2.王家の谷
ちょうど歴史の授業が終わり、剣の稽古のために騎士棟へと向かう途中でいつもの文官と会った。本来ならばふたりいる第一騎士団副団長のうちのどちらかがフレデリックのもとを訪ねて稽古をつけてくれるのだが、籠っているよりも騎士たちの中で稽古をしたいとフレデリックが希望して騎士団へと通わせてもらている。
やはりフレデリックとレナードふたりだけで稽古をつけてもらうのとは空気が違う。あの鍛錬場のぴりりとした空気がフレデリックはとても好きだ。
とはいえ、何があるのか分からないからと一般公開されている第一鍛錬場の方へは行かせてもらえない。そこは王子という身分柄、今は仕方がないと思っている。いつかフレデリックが強くなれば第一鍛錬場へも出入りさせてもらえるだろう。実力者と名高いポール卿や一部の騎士は第一鍛錬場の方を好んで使っているらしいのだ。
「王家の谷?」
「ええ、そうです。実際には谷ではなく窪地だそうです。窪地に入口があってその奥にある祭壇から石を持って帰るのが昔は立太子の儀式のひとつだったそうですよ」
「昔はなのか?」
「ええ、少なくとも先王陛下…殿下のお祖父様の時にはすでに行われていなかったそうです」
「なぜだ?」
「詳しいことは公表されていないので私もよく知らないのです。ただ今は行われていない、としか」
執務棟のある正宮とフレデリックたちの住居のある内宮や王妃宮の間、中央棟と呼ばれる建物で書類を重そうに抱えていた文官が申し訳なさそうに首を横に振った。
「そうか……その王家の谷はどこにあるんだ?」
「東の離宮の裏の森に散策用の小道がいくつかありますよね?その更に奥に立ち入り禁止区域がありますが、その先だそうですよ。北東の方角だそうです」
初めて聞く話にフレデリックは唸った。王家の谷と呼ばれる場所も立太子の古い儀式もフレデリックは知らない。東の離宮には何度か足を運んだことがあるのに、誰もそんな話を聞かせてくれた者はいなかった。
「お前は本当に博識だな……僕は王族なのに初めて聞く話だぞ」
「私も当家にある古い本で読んだだけなのです。きっと立ち入り禁止になるくらいですから今は何か危険なのだと思うのですが」
「ああ、そうだろうな。きっと王太子となるにふさわしいと示すための儀式だろう。危険がなければそのような儀式をする意味も無いだろうからな」
「そうかもしれませんね」
立太子の儀式のひとつ。今行われていない理由は分からないがそれはまさしく、フレデリックが求めている『証』にならないだろうか。フレデリックが自らの足で洞窟へ入り証となる石を持ってくることができれば周囲にもフレデリックが王太子にふさわしいと、耳を傾ける価値があると思ってくれるかもしれない。勝手なことをしたと怒られるかもしれないがそれはそれだ。取ってきてしまえばこちらのものだ。
「実に有意義な情報だった。今後も頼むぞ」
「もちろんです、殿下。どうぞ良い王になられてくださいね」
「ああ」
文官はにっこりと微笑むと中央棟と正宮をつなぐ回廊を正宮側へと歩いて行った。フレデリックも急がねばと、文官が行ったのとは違う道、温室庭園の方へ抜ける扉へ向かおうとしてふと思った。
この中央棟は国王陛下への謁見や王族専用の区域へ招待されたものの待合室などがある場所で、普通の文官が政務で来るような場所ではないがあの文官はなぜここにいたのだろう。
疑問には思ったが、そういえば多くの資料を抱えていたようだから誰かに書類を運ぶよう指示されたのかもしれない。レナードもきっとすでに待っているだろうとフレデリックは気にせず騎士棟へと急ぐことにした。
中央棟を出て庭園を突っ切ると塀に生垣に隠れた目立たぬ扉があり、そこを抜けると騎士棟の横に出ることができる。第二鍛錬場はすぐ目の前だ。
「レナード」
「殿下、お疲れ様でした」
「ああ」
扉を抜けてすぐのところにレナードが立っていた。フレデリックと三か月ほどしか生まれ月は変わらぬはずなのにレナードはずいぶんと体格が良い。背筋を伸ばし黙って立っていると中々様になる。実際、剣の腕もフレデリックよりずっと立つ。フレデリックの護衛になるのだからフレデリックより弱くては話にならないのだが。
フレデリックが第二鍛錬場の方へ歩き出すとレナードがすっとフレデリックの斜め後ろについた。
「レナード、東の離宮は知っているか?」
「紫の宮ですよね?」
「ああ、その奥に森があるのは?」
「知ってます。色々な貴重な薬草が取れるとかで、たまに兄上が婚約者に護衛兼荷物持ちで駆り出されてます」
東の離宮は通称『紫の宮』と呼ばれている。宮と呼ぶには少々小ぶりな建物は外から見ると全体的に白いのだが、内部が深い紫で統一されているのだ。初めて行ったときはフレデリックも驚いたが、深い紫で統一された離宮は外の白さも相まってとても荘厳で不思議な魅力がある。
そしてその背面には森が広がっており、広い川を挟んだ更に向こうには『銀の森』と呼ばれる森が延々と広がっている。その川の手前までが離宮の敷地なのだが、理由は分からないが浅い部分以外は立ち入り禁止区域となっている。離宮正面の庭園と立ち入り禁止区域以外の森は一般の立ち入りも可能だ。
「ああ、キースの婚約者はエヴァレットの令嬢だったな」
キースはレナードの八歳上の長兄でリンドグレン侯爵家の跡取りだ。今年で学園を卒業し、従騎士試験を受ける予定だと聞いている。
エヴァレット伯爵家は医療従事者を多く輩出している名門で、医者になる者以外にも薬剤師や研究者の道を選ぶものも多い。
「ですね。お陰で健康ジュースとかいう恐ろしいものをじっけ…いや、御馳走になる日々です」
「お前、実験台にされてるのか……?」
「いや、体には良いんですよ実際。飲んだ翌日はすごく元気になります。ただ毎回、恐ろしくまずいんですよね……」
「そうか……それは……なんだろうな」
ちらりと後ろをうかがうと、味を思い出しているのかレナードが口元を引き結びながら半目になっている。どれほどの味なのだろう。毎回恐ろしくまずいということは、毎回味が違うということか。
「試します?殿下」
「いや、試したくは……いや待て、試そう」
「え!?試すんですか!?」
「何なら共に離宮の森に行って薬草摘みも手伝わせてもらおう」
エヴァレット令嬢の健康ジュースも気になるがこれは良い機会だとフレデリックは思った。東の離宮や離宮の森へ行こうにも普段のフレデリックには理由がない。薬草摘みともなれば恐らく森の奥へも行くはずだ。禁止区域には入れずとも近くまでは行くだろう。探ることくらいはできるかもしれない。
「え!?本気ですか!?」
「ああ、良き王となるためにも知識はあるだけ良いからな」
これも決して嘘ではない。フレデリックは王族として様々なことを知るべきだと思っている。どのような分野も知識がなければ正しい判断などできるはずもない。そういう意味では叔父がお忍びで頻繁に下町へ降りていくことに嫌悪はない。視察や国交も含めて王宮から一歩も出ようとしない父の方にはむしろ思うところがあるが。
「アイザックはどうします?」
「そうだな……交流は深めた方が良いだろうし薬草摘みには連れて行く。キースの婚約者殿と薬草取りに一日、せっかくだからもう一日離宮に滞在したいな。一泊二日、スペンサー侯爵がそれを許すならアイザックも宿泊だな」
「東の離宮まで馬車で二時間くらいですから、薬草採って散策してもその日に十分戻れますよ?」
「薬草摘みだけじゃなくゆっくり森や庭園の散策もしたいんだ。良い季節だろう?」
薬草摘みと森の散策がたまたまフレデリックの別の興味につながるだけだし、アイザックとの交流を深めなければならないのも事実だ。
「兄上たちも宿泊ですか?」
「いや、もちろんそんな面倒は掛けない。泊まるのは僕だけだ。あとは僕の側近候補であるお前とアイザックがどうするかだな」
教えは請うが巻き込むつもりはない。何より、フレデリックの我儘で学生であるキース達の時間を長く奪うのは心苦しい。
「分かりました。調整しますからまず殿下は許可を取ってもらえますか?行けそうなら兄と婚約者に声を掛けます」
「ああ、僕からも手紙を書こう」
「まずは許可を取ってからですよ?」
「分かっている」
いつもは何でも感覚で話していそうなレナードがしっかりと筋道を考えて話していることに意外性を感じながらもフレデリックは頷いた。もしかしたら文官が言っていた『脳筋』よりもレナードは頭を使っているかもしれないと、フレデリックは少しだけレナードに対する認識を改めた。




