第一部 4・円山競技場
初めての陸上の公式試合に臨んだ野田賢治が経験したのは、今まで思いもしなかったことばかりだった。
野球から陸上競技に転向したノダケンの思いはいかに……。
やっとのことで長い冬から解放された。今日はそんな厳しい寒さに耐えてきたこの北の街を祝福してくれているような一日だった。
道路を挟んで向かいにある円山動物園は、開園前の時間なのに家族連れの車が次々とやって来ていた。桜はまだ五分咲きにも満たない。それでも、北海道神宮の境内付近にはこれから花見客が大勢繰り出してくるに違いない。野球場では社会人野球の大会が行われ、テニスコートと陸上競技場は高校生の大会だ。みんな、それぞれに独特のスタイルをした選手達が自分の活躍の場所を目指して歩いていた。
札幌市と近郊の高校生が参加する春季記録会は、学校対抗の種目は行われず、シーズン初めの大会として、個人の記録を確かめるために行われている。出場は一人二種目までと限定されていても、学校毎の出場人数制限がないため100m競争は男子だけで15組も行われる。残念ながらやり投げは実施種目には入っていなかった。100m走に出ることになった僕は、120人もの選手と競うことになった。
もっとも、100mの正式な競技に出ることなど初めてで、自分の力だってどんなものなのかは知らない。それでもひそかに、自分の足の速さには自信があった。野球をやっていた七年間で盗塁を刺されたことは一度しかなかった。それも、明らかに審判の立ち位置が悪いために見誤った結果でしかないと思っていた。自分のタイミングでスタートできれば絶対に成功する自信を持っていた。
女子のレースが半分を終え、去年の新人戦の優勝者だという北翔高校の3年生が12秒4のタイムを出したという。気温の低さやシーズン初めという身体の出来具合から、良いタイムが出にくい今の時期にして、12秒4は悪くない記録だという。追い風がかなり後押ししているようだ。南が丘の1年生から一人だけ出場した山野紗希は12秒9で走り、2年生や3年生よりも良いタイムを出した。
並んでスタートを待っていた2年生の坪内航平が自慢するようにいった。
「あー、やっぱあの兄弟はさー、DNAレベルで運動神経発達してんだよなー。」
垂らした前髪の奥から、小さいけれどもちょっとだけつり上がった鋭い目が覗いていた。
「兄弟って?」
「あー?! なに言ってんのおまえ、3年の山野憲輔さんだろ」
「兄弟なんすか?」
「おまえ、バカか。ったく。顔見たらそっくりだろう! たぶん性格もな!」
「ああそう言われれば、大きくて鋭い目が、似てますよね。」
「お前、ホンットに周りのこと分かってないな。鈍いっていうかなんて言うか、足は速えくせによ。」
「すんません。田舎もんなんで。」
「なんでも田舎もんでごまかすなって。お前って、本当に、真面目なのか鈍くさいのか……」
小柄な身体を利して足の回転で勝負する坪内航平は、野球でいうとセカンドやショートに多いタイプだ。こういうタイプは、バッティングも器用で「うまい」野球をする選手が多かった。そして、人一倍負けん気が強いという共通点をも持っていた。だから常にちょっとした細かなことにもトコトンこだわってしまうことが多い。
得意のスタートダッシュと同様、坪内航平はしゃべりもやたらに速い。そのため僕は時々聞き取れないことがあって、それを理由にまたバカにされるのだ。彼にとって、僕は絶好の「口撃」の対象だったようだ。
野球部にいた頃、先輩が後輩をイジったり、けなしたりするのはいつものことだった。そんなことは当たり前で、僕はたいして気にもしなかった。もちろん敬遠する部員たちも少なくないわけで、実際、陸上部の1年生の中で坪内さんの評判は悪かった。露骨にそういう反応を示す1年生も少なからずいた。僕は去年までの先輩と似た雰囲気を持っている彼のことをそんなに嫌いではなかった。というより、何かにつけて話しかけられる(いや、イジられているのかも)ので、かえって親近感のようなものさえ感じていた。
それにしても、僕はもう少し周りのことを知る努力をしなければならないのかもしれない。誰かに教わるまで何も知らないままだったことがこれまでもたくさんあったのだ。
男子の部が始まり、3組目に山野憲輔さんが走り、11秒6の2着でゴールした。この先輩は大柄なわりに小さな走りをしていた。上下動の少ない走りは外野手向きかもしれない。9組目の坪内航平さんは、得意のスタートから11秒5のタイムを出した。僕の1組前の11組では3年生の大迫さんが噂通り強く、スタート後、身体が起き上がってからの加速で他を大きく引き離し、余裕を持ってゴールに飛びこんだ。タイムは11秒2。今までの組では1番の記録だった。
ようやく僕の番になった。緊張感はさほどではなかった。100mは望んでいた種目ではない。チームの勝利を背負っているわけでもなく、2アウト満塁でもないのだから、自分だけのために走ればいいのだ。
3レーンにスタブロをセットし、一度自分のタイミングでスタートしてみる。10メートルほどのダッシュの後スタート地点に戻った。ゴムの走路がずいぶんと柔らかく感じた。同じようにして戻ってきた7人と並び、スターターの合図を待った。
スターティングブロックの後ろに立つと、みんなはそれぞれいろいろなことをやっている。左隣の2レーンの選手はしきりに体をゆすっている。右隣の4レーンでは、その場でジャンプを繰り返している。目をつぶって静かに深呼吸を繰りかえす選手もいた。5レーンの大柄で筋肉質の選手は、スタートのリズムを作るためか腕を小刻みに振っている。そうやって自分独自の方法で集中力を高めているのだろう。視線の先にはゴール地点の白いテープ……。
いや……テープはなかった。
年に一度だけの運動会で、白い紙テープを最初に切りたくて頑張っていた小学生の頃。負けたくない、という気持は先頭でゴールのテープを切りたいという気持でもあった。けれども、今、このスタート地点から見る目標のゴール地点にはなんにもない。ただ走路の両側に2本の白い杭が立っているだけだ。さっきまで何度も先輩たちの走りを見ていたのに、その時には全く気付かずにいた。
スタート前の選手たちがゴールを見据える緊張の場面のはずが、なんだかちょっと違った。目の奥や背中のあたりの力が抜けていくような気がした。陸上選手として記念すべき初の100mは、スタートを切ろうとする今になって「ゴールにはテープなんかない」という、そんな当たり前なことを初めて知る瞬間へと変わった。頭の中に空白ができてしまったような気がした。左右の選手たちは、みな緊張感たっぷりの顔をしている。
「オンニュアーマークス!」
赤い帽子をかぶったスターターが叫んだ。初めて聞く言葉だった。運動会ふうに言うと「位置について」ということらしい。
「シャアッ!」とそれに合わせて大きな声が外側のレーンから聞こえた。
「シアース!」と左隣の選手が気合いを入れた。
両足をすっと開いたスターターが、白く四角い台の上に真っ直ぐ立つ姿がかっこ良かった。次は何という言葉なのだろう。急に胸のあたりが忙しくなってきた。
右膝をついて、左足を前側のスターティングブロックにセットし、両手は白線の手前に親指と人差し指で支え、肩幅より少し広く平行に置いた。腰を小さく左右に振ってスターティングブロックに両足を更に押しつけた。一度顔を上げてゴール地点を見た。
「遠いな」
自分のレーンを示す二本の白線が遠近法の存在をはっきり主張していた。それは9レーンの全てをまとめるようにゴール地点に集結している。頭を下げ、息を整えた。そして軽くはき出した。
「よーい!」じゃない次の言葉を待った。
隣にある野球場から金属バットによる打球音が聞こえてきた。耳に神経が集中しているのを感じた。
「セット!」
腰を高く上げると、指と肩とに体重がかかった。
「ドン!」という音なんかじゃない。「パン!」とも「バン!」とも「バシ!」とも聞こえる音を聞き飛び出した。引き上げられた右膝で一歩目が遠くに着地し、その右足にしっかり身体をのせて左足を出す。右、左、と進めるうちに脚にかかる力が軽くなってきた。スピードに乗ってきた。肘を曲げ、拳を握らないように意識を小指に集め、視線は遠くにおいてなにもないゴールに向かった。
追い風はいつの間にか止み無風状態だったが、顔にぶつかる風の強さがほっぺたを揺すった。結構寒い。腕を大きく前後に振り、ひざは意識して高く上げ地面を上からたたきつけるようにしてゴムの走路を踏みつけた。タータントラックというゴム製の走路は、野球場の赤土とは違って跳ね返りが強い。つま先が埋まったり、滑って前足が抜けたりすることもない。
ゴールが近いことを示す横線にさしかかった時、右隣の選手が前にいることに気づいた。
今まで以上に腕を強く大きく振ろうとした。とたんに肩が揺れ、腕の力が首筋を硬くした。練習の時に沼田先生に言われていたようにリズムよく走ろうとしていたのが急に崩れ、上半身の前傾が大きくなり前につんのめりそうになった。打席でフルスイングした後に1塁に駆け出すときのように、全身の力を使ってなんとかこらえた。テープのないゴール付近を通過した時、1レーンの選手がわずかに自分の前にいるのが見えた。
3番目でのフィニッシュだった。第1コーナーの入り口まで走り、右に折れて場外への通路に向かった。
「負けた」
思わず空を仰ぐと、五月の陽射しがちょっとだけ目を痛めつけてくれた。なにも考えられないうちに終わってしまった。
斜面に段差をつけて下へと続く隣のテニスコートから女の子達の歓声が聞こえてきた。武部はどうしているだろう。あいつも今日が人生初のテニスの試合なのだ。
記録は11秒7だった。初めて正式な記録を手にしたものの、この1本の100mのために僕はここで一日を過ごしている。準決勝、決勝と進んでいかない限り、これで一日が終わってしまう。野球の試合は中学であれば7回まで行われ、時間にすれば2時間程の真剣勝負ができる。今日は11秒で終わってしまった。この短い時間の中で自分の楽しみだとか満足だとか、いったいどこで、どんな瞬間に感じるものなのだろうか。自分の力だけが勝負の決め手になる個人競技を望んでいた僕の考えは、本当は自分自身の適性とは違っていたのだろうか。
センターの位置から、投球のコースに合わせて守備位置を変え、スイングの強さと打球音で飛球の位置を判断してスタートをきる。そんな野球をしていたときの方がはるかに中身の濃い、極める価値のある時間だったのではなかったのか。相手投手の配球を読み、自分のポイントまで引きつけたボールをフルスイングできる野球の方が、遥かに満足感を得られる競技だったのではないのか。自分のいない競技場で他人が走っている姿を見ていても何も感じるものはなかった。
テントへ戻って、一人きりの昼食を摂った。野球部時代には一人で昼食を摂るなんてことは考えられないことだったが、それぞれが自分の出場種目の時間に合わせて食事をとるのが陸上競技の「あたりまえ」なのだ。午後からは大迫勇太先輩の100m決勝を応援するために全員でメインスタンドに移動した。風がすこし強くなり、ゴール地点に向かって左後方からの追い風に変わった。2時現在はプラス3.2メートル。
電気計時を行っていないこの大会では、スターターのピストルから白煙が上がった。山口さんのストップウォッチが動き出した。大迫さんがとびだした。身体が起き上がりトップスピードに乗るまでは、とてもスムーズに動けていた。中間疾走でスムーズな動きを維持できれば記録に結びつくらしい。でも、何だか少し力みが見える。肩の辺りが盛り上がっている。膝下の動きが小さくなったように感じた時、隣のレーンにいた北翔高校の山崎昇が前に出た。
この選手は予選の時、僕と同じ組で一番だった選手だ。大きな動きで股が高く上がっている。身体の大きさを活かしたダイナミックな走りで後半一気にスピードに乗ってきた。腕の振りが大きく、股の太さが印象的だ。この人はきっと200mも強いのだろう。
最前列にいた僕たちの目の前を走り抜けていった山崎昇に、大迫さんは勝てなかった。後半の動きが対照的だった。追い風参照記録だったが、山崎昇は10秒9のタイムを出した。大迫さんは11秒1。追い風は2.6m。ほんのちょっとのオーバーで公認記録にはならなかったけれども、10秒台の記録に山崎昇は手をたたいて喜んだ。
中学の時からずっとトップを走ってきた大迫さんが札幌で負けるのは珍しいことなのだという。彼は第1コーナー付近に立ち止まっていた。天を仰ぐという言葉がまさにぴったりな動作で、係員に促されるまでしばらくの間腰に手をあてていた。
大迫勇太の長い前髪に風が容赦なく吹き付けていた。
中学校の先生から陸上競技部の新入生たちは走ること、跳ぶこと、投げることに新鮮な驚きの表情で参加すると聞きました。中学まで野球に熱中していた野田賢治にとっての初めての試合はちょっと期待外れだったようですが、果たしてこれから彼の高校生活はどうなっていくのでしょうか。そんなことを自分でも期待してしまう次回の展開です。それは、はたして?
「カクヨム」でも作品を公開していますのでそちらの方もよろしく。
ガンプロ
https://kakuyomu.jp/works/16818093084481963100
遅れてきた先生
https://kakuyomu.jp/works/16818093084668062042
巨人大鵬卵焼き
https://kakuyomu.jp/works/16818093084913278621