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44.堤防前で……結論を

 保釈中に逃亡した父親を憎んだだろう。保釈金を背負わされて、ともかく腹立たしい気持ちを紛らわすように働くしかない。当時の未亜(みあ)が抱く心情は理解できる。自然だと思う。


 けれども当人は今、悔やんでいる。

 怒りに任せるだけでなく、なにか寄り添う行動はなかったか。逃亡先が家族旅行の地と判明すれば、自死の意志が想像された。結局は堤防から転落する事故死であったが、不慮と片付けられない前兆が散見できる。少なくとも娘に保険金を残したいとする気持ちの存在は想像に難くない。


 ぽつり、未亜が言う。


「お父さんが亡くなった場所。たまに夢へ出てくるんだ」


 横に立つヤスオは胸が苦しい。急に後悔が大波となって押し寄せてきた。


「じ、自分は未亜さんにトラウマを刺激するような場所へ誘ってしまったようです。な、なんと気の利かない、なんとお詫びすればいいやら……」

「それは違うよ、やっちゃん。うん、それは違う」


 慌てて未亜は首を横にゆっくり、けれども鋭く振ってくる。

 気遣いが見え見えなのに肝心で鈍くなるのがヤスオである。


「いやぁ〜、でもどうなんでしょう。未亜さんが大変な時を見ている自分が海辺に連れてきてしまうなど配慮が足りません。お漏らしのことまでバラされてしまいますし」

と、出すべきエピソードを間違えている。


「やっちゃん、けっこう気にしてたんだね、それ」


 もちろんです! と力込めて答えるヤスオは完全に流れを読めていない。ただこれが幸いした。

 未亜が頬を緩めてくる。微笑が口許を掠めていく。

 もっとも気持ちをほぐした当人は気づいていない。


「子供だもん、仕方がないよ。気にするのはやっちゃんらしいけど」

「しかしですよ、小学五年だったのです。やはりこの年齢ではまずい。特に凪海(なみ)さんに知られたことが致命的と言えるでしょう」


 確かに、とそこは未亜も真面目な顔で納得していた。

 滅多に肯定されないヤスオである。同調されたら調子に乗るのは必然で、口はとても軽くなる。


「そうなんですよ。なかなかお漏らしした本人は気になるもので、じいちゃんもばぁちゃんもしてしまった時はずいぶん気にしておりました。身体が不自由になのだから、しょうがないのに……あれ、どうかしましたか?」


 話しを途中で切り上げるほど、未亜が何か思い詰めている。

 訳がわからないヤスオは、おろおろするだけだ。

 やがて星空の下、未亜は堤防を見上げながら軽い口調で宣言する。


「お漏らしの件はわたしたちの間であっても言わないでおこう。うん、そうしよう。それは凪海だけじゃない、菜々ちゃんも、わたし自身にも言い聞かしておく」

「そ、そうですか。でもまぁ、たまにだったら別に……」


 変なところで譲歩するヤスオに、はははと未亜は困惑気味の苦笑で応えていた。


「そろそろ戻りましょうか。夜風は身体に堪えます」

「そうだね、わたしはいいけど、やっちゃん、寒いでしょ」


 言われてみればヤスオは寝間着に上着を引っ掛けただけだ。未亜のほうは外出しても問題ないほど、しっかり着込んでいる。おっしゃる通りです、と畏まって答えた。


 帰りがけに今一度、未亜は振り返った。

 そびえる堤防を見上げながらだ。


「良かった、本当に来て良かった。ありがとうね、やっちゃん」

「そんな何度も。こちらこそ女性と一緒に旅行など自分の安い人生にあり得なかった夢のような体験をさせていただき、感謝の極みですよ」

「でもさ、やっちゃんって大胆だよね。旅行先は実家で、しかも生まれ育った場所なんて。わたしや菜々ちゃんはちょっぴり緊張してしまったよ」

「そうなのですか」

「そうなんですぅ」


 真剣に問いただすヤスオに、おどけたような未亜だ。


「まあ実家にしたのはお金がかからない点も大きかったですかね」


 まだ話題に引っかかっているヤスオが、ふと気がついた。

 真剣な眼差しを、じっと未亜が向けてきている。

 どどどどうしました? とヤスオらしい反応を見せた。


「わたし、今度の旅行で結論を出そうと思ってた」


 瞳に決意の色を、さすがのヤスオでも認められた。


 ちらり未亜を公園で胸に抱きとめていた男性の姿が頭に過ぎる。相手は長年に渡って交際し婚約までしていた馳暁斗(はせ あきと)だった、と説明を受けている。彼の母親である法子が怪我をすれば介護に通っていた。旧くから知り、家族同士の付き合いがあった相手であった。

 格好良いし、出世の道をひたすら走っているみたいだ。

 ヤスオにすれば、自分とは比較すらならない人物に思えた。


 思い浮かんだ相手の名前が未亜の口から出てくる。暁斗がね、と。


 力いっぱい唾を飲み込んだヤスオは全身が硬直状態だ。それでも珍しく言葉が絞り出てくる。


「知ってます、その方のことは知っております」


 かちこちの声が出た。


 そっか、と未亜はちょっと目を伏せる。けれども直ぐにまた視線をヤスオへ戻して言う。


「暁斗がロサンジェルスへ転勤になるみたい。母親も連れていくみたいなんだけど、わたしも一緒に行かないかって、誘われている」


 それはヤスオに別の意味で決断を促した。

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