23.とりあえず……野菜スープです
いい大人である、けれども美人さんでもある。
そわそわしだすヤスオだ。
先だってのストーカー騒ぎがよぎった。つけ回すだけならともかく、凶行へ及ぶニュースはたびたび目にする。
実はやんちゃな未亜だから心配せずにいられない。
何度も柱時計へ目をやってしまう。
また時間を確認するヤスオへ、胡座をかく凪海はコントローラーを握りながらだ。
「未亜だって子供じゃねーんだぞ。それに返済で汲々としなくなってんだから、タクシーで帰ってくんだろ」
ですよね、とヤスオは返事するものの、既読がつかない送信メッセージが頭をよぎる。うわの空でプレイする格闘ゲームだった。
「だぁー、マジかよ。ヤスオ、強すぎんだろ。やる気ねーくせに」
「やる気とか、そういう問題ではありません。身体に刻みこまれた技術が出てくるものなのですよ。むしろ無意識のほうが、より発揮できるものなのかもしれません」
結局はゲームの話題になれば喰らいつくヤスオなのだ。
冷静な論戦を張っていたつもりだが妙に気取った口調へなっていれば、凪海の闘争心を煽ったようだ。いつまでも手ぇ抜いて勝てるなんて思うな! と挑みかかってくる。
ヤスオだって負けるわけにはいかない。
この格闘ゲームはシリーズの初めからやっている。つまり二十年以上は遊び……なんて柔な表現ではすまない、真剣なプレイを続けてきた。遠慮など出来やしない。
だが焦りに駆られる展開が訪れた。
凪海相手なら勝利は揺るがなそうだった。
私にもやらせてください、と代わった菜々が予想外の強さを示してくる。冷や汗ものの展開が続けば、ついに『LOSE』の文字がヤスオの操作するキャラへ覆い被さる瞬間がやってきた。
ふふん、と得意そうな菜々に、今度はヤスオのプライドが許さない。再戦を申し込めば、雪辱を果たせた。さすれば負けた方が勝ち逃げなんてさせないとくる。
こうして一進一退の白熱バトルへ明け暮れていた。
「まだ、起きてんだー」
無事の帰りを待ち望んでいた人物の声がしても、日常通りだ。
「鮎川さんがまさか、まさかの強敵です」
歯を食いしばり答えるヤスオに、菜々も続く。
「世界は広いことを安田さんに叩き込んであげられる、せっかくの機会ですからね」
こちらの意気も揚々だ。
帰宅した者へヤスオと菜々は目もくれず戦い続ける。
凪海だけが目の端で様子を窺っていた。
「先にシャワーいただきまーす」
いそいそ未亜がお風呂場へ向かう。
コントローラーに載せた指を忙しく動かしながらヤスオは訊く。
「お腹のほうは大丈夫ですか」
「うん、ちょこっとだけど食べてきた。それにこんな時間に食べると太っちゃうから遠慮しとく」
不意に、菜々のキャラが動きに鈍りを見せる。
ここぞとばかりヤスオは畳み掛ければ勝敗の趨勢は決するのであった。
「今のはずるい、ずるいです。未亜ちゃんが動揺されること言うから、もぉおお」
チャーハイ缶とおつまみが手元にある菜々が納得いかないご様子だ。
別にちょっとくらい太ってもいいじゃないですか、とヤスオの口から本人は気を遣っているつもりの無神経極まりない発言が飛び出す。
バカにしてますぅううう、と菜々が凪海も及ばない恐怖の形相で迫ってくる。
勝った喜びに浸る余裕などなくなったヤスオはひたすら謝罪するのみだった。
改めて再開となったバトルが三回目へ突入しようか、とするタイミングであった。
湯上がりとした未亜が居間へやってきた。
「ずいぶんシャワー、長かったな」
ヤスオたちが対戦している画面を見つめた凪海がかける。
「……あ、うん……まぁね……」
微妙な空気を察したせいか。直後に敗北を喫した菜々が悔しがっていない。立ち尽くす未亜を見上げる。
「自分ならいくらでも挑戦を受けますよ」
勝利の余韻に酔うヤスオだけが普段のまんまであった。だからだ。
「おい、未亜。ふらふらしてんじゃねーぞ」
投げる凪海がいつにない雰囲気を察するまで至らない。
若干厳しくなった菜々の顔つきを目に止められない。
返事をしない未亜の不自然さに気づけない。
ヤスオはどうしようもなく鈍いなりの行動へ出た。
「やっぱり、ちゃんと食べていないようですね。あまり元気に見えません」
コントローラーを離せば、自分が出した結論を信じ込んでいるのは傍目でも明白だ。
そうくるか! とする文字が浮き立ちそうな女性三人に対して断言をする。
「少しくらい体重がなんですか。ニンゲン、健康です。食べられなくなったらお終いです。十分で野菜スープを作りますんで待っててください」
ささっと台所へ向かう。味は薄めにしますよ、と言い残していく。
しばらく放置されるようである三人の女性に言葉はなかった。
いい具合に材料が残ってて良かったですよ、とヤスオのする独り言が居間の沈黙を破った。
「安田さん、私の分もお願いします」
「ヤスオー、オレの分も」
菜々と凪海といった二人分の追加となった。
「……わ、わたし、玉ねぎ、切るよ」
「それは助かりますよ」
嬉しそうにヤスオの返事だ。
台所へ足を向ける未亜の瞳は包丁を手にする前にも関わらず微かに潤んでいた。




