31.故郷で初体験……すんなりとは
本日は素晴らしい天気である。
碧で彩られる風光明媚な海岸線をバックに写真を撮った。
撮影してくれた人の良さそうなご年配夫婦が視界から消えるなりだ。
ヒドいですよー、とヤスオは泣きを入れた。
向けられた凪海は面倒そうな顔をしてくる。
「んだよー。いいおっさんがちょっとしたおふざけにいつまでも根に持つなよ」
「いーえ、この歳だからこそ、ようやく得られた夢の瞬間を台無しにされて悲しむわけですよ」
妹の旦那の信二を降ろせば、運転はヤスオに委ねられた。観光巡りは折り込まれていた楽しみだ。城ヶ島を中心にいこうと決めていたし、三人にも了解を取っている。
そう、ヤスオは張り切っていた。
誰かなどと綺麗事は言うまい、女性を連れて出かけられる。テンションが上がってしょうがない。以上の想いを自身のうちに留めず、当の女性三人へ口にして伝えてしまう男であった。
灯台ある場所へ辿りつけば、先客にご年配の夫婦がいた。
すみませーん、と未亜がデジカメを渡す。四人全員が収まる撮影を望んだ。
「どうしたんですか、安田さん。妙に震えてますけど」
菜々が懸念を示すほど、ぶるぶるしている。
「じじじ実は遠足や修学旅行以外で女性とカメラだなんて……こ、これは人生初なのでは、と気づいた次第なのですよ」
もはや怯える仔犬となっていたヤスオだ。
「んじゃー、やっちゃんは記念に相応しく真ん中ねー」
愉しそうに未亜はヤスオを引っ張り寄せた。目配せすれば菜々とで身体を密着させて両端から挟む。獲物の男は気が動転して石像化していく。少し屈む姿勢を取らされた。両肩に凪海が手を乗せてくる。
まさしくヤスオは女性三人に囲まれた。まだ信じられずとしているが、撮影された写真を見れば多幸感に包まれるはずだった。
シャッターが押される寸前に、背後から頭を絞められなければ。
ヤスオの人生で初めてとする女性と一緒の撮影は、ヘッドロックをかけられた体勢で終えた。記念すべき一枚は、ギャグそのものとなった。我慢できるはずがない。
「凪海さんは若者ですから、自分の人生であり得ないと思っていた事柄が奇跡的に体感することとなった喜びが、どれほどなものか。想像すらつかないのでしょう」
「別にいいじゃん。その後、ちゃんとしたヤツ撮ったんだし。撮ってくれたお父さんたちもウケてたしな。楽しい撮影だったと思うぜ」
諭すような凪海の言い分である。
なんだか誤魔化されているような気もしたが、所詮はヤスオだ。確かに、とうなずいていた。
納得なんだ、と未亜が口にすれば、納得してますね、と菜々も呟いている。
もっとも偽りない心情の吐露が幸いしたか。それからヤスオは長年の夢であった女性と並ぶ写真をたくさん撮ってもらえた。もちろん凪海が所々でおふざけを入れてきたものの、気にならないくらい撮影枚数を重ねていった。
なんだかんだ笑いが絶えない観光地巡りとなった。
海岸ではまだ夕陽とまでいかないが、日中の光りは確実に弱まり出している。
そろそろ実家が経営する宿へ、とヤスオはまず海岸縁に立つ未亜へ提案しようとした。
凪海は砂浜へしゃがみ込んでいるし、デジカメ片手の菜々は撮影風景を求めて突出して離れている。一番近くにいるのは未亜だった。
けれどもヤスオは声を呑み込んだ。
未亜の横顔を覗けば、ふと思い出した。
父親の遺骨が入った骨壷を抱きしめていた。居間の畳へうずくまって嗚咽をもらしていた。喪服が見せる印象か、なんだか背中がとても小さく映った。
ショックから立ち直れているのだろうか。
もしかしてかつての恋人にその家族との再会は辛い想いをぶり返させていないか。父親が鬼籍に入ってから、さほど日は経っていないのだ。
「どうしたの、やっちゃん?」
声をかけるつもりが、逆にかけられてしまった。
「あ、あのぉ……たた楽しみが楽しくしてくれていたらといいのかな、なんて思ってました」
ヤスオが自覚するほど変な言い回しになってしまった。もちろん、と笑顔で返されたから気を病まずに済んだ。
そろそろいきましょうか、と本来の目的を告げては次へ歩を進める。
砂浜にしゃがんでいる凪海の元へ向かう。
ヤスオがそろそろと口にしかけたら、先んじられた。
「海の砂浜なんて久しぶりだなぁー。ヤスオはよく来てたのか」
見上げてくる凪海の顔があった。
「子供の頃は砂浜が主戦場でした」
ちょっと後悔が過ぎったヤスオだ。なんだかゲームのやり過ぎみたいな答え方をしてしまった。特に相手が凪海だけにからかわれそうだ。
予想は外れた。
「オレも子供の頃はよく海にきていた。泳ぐより砂浜で城とかいろいろ作ってたな。父ちゃん母ちゃんとで」
現在の家族ではない話しをしているくらい、ヤスオだってわかる。
いい写真が撮れましたわー、と興奮するまま走ってくる菜々が救いとなった。
「いきましょう。ごちそうが待ってます」
やや大きめな声でヤスオは報せた。
愉しみーとする未亜に、おうよ! と威勢いい凪海に、ふふふとなぜか不気味に丸メガネを押し上げる菜々であった。
「しかし、あれだね。やっちゃんのご両親に会うなんて、ちょっと緊張するかも」
未亜が両の拳を胸の前で置く、気合いを入れるポーズを取った。
「そんな大した者たちではありませんよ。それに何より、未亜さんたちはお客さまです。リラックスしてください」
実際に緊張する必要性など全くない。ヤスオは心の底からそう思う。緊張など無駄です、と駄目押しの台詞を付け加えたくらいだ。
だから到着すれば驚いた。
宿の軒先で待つ両親は紛れもなく正装で固めていた。




