13.力づくで……昂ぶったけれど
改札を抜けたところでヤスオはびっくりした。
「あれ、未亜さん。どうして?」
人目を引く美人が可愛らしく唇を突き出してくる。
「これくらいの時間なら、まだ開いているスーパーあるしー。今日はやっちゃんに買い出しに付き合ってもらうモードなの。だけど、もしかして迷惑だった」
最後のほうで不安そのものを滲ませてくる。くるくるよく変わる表情が現在のヤスオには眩しい。
「そそそそそんなこと、あるわけないじゃないですか。買い物のお伴なんて光栄以外のなにものでもありません」
無意識のうちに大仰な表現で答えてからヤスオは、はっとした。大汗をかかんばかり焦って思いつきを口にする。
「もももももしかして、またストーカーが出現しましたか」
「大丈夫、そういうことはないよ」
そそそそれは良かった、とヤスオが胸を撫で下ろせば未亜が笑う。くすり、くすぐったくなる微笑だ。綺麗でかわいい女性なのだ。
自分なんかの傍にいつまでも在っていいとは思えない。
「どうしたの、やっちゃん。ぼうっとして。お店、いこう」
どうやらヤスオは自身の考えに没入していたらしい。あ、う……、とまともな返事が出てこない始末だ。ヤスオらしいと言えば、らしい。
ははん、と未亜がなぜか悪戯っぽい顔つきをしてくる。
どどどどうかしましたか? と咄嗟の質問がヤスオから吐いて出た。
「わざわざやっちゃん、そんな作戦を練らなくていいのに。言ってくれれば、するのに」
「ななななにをです」
「手をつなぐくらい、あっ、でも腕を組むもあるね」
かつて駅から家までの道程でストーカーへ見せつける作戦を取った。未亜が恋人同士としか映らないよう二人で密着して帰った光景がヤスオの脳裏へ鮮やかに甦る。思い出し笑いの抑制を強く自覚をしていなければ、一人にやにやしてしまっただろう。頬が緩みかけたところで気がついた。
邪な考えを振る払うんだと頭を激しく振っている。傍目でもわかるほどだ。
あははは、と未亜がウケている。
すすすすすみません、とヤスオも相変わらずである。
以前と違うのは、謝罪が先走る態度はすっかりお馴染みとして受け入れられている。
謝らなくていいよー、などと未亜はもう言わない。その代わり、はい! と手を差し出す。
ヤスオのほうは良くも悪くも依然のままだ。はい? と示された行為の意味を理解できない。
「つなごう、せっかくなんだし」
未亜が笑いかけてくる。
どきりとするヤスオは天にも昇る気持ちだ。
だから下降の勢いがついてしまった。
ふと若手社員に同行して謝罪へ訪れた先で投げられた評価の声が耳に響く。なにがあるわけでもなく、特別なスキルがあるわけでもない。ただ歳を取っただけ……。片桐の手腕を実感させられた後だけに、安っぽい自分が浮かび上がってくる。
「未亜さんはもっと素敵な人と手をつないだほうがいいですよ」
言ってから、気がついた。
いきなり自分は何を口にしてしまったのか。強張っていく未亜の表情を認めれば、仕出かしてしまったようだ。
……どういうことかな? と訊く未亜が懸命に平静を努めているのがわかる。
ヤスオはあたふたしつつである。
「み、未亜さんはとても素敵な方なんです。陰キャなどとするのもおこがましいおっさんなんかじゃなくて……そう、そうですよ。片桐さんみたいな格好よくて仕事も出来る男性こそですよ」
「……片桐さんって、お客だったやっちゃんと同じ会社の人」
「そうです、そうです。覚えてくれていましたか。もし未亜さんが良ければ、今度紹介くらい……」
途中で終わったのは、外から言を遮る行為があったからだ。
うぐっとヤスオが唸るほどのパンチを腹へ決められた。
まさしくアタッカーを想起される見事な急所突きだった。レオンその人と納得させる未亜の攻撃だ。
較べて屈強なディフェンダーからは程遠いヤスオである。確かに正確なパンチだったかもしれない。でも手加減を加えた女性の腕力であれば、大したことはないはずである。
だがヤスオは崩れ落ちた。ひ弱な外見通りの脆さで腹を押さえてひざまずく。
「ええええ、やだー。そこまでー」
と、未亜のほうが慌ててしまうくらいだ。
「す、す、すみません。だ、だいじょうぶです……でも、効いたぁ〜」
お腹をさすりつつ弱々しく立ち上がるヤスオを、未亜が肩に手を当てて支えている。
「ごめんね、やっちゃん。こんな暴力女で」
「いえいえ、それでこそレオンの未亜さんです。今となれば、気持ちいいほどの見事なパンチでした」
そうなの、と未亜は可笑しそうだ。
嘘偽りはございません、と返すヤスオの気分は幸せだ。頭が巡る状態ではない。
なので未亜の問いかけへ反射的に応じた。
「ねぇ、やっちゃんはわたしが誰かとお付き合いして欲しいの」
「そそそんなこと、あるわけないじゃないですか。嫌ですよ、そんなの」
思わず本心を吐露したことは即座に気づいた。
けれどもそれが失敗だったかどうか。
えへへとする未亜の顔を見れば、ヤスオは問題点が別にあったことを悟る。反省すべき事柄はもっと奥にあるようだ。自分は何がダメか、もっと考えるべきだと思う。
やっちゃん、と肩から手を離した未亜が呼んでくる。
はい、と返事したヤスオは正面に立った目とかち合えば背筋が伸びる。
とても真剣な光りを湛えた未亜がいた。正面で向き合う姿は美人というだけでなく、凛とした佇まいもしている。
静かな夜の歩道で強い意志が伝えられてくる。
「わたしの想いは他の誰かに決められたりしないよ」
「そ、そうですよ。そうなんですよね」
返事しながら今の自分は相当まぬけなんだろうな、とヤスオは思う。
うん、と明るい返事をした未亜は自分の胸に手を当てた。
「わたしは、わたしが思うやっちゃんを誰かが否定してきても変えないよ。いくらやっちゃん本人が否定してもね、わたしのやっちゃんは絶対に変わらない」
人生初めてとする勇気が湧いてきたヤスオだ。行動に出たい気持ちが抑えられない。気持ち悪がられてもいい。抱きしめたい想いが止められない。
「おー、いたいた。未亜ー、元婚約者が会いにきたぜ」
まさかの、このタイミングだった。
とんでもない邪魔に入られるところが、まさにヤスオであった。




