11.グレアムと叔父
今回は日帰りということもあってかすぐに許可が下り、一週間後には離宮を再度訪問することが決まった。キイチゴの旬にも配慮をしてくれたのかもしれない。
離宮訪問の前日、中央棟の上階には客室がいくつかありレナードとアイザックはそこに宿泊することとなった。
いつも内宮から別の場所へ行くための通路としてしか使ったことが無かったため中央棟に客室があることをフレデリックも初めて知った。何と客室階には遊戯室や談話室などもあるようで、フレデリックは自分の住む王宮ですらまだまだ知らないことが本当に多いと、腕を組み唸った。
「殿下が王太子宮に入られた暁には王太子宮の客室や遊戯室に皆様をお招きできるようになりますよ」
案内をしてくれたグレアムが手で示した先には窓の向こうに内宮が見える。王妃宮とは内宮の最も大きな建物をを挟んで反対側に王太子宮があるのだが、ここからでは建物の陰になっていて良く見えない。
「そうか……あと半年もしないうちに僕は王太子宮へ移るのだな」
今はフレデリックも王妃宮にある王子、王女専用の区画に部屋がある。妹のクリスティーナの部屋もすぐ近くにあるし、階は違うが母の部屋も同じ建物にある。父と叔父、伯母は内宮にそれぞれ自分の区画を持っているし、祖父と祖母は専用の離宮で暮らしているため王宮内にはいない。
立太子すればフレデリックは専用の宮を与えられる。内宮のすぐ隣であり宮と呼ぶには小ぶりではあるが、それでもフレデリックとフレデリックに仕える者たちだけのための宮だ。
誇らしいはずのその事実にフレデリックは急に心細くなった。
今も常に父や母に会えるわけでは無い。王太子教育が始まったフレデリックはクリスティーナとも最近はそこまで顔を合わせていない。朝食には皆一堂に会すが、それ以外の時間は基本的には別なのだ。それでもなお、居室の距離が離れてしまうという事実がフレデリックを酷く不安にさせた。
思わずぎゅっと手を握り締めて内宮を見つめていると、横からのんきな声がした。
「俺も成人して殿下の護衛になったら殿下の宮に部屋をもらえるんですかね?」
ぱっと振り向くと、レナードも横でぼんやりと内宮を見つめている。その更に向こうでアイザックがくすくすと笑っている。
「レナードはまずは騎士の宿舎ではありませんか?」
「げ、父上が騎士の男子寮はかなり臭うって言ってたんだよなぁ……」
「そこまでひどいのか?」
思い切り顔をしかめたレナードを見てアイザックが楽し気に口元に手を当ててにこにこと笑っている。フレデリックもまた笑いながらグレアムを振り向けば、グレアムもいたずらっぽく笑んで唇に指を立てた。
「そうですね、何せ汗を大量にかく屈強な騎士が何十人も住まう寮ですからね。どの寮も、それなり…ですよ」
「それなり」
「はっきりと言われるよりも更に臭さを感じるな……」
レナードがげんなりといった様子で肩を落とした。フレデリックにはどうも想像がつかないのだが、確かに鍛錬場へ行くとたまに汗と言うか何と言うか、独特のにおいがすることがあるかもしれない。
「リンドグレン侯爵家は騎士団を持っていたよな?」
「ありますよ。だからこそ嫌なんですよ……」
「ああ、臭うのか」
「察してください」
ふるふると首を横に振りとぼとぼと窓から離れたレナードを見てフレデリックは眉を下げた。アイザックもまた困ったように笑っている。
それほどまでに臭うのであれば、国を守ってくれる騎士たちのためにも何か対策を考えてやらねばならないだろう。
そういえば、離宮の森でもレナードは何かのにおいがすると言っていた。もしかしたらレナードはとても鼻が良いのかもしれない。鼻が良ければきっと更に苦痛なことだろう。
フレデリックの心の中にある王太子になったらやること一覧に、騎士寮の臭い対策がしっかりと書き込まれた。
「文官の寮はそうでもないのか?」
「おかげさまでそこまででは無いですね。女性の寮に比べればにおわないとは言えませんが……」
父も叔父も、その側近たちも香水のような良い香りがすることはあるが不快なにおいがすることは無い。同様に、彼らの住まいである内宮からおかしなにおいがすることも無い。だが母の宮に至っては常に花のような良い香りがするので、女性の住まいというのはどこもそういうものなのかもしれない。
「グレアムも寮なのか?」
「いえ、上の姉夫妻も今は領地におりますし下の姉も嫁ぎましたのでわたくしはひとりでブライのタウンハウスに住んでおりますよ。何年かは寮におりましたが」
「ひとり?グレアムは結婚はしていないのか?」
「ええ、良いご縁に恵まれず三十を過ぎてしまいました。養子に取りたい子ならいるのですが中々首を縦に振ってもらえなくて」
「そうなのですか?グレアム様はそんなに素敵なのに?」
驚いたようにアイザックがグレアムの顔を見上げた。暗い場所では黒に見えるくらい濃い灰色の髪に瞳は更に濃い黒。顔立ちは美しい部類に入ると思うが、濃い色彩が一見すると女性的になりそうな顔立ちをぐっと引き締めていると思う。それに、どことなく見知った人の面影がある。
「そうだな、グレアムは美形だと思うぞ。少し叔父上にも似ている。もてるだろう?」
フレデリックが首をかしげるとグレアムが困ったように笑った。
「それが全くもてないのですよ。学生時代から駄目ですね。わたくしには隙が無い上に暗い色彩も相まって怖いのだそうです。真面目過ぎて堅物すぎていっそ面白いぐらいだととある方には言われましたが」
「真面目過ぎる?グレアムがか?」
今フレデリックの側にいてくれるグレアムは確かに丁寧ではあるが堅苦しくは感じないし、むしろいつもとても穏やかで空気も柔らかで側にいても嫌な感じが全くしない。
「今はだいぶ丸くなりましたが……以前は自分でも不思議なぐらいに融通の利かない人間だったと思いますよ。気が付けばこんな年でございます」
にこりと微笑んだグレアムはやはりフレデリックの目から見ても格好良いと思う。叔父に比べれば背は低いが叔父の背が高いだけでグレアムは平均的だ。物腰も柔らかく紳士的……フレデリックからすればとても好ましい大人の男性に見える。
女性の好みというのはまたフレデリックが感じるのとはまた違うものなのだろう。ぜひ誰か妙齢の女性にグレアムの印象について聞いてみたい。
「そう言うな。叔父上も三十過ぎて独身だぞ」
「あの方はまぁ、少々特殊と申しますか」
「それはそうかもしれないが……グレアム?」
思い出し笑いをするようにこぶしを口元に当てて肩を揺らしたグレアムをフレデリックが不思議そうに見上げると、グレアムは「ああ」と更に楽し気に黒の瞳を細めた。
「レ…ライオネル殿下とわたくしは従兄弟なのですよ」
「いとこ?」
「はい。ライオネル殿下のお母君、つまり殿下の祖母君で王太后殿下ですね。それとわたくしの父は兄妹なのです」
「そういえばグレアムのお父君はブラッドフォード公爵家の出だったか」
「左様でございますね」
なるほどそういえばそうだったかと、フレデリックは貴族名鑑の情報を何とか思い出そうと腕組みをして目を閉じた。




