38.洗い物の後に……ぽろぽろです
どうして二日酔いの朝はお味噌汁がこんなにおいしいのでしょう。
ずずずっと啜った後にヤスオの口から自然ともれる感想だ。しじみを具とする選びも素晴らしい。
いつもの菜々ならここで講釈をひとくさりするだろう。今朝といってももう昼近くだが、そうですね、と一言ですましている。今日はダメだわ、とも言っている。
ホントおいしぃ……、と返す未亜はまだ菜々より調子が良さそうだ。ただマシとすべき程度の差でしかない。
「ううぅ、ここまで引きずるなんて。三十になるからだめなんだ」
世間にいる多くの人を敵に回すような発言している。何より体調が酷くなった原因は痛飲であって、あまり年齢は関係ない。
まだこの二人よりは元気なヤスオは勧めるサラダを頬張っている。食欲は回復傾向にある。食べ終われば、まぁまぁな調子へ戻っていた。
「わたし……もう、だめ……」
未亜は味噌汁は飲み切ったものの、サラダは途中で投げ出した。
菜々に至っては、うーと唸っては再び布団へ倒れ込んだ。
食べ終わった食器を抱え厨房へやってきたヤスオは洗い物を始めた。ふらっとくるから酔いは完全に抜けていないようだが、復調しつつある。
「ヤスオー、別に洗わなくてもいいよ、つけておくだけで」
ひょいっとうららが顔を見せてきた。今時と言えるチャコールグレーの割烹着で身を包んでいる。
ジャージのヤスオは洗い場に置いた手を止めない。
「これくらいはさせてくれよ。別にお客さまじゃないし」
ヤスオらしいね、と笑ううららの横を信二に両親がすり抜けてくる。昼が近づけば、食堂の繁盛はこれからだ。家族総出で本格的な準備に入っていく趣である。
元気だよな、とヤスオが両親へ向ければ、未亜と菜々の様子を母親が訊いてくる。今日は寝かしておいて欲しい旨で返した。
「ところで凪海さん、知らない?」
厨房にいなくても、きょろきょろといったヤスオのパフォーマンスである。
海辺へ行ったみたい、と母親が教えてくれた。
「じゃ、お昼くらいにはお腹を減らして返ってくるか」
と、ヤスオが拭き終わった洗い物を置いていたらである。
ヤスオー! と、うららがなぜかお怒りだ。なんだなんだ、と目が泳ぐ挙動不審な兄へ叱りつけてくる。
「迎えに行ってあげなさいよ。あたしに似てあんな良い娘を放っておくなんて、それでもヤスオは男なの」
怒鳴られたヤスオからしたらだ。
自分に通じるから良い子とするうららの牽強付会ぶりが、子供の頃からちっとも変わっていない。昨晩から家族の連中は長男に対し、やたら責めてくる。
だがそこはヤスオである。
疑問点は口にせず、自身と凪海の関係を素直に打ち明けた。常に頭の上がらない強い女性であり、下手すれば主従関係に匹敵する。もちろん主がどっちかは解説するまでもない。
「だからー、ダメなんだよ。お・に・ぃ・ちゃ・ん、わ!」
なんだか怒りをあおっていれば、ビビるヤスオである。ええ、なんでだよぉー、と威厳の欠片もない。
「凪海ちゃん、まだ二十代前半だよ。まだまだ大人になりきれない部分もあるお年頃なんだって。まったくぅ、ヤスオは十五上なんだから、気を回せよー」
「なるほど、了解しました。そう、確かにうららの言う通り、迎えにいきましょう」
納得したヤスオの声はとても力強いが、とても中身は薄い。
うげっとなったうららの表情だ。兄をよく知る妹であるゆえに、これで送り出しとはならない。
「あのさー、ヤスオ。凪海ちゃんが、今回は久しぶりの旅行だって訊いてる?」
「久しぶり、とは聞いているよ。でも、どれくらいかまでは知らないけど」
「亡くなったお父さんと二人で以来みたいなの」
えっ? となったヤスオはいろいろ考えつくことがある。
実は血のつながった家族がいない凪海だ。複雑極まる事情であるに違いない、とする予想まではついている。つまりわからないままにしている部分は多々あるわけである。
「それは……いろいろありそうだけど、なんだと思う?」
「それはヤスオ自身で確かめることでしょ。私はただ飲みの席で凪海ちゃんが旅行は久しぶりだって聞いただけ」
胸を逸らすうららだ。兄に対して偉そうにする姿は見慣れている。
だからヤスオは気にはせず、居るであろう海辺へ迎えに行くとする。
そうはすんなりならなかったのは厨房から店内へ出た際だ。
食堂の一角を男性集団が占めている。馴染みといった口調で、うららを呼んでいる。
注文を取りにテーブル脇に立ったうららが、次いでとばかりにヤスオを指差した。兄だと紹介してくる。
ぺこり、恐縮するまま一礼すれば、逞しそうな男性の客人たちは一斉だ。戸惑った表情を浮かべている。血のつながった兄弟? と驚愕のあまりするセリフも聞こえてきた。
幼少時だけではない、すっかり大人となった現在でも他人の反応は昔のままだ。
時間が経っても変わらないものは変わらない。
妙なところで変なスイッチが入る、それがヤスオである。柄にない気持ちになっていた。だから海辺で膝を抱えている凪海を一目するなりである。
ぽろぽろ涙が溢れて落ちてくれば止まらなくなってしまった。




