ったフレデリックの目に、からんっと大蛇の目からアイザックの小剣が抜けるのが見えた。
それを待っていたように大蛇はのたうち回るのを止め、鎌首をぐっともたげると、シューっと不快な音をさせながら金の双眸でぎろりと、フレデリックをまっすぐに見据えた。




