40.海辺で……奇妙な心持ち
うぎゃぎゃ、とヤスオが初めて聞かせる奇声を発した。
もちろん本人に変な声を出した自覚はない。
「な、なんだよ、ヤスオ。いきなりおかしな声、出すなよ」
多少とはいえ珍しく凪海がビビっている。
脇に立つヤスオはそれはもう力強く両手を握り締めている。
「ままままさかです。自分の大切な人をこんな自分に、この安田ヤスオのようになって欲しいなど言われる日がくるなんて。人生、初めてですよ」
「言っておくけどな。人格的なものは含まないからな」
「当たり前です。このような者になったら、女性とは無縁。つまり凪海さんは生まれない、となりますからね」
あ、でも今は女性と一緒でした、とヤスオはぶつぶつといった具合で付け加えている。
はぁー、と首を落とす凪海だった。すっかり気も削がれれば、うなだれる顔も上がらない。
落ち込んだ様子は己れのせいと思えば、ヤスオは安穏としていられない。
「すすすすすみません。気持ちが悪いですよね、お父さんをこんな自分と同じ土壌に置かれたら」
「気持ちが悪いとか思うわけねーだろ。なんでそっちへ行くんだよ」
「ええっ、だって自分の気持ち悪い行動を指摘する方は凪海さんくらいですよ。有り難い限りですが」
ヤスオは手に負えない状態へ入っていた。
ああ、もう! と雄叫びを上げた凪海は勢いよく立ち上がった。乱暴に頭をかきながらである。
「ヤスオのピントがズレすぎだからだよ」
えっ、そうなんですか! とヤスオがたいそう驚いて見せてきたせいだろう。
凪海の感情に火が点ったようだ。ついかっとなった調子で口へ吐いてくる。
「いいか、ヤスオ。新しい家族が出来るぞ、なんて言いこといって再婚されても、そんな簡単じゃねーんだよ。やっぱり血のつながらない、途中からじゃ、難しいんだよ」
えっ、そうなんですか! とヤスオが全く同じ反応を繰り返す。
そうなんだよ! と凪海が大きく強く返した。
うむむむ、と唸るヤスオは胸の前で腕を組む。気になるほどの大袈裟な仕草を取った。
「でも弟さんたち、わざわざ下宿先にまで押しかけてきたのですよ。お姉さんのことが心配のあまり、と思う次第です」
ま、まぁ……、と凪海が惑いを見せた矢先だ。
はっ、とヤスオが何かに閃いた顔をした。でもでも……、と始める。
「ゲームをやりたかっただけかもしれません。お姉さんから噂を聞けば、我が家にゲーム機及びコンテンツの充実は予想できたでしょう。拓真くんなどは自分と勝負したくてしょうがなかったのかもしれません」
ヤスオぉおお、とする凪海の呼び声は迫力満点である。
ははははい、と組んだ腕を外すヤスオは直立不動の体勢を取った。
「ヤスオ、てめぇー。話しを台無しにするんじゃねー」
「べべべつに自分ならそういう気持ちで行くかもと思っただけですよ」
「これだから、ヤスオはよー、ゲームしか頭にねぇーのか」
「確かにそうです。そうなのですよ、としか言いようがありませんが、だとしたら凪海さんもまたどうして急に家族が難しいなどと考えたのです? 久しぶりにきた海に思い出を刺激されたのはわかりましたけど」
前方に広がる海へ視線を送り続ける凪海だ。ヤスオを見ずに語りかける。
「まったくよー、鈍いんだか鋭いんだか、わっかんねーヤツ」
「こんな自分を鋭いなんて言う者は誰もいません。どうしたんです、凪海さんが見誤るなんて、調子ワルすぎですよ」
冗談ならともかく真面目にこられ、今日の凪海は白旗を掲げるしかない。変なスイッチが入ったヤスオの手に負えないさだ。打ち明けるしかないと心を決めさせた。
「そうだよ、オレは調子が悪いんだ。沙織さんに岩崎さんと一緒になって欲しくて家を出たけど、大翔たちの将来に関しては協力はするさ。なのに拓真までもオレにはなにも言わないで、迷惑かからないよう進学をどうするかなんて……家族なら遠慮なんかするか!」
凪海の吐露は最後のほうで叫びになっていた。
思うところがなければヤスオは気圧されていただろう。とても引っかかる部分があったから、ふむふむとなった。質問せずにいられない。
「えーと、つまり大翔くんも拓真くんも、凪海さんに内緒が多いってことですか」
「そうだよ。まだ金がかかりそうな進路だから、もうこれ以上の迷惑をかけたくないとかで、言わなかったんだってよ」
「なんだ、つまり家族という話しですよ、それ」
はぁ? と凪海が海からヤスオへ顔を向けた。
「隠し事することがかよ」
「はい。自分は昨晩、信二くんを迎えに行った際に痛感させられました。やっぱ身内だからこそ、心配かけたくなくて言えなくなるものです」
息を呑む凪海だ。
ヤスオにすれば自分の言葉によって声を失くさせた場面だ。だが気づかなければ、返事がないと解釈する、焦ってしまう。慌てて話しを続けた。
「つつつつまりですね、うららには兄だけでなく両親にも打ち明けられないことがあったんだと知った昨晩なのです。でもまぁ自分も祖父母との暮らしにおいて、実家には伏せておいたこともかなりありました。心煩わせるだけと思えば、言えませんよ」
「で、でもよー。将来に関わることなんだから、頼ったって良くねーか」
「拓真くんから聞きましたけど、お父さんが亡くなった時に凪海さんは生活のため大学を中退しているようではありませんか。自分も同じ立場ならこれ以上は迷惑をかけたくないってなりますよ。相手が家族であれば尚更です」
微かな海風が耳元を通りすぎていく。誰もいない砂浜は静寂に覆われた。
沈黙はヤスオに怯えをもたらした。自分の発言で相手が口を閉ざしたと考えれば、何か気に障ることを言ったか、言ってしまったに違いないとする結論へ至る。
「……あ、あの……凪海さん……」
と、堪えきれず呼ぶ小心者であった。
なぁ、と凪海は反応するだけではない。じっとヤスオへ視線を据えてくる。
ははははい、と返事をしたらである。
「ヤスオは親や妹相手だったから言えなかったってことがあったってことか」
「そうですそうです。むしろ友達にこそ言えたなぁーって感じですよ」
友達って言っても至一人だけでしたけどね、とヤスオは要らない解説も付けた。
ふぅ、と凪海は息を吐いてから口を開く。
「そうか。家族だからこそ秘密にするのか」
「だ、だって巻き込むことが確実なら、むしろ相談は責任が発生しない外部ですよ。いいアイディアが出ればラッキーぐらいで、ともかく話しを聞いてもらうだけで良しとする。無責任な立場にある相手にこそ、打ち明けるですよ」
あははは、と凪海が笑いを挙げた。
前と違って気持ちが入った響きであるよう気がする。
だから、ヤスオってひでぇーなー、と言われても不服は表にしない。
ヤスオは凪海が表明した意思に唯々諾々と受けなければいけない関係性もまた築かれている。
海辺へ近づく凪海から「こっち来いよ」とする要望を無視するはずがない。
ないが、いきなりヤスオは背中を蹴られたらである。
「ちょ、ちょっと、凪海さん」
頭から海へ突っ込めば、さすがに文句が出る。まったく〜、と上体を起こして振り返った瞬間だ。
凪海が飛んできた。両手を広げて覆い被さってきた。




