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十二歳の王婿

 村はずれの質素な小屋で、彼は生まれた。

 名前はアラン。彼の母親が命名した。

 彼は、辺境伯『ミトル家』の妾の子である。母親は主人と不純なことをしてしまい、追い出された元メイド。


 母親は、この子を使って復讐しようと考えた。

 武を重んじるミトル家に対抗しようと、彼女はアランを厳しく躾けた。子供が思い通りに動かなかったり、弱音を吐いたり、泣いたりすると、躊躇なく叩いた。

 彼女は自らの行為を愛情だと思っていたが、実際は、責任を自分一人に押し付けたミトル家への怒りであった。村から腫れ物扱いされ、相談する人がいなかったことも、彼女の暴力行為を助長させた。

 

 しかし、子供というものにはそれぞれ適性がある。

 木陰に座り本を読むようなアランに、それは向いていなかった。

 一度、暴力という選択肢を知った彼は、もう二度と戻れなかった。成長とともに、彼自身が生まれ持った素晴らしい素質、穏やかさや優しさは失われた。

 家の中を無茶苦茶にしたり、放火未遂で小火を起こして騒動になるなどの、問題行動を繰り返すようになる。

 

 最初、村長はこの母子をよく思わなかった。

 だがある時から、村長は母子に支援を始めた。また、一人だと寂しいだろうということで、アランを村の子供たちに紹介した。

 愛情に飢えた幼少期を過ごした彼は、村の子供たちと仲良くなれなかった。

 ある男の子に揶揄われた彼は、その子の人差し指をかみちぎってしまった。

 家柄が家柄なだけに、村長の仲介によって、この一件は無かったことにされた。

 しかし、これによって、村の子供たちと彼との交流は一切絶たれ、気心を知れた友人を作る機会はなくなってしまったのである。


 さて、王国の首都では、女王の婿探しが始まっていた。

 当然、名門貴族出身でなくてはいけない。王国の諸侯たちは集まり、どの家から出すか議論を始めた。

 女王はこの国の最高権威であると同時に、諸侯たちの総意の下で成り立っている。

 そのため、事実上、女王は婿探しの決定権を持っていなかった。


 最初に候補に上がったのは、首都に最も近い諸侯として名高い『ルニル家』である。

 しかし、それに反発したのが地方諸侯たちだ。

 彼らは三代続いて、王妃、王配が中央諸侯出身であるとして、激しく抗議したのである。

 特に異民族の侵略を撃退した『ミトル六世』を先祖に持つ、辺境伯『ミトル家』は、抜きん出たリーダー格である。

 中央諸侯たちは、交易で力をつけていた地方諸侯を取り込むべく、ミトル家から王配を出すことを決めた。


 しかし、ミトル家の長男が戦死、次男が病死、三男が自死と、ことごとく息子たちに対して悲劇が起こる。

 更に、領主が異民族のだまし討ちにあい、ミトル家は機能不全に陥った。


 そこで頭角を現したのが、同じく地方諸侯の『コーワン家』と『フォン家』である。

 彼らはミトル家に続く地方諸侯のリーダーになるべく、熾烈な権力闘争を繰り返し、王配の権利を勝ち取ろうとした。

 しかし、諸侯たちが綺麗に二分されてしまったため、どちらを選んでも内戦が起こるのは自明であった。


 そのため、白羽の矢が立ったのが、ミトル家の妾の子である。捨てられた子だけあって、権力と無縁であった。


 早速、その妾の子を回収するよう、コーワン家とフォン家に命令が発せられた。

 太古の時代から生活スタイルが変わらないこの小さな村に、重い鎧をかぶり、立派な馬に乗った騎士たちが集まってきたのである。そのころ、母親はノイローゼになり、衰弱していた。


「おやめください。こんな未熟な男を連れていっては、女王陛下にお示しがつきません。どうかお考え直しください」


 村長は、コーワン家とフォン家の騎士たちに必死で懇願した。しかし、中央で決まった高度な決定など覆せるはずがなかった。

 村長は「不安定な子供を権力闘争の生贄にしてはいけない」と思っていた。

 しかし、アランがその善意を理解できるわけない。彼にとって、村長の行為は嫌がらせにしか思えなかったのである。

 村長以外の村人たちや母親さえも、内心出て行ってほしいと思っていたために、この場で彼の将来を案じていたのは村長だけだった。


 何も知らない彼は、これからの自身の運命など考えせず、冒険の始まりじみたものを感じて、ワクワクしていた。


 彼が連れていかれたのは、もはや、亡き骸としか思えない、ミトル家の城である。

 埃がたまり、これだけ広いのに人の生気が感じられない、どんよりとした場所である。掃除をしていたメイドたちは、もう去っていた。

 彼が部屋に連れられると、そこには、白い髭を持つ高齢の男性が立っていた。この王国の聖職者である。

 この侘しい場所で、王国の伝統儀礼に従い、アランは大人になった。『ミトル九世』の誕生である。彼は十二歳であった。

 

 首都へと移送されたミトル九世は、初めて村の外を知った。

 首都の活気づいた街道を見て、「世界に、これほどまでの数の人間がいたのか!」と驚愕したのである。

 城につくと、使用人総出で馬車を出迎えた。女王は笑わない、キリッとした美人である。

 母親から厳しく扱われてきた彼が一番苦手だったのは、刺々しい年上の女性だった。彼は一目見た時から、女王をひどく警戒するようになった。


 作法など全く知らない彼は、女王の前できょろきょろと視線を動かした挙句、お辞儀もせずに素通りをした。

 幸いにも、女王が寛大な人間であったのと、女王自ら注意するのは憚られるというこの国の風潮から、その場において激怒されることはなかった。

 周りの人間は、心臓をつかまれたように、震えあがっていた。


 使用人が、彼を部屋へと案内した。彼は、豪華さ、広さ、清潔さに驚いた。

 高い天井に、金色のシャンデリアが吊るされている。

 天井と壁には余すことなく、装飾品が散りばめられていた。

 一人には不釣り合いの大きなべッドに、彼は飛び込んで、グルグルと回った。

 寝たまま、飛び跳ねてみたり、布団を自分の身体に巻き付けてその感覚を味わった。

 彼の生まれ育った小屋のベッドは、地面よりもマシ程度の柔らかさであった。そのため、彼は雲の上で寝ている気分になった。


 ある男が、ノックと共に入ってきた。初老の男であったが、衣服が上質なものであった。服の品質など知らない彼から見ても、そこらにいる使用人とは違うと感じ取った。

「閣下。中央の作法を学んでいただければ、と存じます」

 侍従長は、王国における使用人の最上位にあたる。諸侯間の総意で王位が成り立っている以上、女王は諸侯相手に気を許すことができない。

 そのため、この国の歴代王は気心しれた侍従長を置いてきた。いくら、もはや名前だけの名家とは言え、ミトル九世になった彼を注意できる使用人は、侍従長くらいであろう。


 それからの日々、侍従長を中心とした使用人たちが、彼に作法を叩き込んだ。普段は女王に付きっ切りの侍従長も、将来の王配ということで、自ら指導に加わった。

 ある時、女王は侍従長に、ミトル九世の様子を尋ねた。

「どうなのですか?私の夫は?」

「はっきり申し上げますと、彼は子供です。実年齢以上に幼い。いくら諸侯の総意とは言えど、あのような人間が王配になるとは…」

「良い。私が良き妻になれば、彼も良き夫になるでしょう」


 女王は、特段の不満を持っていなかった。

 彼女は、男性に対して夢を持っていない。それ故に、幼い頃は可愛げのないと言われてきた女性であったが、同時に男性に対してあまり求めることがなかった。

 女王の、他人に対して関心が薄い点も、それを助長していた。


 目も当てられない有様であった彼の作法は、使用人たちの懸命な努力によって、公衆の前で耐えうるものになっていた。

 城内で諸侯たちを前に、女王とミトル九世は結婚を宣言した。女王は結婚を宣言する際、まだ身長が低い彼のために、跪いた。

 これは異例のことであり、王配の十二歳という年齢を不安視する諸侯たちへのメッセージであった。

「視線の位置が違うなら、私が合わせて見せよう」という意味だ。

 しかし、ミトル九世は、自分が子供扱いされたと感じていた。

 それから、親衛隊を率いて、首都を練り歩くパレードを行った。


 女王は、男性や結婚生活などというものがよく分からなかったために、死んだ弟を思い出しながら接した。

 しかし、姉と弟のようなこの関係性は、ミトル九世の自尊心をひどく傷つけた。

 彼は「母親がもう一人増えた」と、心の中で嘆いた。

 彼は弟ではなく夫として、一人の男として扱われたかったのである。

 その欲求は、大人たちから構ってもらえなかった彼の生い立ちに起因するものであるのは、言うまでもないことだ。彼は対等になれば、認めてもらえると思っていた。


 王配はいつも孤独だった。

 日夜権力闘争が行われているこの城で、真の友愛など存在せず、すべてが利害でつながっていた。更に、ここにいる人々はみな、諸侯の親類であり、血縁による人脈があった。

 彼はどの家からもバックアップを受けていない、妾の子だ。ましてや、権力闘争の末、誕生した妥協の産物である。触らぬ神に祟りなし。誰も近づこうとしなくて、当然だ。


 女王と王配が接する時間も減っていった。近年、異民族の活動が活発になったこともあって、女王は多忙を極めた。

 ミトル九世はいつも、何の役割も与えられず部屋に閉じ込められ、欲求不満をくすぶっていた。式典の際でも、彼に求められる役割は機械的なものであった。

 彼は、自分が実質的に権力を持っていないことを薄々察していた。そのため、生粋の貴族を見るたびに、彼は劣等感を感じていた。


 もう一人、不満を燻ぶっている若い男がいた。ツリールという、王国騎士団の一人である。

 ツリールはフォン家の四男坊であるために、地方に戻ったところで、領主になど成れやしないのだ。

 そのため、中央で何とか成功を収め、彼らを見返してやりたいと思っていた。そんな中、現れたのが王配である。

「フォン家の俺がクーデターを起こしたところで、コーワン家の連中はついてきてくれない。しかしミトル家のこいつを神輿にすれば、成功するかもしれない」と考えた。


 そんな彼らが出会うのは、城の庭である。

 そこには、赤い果物が実った木がある。木の高さ自体は四メートルくらいなのだが、果物の位置が曲者で、二メートルである。

 ミトル九世はジャンプすれば届くのではないかと思い、ぴょんぴょんと子供がはしゃぐように飛び跳ねていた。

 ツリールが不審な行動を繰り返す彼を見つめて、驚愕した。

 ツリールは庭に行き、ミトル九世の代わりに果物を取ってあげた。


「殿下。使用人に頼めば、よろしいではありませんか?」

 ツリールは一目見た瞬間、王配だと気が付いた。受け取った果実を眺めながら、ミトル九世は答えた。

「だって、自分で取りたいから」

 彼は、すねた顔をしていた。これがミトル九世とツリールの出会いであった。

 彼らは、すぐに馬が合った。ミトル九世はツリールを兄貴分として、慕っていた。

 母親の影響で、年上の女性に苦手意識があったが、男性に関しては身近におらず、彼は新鮮な気持ちだった。

 ツリールという男が、粗暴で規則に興味の無いやつであったことも、ミトル九世にとって好感だった。


 そのうち、ツリールはミトル九世にある計画を話す。クーデターである。

 女王から王冠を奪い、ミトル九世を王にする計画だ。

 ミトル九世はすぐに頷かなかったが、即座に拒絶することはできなかった。

 この時点で、彼の中ではもうクーデターを起こしたいという、破壊欲求と承認欲求が疼いていた。

 いつも理路整然としている女王に対しても──その姿を母親と重ね合わせて──、粉砕したいと彼は考えた。


 ある日のことである。王配になった彼の周りでは、様々な使用人が働いていた。

 話さなくてはいけないのは、洗濯を担うメイドの一人、サリーである。

 彼女は決して美しい顔つきではなかったが、王国の男たちが好みそうな濃い顔とふくよかな乳房を持っていた。

 普段、家事を担うメイドと主人が交わることはないのだが、先輩から嫌がらせを受けた彼女は遅れしまい、慌てて廊下を歩いていた。

 そこでミトル九世は、彼女のことを知った。


 不憫に思った王配は、サリーを呼び出した。この時点において、無意識のうちに好意を持ってしまっていたのだが、彼は自分の感情を理解できていなかった。

 むしろ、サリーの方が彼の気持ちを理解していた。二人は交わった。

 なぜ交わったのか。肉体的魅力からその要因を考察することも可能であろうが、最大の原因はサリーの態度であった。 

 メイドと主人という時点で、その上下関係がはっきりとしているわけだが、更に媚びへつらって持ち上げることを繰り返していた。彼女は決して、彼を否定しなかった。

 それどころか、彼の支配欲を喜びを持って受け入れたのである。もちろん、女王が彼を評価することはあったのだが、それはいつも上からの評価であり、承認であった。

 上位の女性しか知らなかった彼にとって、下からの評価は飢えに飢えていたものである。


 王配とサリーは情痴を重ねた。彼は事あるごとに、サリーを呼びつけるようになった。

 サリーは、彼の身勝手な愛情を、すべてを受け止めた。

 王配と繋がることで、サリーはメイドたちからいじめられることが無くなった。

 彼はすっかり心を許し、サリーに対して、クーデター計画を話してしまった。


 それから数日後。深夜、人々が寝静まった頃、ウロウロするメイドが一人。

 サリーは貴重な休日を使って、ツリールと密会しにきていた。

 彼女は、ツリールを見つけると今まで我慢してきた喜びを爆発させて、抱きつく。そして、情熱の瞳で彼をとらえ、キスをした。腰に手を当て、人目のつかない場所に行く。


「また、お会いしたかった」

「俺もだよ、サリー」

 するとサリーは、人目を気にするように、周囲を伺った。


「王配と共にクーデターを起こすおつもりのようですね」

「もう話したのか。甘いよ、あいつは」

「私に言ってくだされば、彼を陥落して見せましたよ?」

「君は魅力的だからね」

 ツリールは興味なさそうな顔をしたので、サリーをムキにさせた。

「彼はもう裏切りません」

「どうしてそんなことが言えるのか?」

「愛に飢えた男というものは、そういうものでしょう。私が満たしてあげましたから」


 曲がりなりにも心配していた女王は彼を子供として扱い、利用していたサリーは彼を男として扱った。彼が求めていたものと女性の本心は一致しなかった。

 サリーは、ツリールの首に腕を絡める。そして、再び接吻をした。

「どうか、あなたが王になった暁には、私を女王にしてください」

「ああ。君がクイーンだ」


 サリーは女王に憧れていた。

 自らが権力を持ち、自らの力で支配し、自らを守る。だが、それができないことは自分で分かっていた。

 いびってくる先輩に対しても、彼女は無力なのだ。だから、ツリールにそれを負託し、やらせたかった。そして、女王になりたかったのである。


 野心を共有できる友情。欲情をぶつけられる対象。城内ですれ違うたびに頭を下げさせる社会的栄誉。

 ずっと馬鹿にされ無視され蔑まされてきたミトル九世は、今、幸せを手に入れたのである。彼は今この瞬間ほど、幸運なことはないと考えていた。

 彼は全能感で溢れていた。「やはり、僕は特別なのだ。今までのことは、英雄伝にありがちな不遇の幼少期に過ぎなかったのだ!」と、彼の心はざわめいていた。

 そしてますます、自分はもっと上がれるもっと上に行けると思うようになった。


 クーデター計画は進捗を見せていた。

 ツリールは部下たちを、王配に紹介した。クーデターを共に行う共犯者である。

 彼は、その騎士たちに、自分のことを『ミトル六世』と呼ばせていた。

 自分を曾祖父の生まれ変わりだと信じるようになっていた。仲間の騎士たちを密かに集めて、彼は戦争ごっこに明け暮れるようになった。


 ツリールはそんな彼の行動を疎ましく思うのである。

 発覚すれば、当然失敗で、処刑は避けられない。しかし、クーデターを完遂するまでは神輿が必要であったから、どうにも強く出れなかった。

 力で彼を押さえつけるのは簡単だろうが、それで下手に暴れられたら、計画が露呈してしまう。


 王配を中心にこんな目立つことをしているものだから、直ぐに女王の親衛隊が嗅ぎ付け、伝令官を通じて、侍従長へ伝えられた。

 訪問先の国境付近の城で、侍従長は女王と密かに会談し、対応を協議する。


「どうやら、王国騎士団の一派が、王配をたぶらかしているようで。メイドとも姦通している、との報告でした」

 女王に忠誠を誓う親衛隊と違い、王国騎士団は諸侯会議の合意がなければ動かない『諸侯たちの軍隊』である。

 王国騎士団と、女王・親衛隊の間には、微妙な距離感が存在していた。そのため、王国騎士団の中に危険な一派が現れるというのは、あり得る話だった。

「私が留守の間に、いったい何をやっているの」

「おっしゃる通りでございます」

 女王はため息をついた。

「私の弟もそうであった。男の子はいつも話を聞いてくれない。彼が生きてさえいてくれれば、私は王などならなかっただろうに」

「女王陛下。勇敢に戦死された弟君と、クーデターを企む外方を一緒にしてはなりません」

「そうではない。どうして私の心配を分かってくれないものなのか、と言っている」

 女王は侍従長の意見が的外れだと感じたため、苛立ちを口調であらわにした。女王の心持を察した侍従長は、黙りこくるしかなかった。


「しかし、王配を取り込み、それを見せつけるとは。ツリールという男は、とんでもない悪党でございます」

「いいえ。半端者で助かった。私に策がある」

 女王は、窓から鳥を見る。穏やかな気持ちになる。彼女は、まだ心のどこかで、王配が──自分の夫が──裏切っていないと信じたかった。


 首都の郊外。人気のない山道。ここで帰還する女王の馬車を襲撃し、王冠を奪う。

 いくら外方の王配とは言え、王冠さえ奪ってしまえば諸侯たちは従う、というのがツリールの主張だった。

 誰も異を唱える者はいなかった。女王本人がいないこともあって、彼らは内心浮かれていた。事実、前日に葡萄酒を飲んで、宴会をしていた。勝利の前祝いであった。


 ミトル九世は突然、女王の焼いてくれたマフィンを思い出した。柔らかく香ばしい。女王はそれを笑顔で持って来てくれた。

 そんな女性を殺そうとしているのである。「違う。僕は王冠を奪うのではない!王冠を取り戻すのだ!」、彼は心の中で叫んだ。

 それが間違っていることは、彼自身も知っていたけれど、唱えることで気分が楽になった。だけれど、罪悪感は決して彼を逃がさない。彼は泣きそうになってしまった。


「なーにビビってんだよ、『ミトル六世』。王になろうぜ!」

 仲間の騎士たち、そして兄貴分のツリールに言われ、彼は考えるのをやめてしまった。「そうだ。これでいい」と彼は自分に言い聞かせた。


 馬車が通過を始める。ツリールの協力者によると、女王は三番目の馬車に乗っているらしい。ミトル九世は脚が震えた。心臓の鼓動も大きくなっていた。

 もう二度と立ち上がれないのではないかと、彼は思った。三番目の馬車が見えてきても、誰も合図を示さない。彼はむしろ不安ではなくなっていった。このまま何も起こらず、クーデターは中止になるんじゃないかと思うと、彼は嬉しくなった。


「うおおおおおおおお!襲ええええええええ!」


 突然、ツリールが立ち上がった。護衛に向けて、矢が放たれる。

 多くの雄叫びに従って、ミトル九世も自然と前に進む。騎士たちは興奮状態に陥って、何の恐れもなかった。

 自分が殺されないために、相手を殺さなくてはいけない。地面に血。自らの身体に返り血。混戦模様が続く。


 ツリールと共に野望を叶えたい!女王に自分を認めさせたい!サリーに男らしいところを見せたい!母親に!母親に…。

 戦いの惨劇を目撃するとともに、彼の心の中は様々な欲望に満ち溢れた。しかし、護衛を殺していったのは仲間の騎士たちで、彼はまだ一人も殺していなかった。


「こい!」

 突然、ツリールがミトル九世に叫ぶ。二人は護衛の死体を踏みつけながら、女王が乗っている馬車に向かった。

 ミトル九世は、剣を抜く。鞘から抜き切った時、彼はよろけた。この剣は、彼にとって重すぎる。

 ツリールが大きな音を立てて、馬車のドアを開けた。

「しまった!」

 そこにいたのは、王冠を被った女王本人ではなく、女王のメイドであった。

 そのメイドは、彼らを見るなり睨みつける。

 ツリールは、転げ落ちるように馬車から降りると、泥まみれになりながらもう一つの馬車をこじ開ける。しかし、使用人がいるだけで、どこにも女王はいない。


「動くな!包囲した!」

 見渡すと、どこに潜んでいたか四十人ほどの親衛隊が現れる。そして、鎧を着た女王も現れた。

 女王は、自らの王配を見て、一瞬表情を動かしたが、すぐに整然とした顔に戻る。命が名残惜しい騎士から順に、降伏を始めた。


 ミトル九世が追い詰められたことは言うまでもないが、女王自身も追い詰められいた。もう、「疑惑止まり」ではないのだ。

 女王が乗っていたとされる馬車に向けて、剣を抜いたこの事実は、言い逃れの出来ない謀反心の証拠である。後ろにいる親衛隊員たちは、女王の背中に試すような視線を送っていた。女王も、振り向かずともそれを良く理解していた。


 また、政治的な側面からとらえるならば、諸侯たちの合意を得ずに直轄の親衛隊を率いて事を起こすというのは、著しく通例に反していた。だからこそ、より引き返せないわけだ。ここでおめおめと引き下がれば、女王の地位にかかわる。

 女王は、指示を出した。冷たく甘さの無い声である。


「謀反人をとらえよ」


 親衛隊員たちはすぐに、動き出す。

 犯罪者に対して行う乱暴なやり方で、押さえつけ、彼の両腕を後ろに縛った。

 もう、ミトル九世を王配として扱う者はいなかった。

 彼は生まれて初めて、自分を客観視した。

 ツリールと交わした男の友情は本物だったのか?サリーはなぜ、自分に惚れていたのか?なぜ妾の子の自分が、王配になれたのか?

 彼は自分が何も持っていないことに気が付き、捨てられた乞食のようにうずくまる。


 しかし、それが遅すぎたことは、ここにいるすべての人が知っていた。彼自身も含めて。


「ミトル九世」

 女王は、毅然とした態度で呼びかける。決して跪くことをせず、見下ろした。

 彼に対してこれから起こる避けられぬ運命を考え、女王はただただ哀れんだ。彼はゆっくりと、顔を上げる。


「僕の本当の名前はアランというんです。お母さんがつけてくれました」

 彼は、小さい声で述べた。


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