1.相も変わらず……とはいかないでしょう
この家は休日となれば、家主を呼ぶ声がこだまする。
「やっちゃん! お願い、もうちょいでやっつけられるから、がんばるしかない」
独自の愛称で呼ぶ彼女は、蒼森未亜である。色白で髪をブラウンにしているせいか、ぱっと見は派手な美人だ。けれども親近感に通ず愛嬌を持っている。今もまたかけてくる言葉は優しいようで尻を叩いていた。
「おい、ヤスオ! 踏ん張れよー」
呼び捨ててくる者は、杉谷凪海だ。ひと回りを超える下の年齢であるはずだが、誰よりもぞんざいに扱ってくる。見た目も前に垂らされた黒髪から覗く眼光は鋭い。金属ならぬ鉄バットを持つイメージも植え付けられてしまっている。
「安田さん、しっかりしてください。呪文の唱えるタイミングが前倒しすぎです」
苗字にさん付けは、鮎川菜々だ。丸メガネに肩までかかるストレート髪をした女性で、前述の二人が羨む隠れ巨乳でもある。呼び名だけでなく口調まで職場の延長みたいだった。
オンラインのロールプレイングゲーム『スタルシオン』オープンワールドで冒険へ繰り出すチーム『YMN=やみん』新たな地平を目指して向かう先に待ち受ける困難の数々。今日の行手を阻むは特に難敵とするモンスターだ。
新大陸に渡って初めて遭遇したそれは巨大なドラゴンだった。本来なら退いたほうが得策かもしれない。けれども現在のチーム状態なら、やってやれないこともない。
女性三人から浴びせられた厳しい叱咤にヤスオが応えられれば勝機は見えてくる。
敵の真正面から攻撃を受けるディフェンダー『ヤス』が仲間のレオンとアランとルリナが一斉の反撃を繰り出せるまで頑張ればいい。踏み止まれたら、勝ちだ。
少し焦りがあったかもしれない。確かに魔術を乱発しすぎた。
ここは冷静に、かつ熱くだ。
うおおおお、とヤスオはキーボードを連打した。
それから数分の後である。
「すみませんでした」
床に両手を着いて頭を下げるヤスオなのであった。
ディフェンダーヤスは結局のところ持ちこたえられなかった。
「まぁまぁ、やっちゃん。もうちょいだったんだし……残念だけど」
アタッカーレオンの中の人である未亜は労いつつも悔しさを滲ませている。
「しょうがねーんじゃね。未亜の言う通り、惜しかったしな。ヤスオの見立てはそう悪いもんじゃなかったぜ」
ヒーラーを主に請け負う魔術師アランを操作する凪海が、意外と言っては失礼かもしれないが責めてこない。
「次回につながる戦いだったと思われます。それより面を上げてください。安田さん、土下座が似合いすぎです」
支援に特化させた魔術師ルリナは、ほぼリーダー格に収まりつつある。ゲームキャラと本人がチーム内でもっともリンクする菜々は現実上の姿勢も糺してくる。
「そそそそうですか」
ヤスオが顔を上げれば、うんうんとうなずく未亜と凪海が目に映る。
これではいけない。
交際経験がないゲーム愛好家として生きてきた。もう三十代を終えようとしている、いい歳なのだ。おしゃれとは無縁な格好と髪型に線の細さで、貧相という表現はまさに自分のためにある。情けないおっさんなのだ。
だけど未亜が家に来てからだ。
住むに至る経緯はやや複雑ではあったものの、事情を窺い、その後に起こった出来事が自分を成長させてくれたような気がする。毎週のように誰かが来ては賑やかな時間をすごすうちに、今までにない考え方も出来るようになったと思いたい。
古民家となった我が家を祖父母がいた頃のまま残しておいて良かった。そう改めて確認し得た。
未亜はもちろんだが、凪海と菜々にだって感謝したい。
情けないおっさんの見本と自覚するヤスオなりに前へ進もうと努力するつもりだ。
失敗を認め、きちんと謝罪をする。これこそ大人の態度と信じてやった土下座である。
ただし場所は日本家屋とする居間である。
ゲームをするため退けているが、基本は炬燵テーブルが中心を為す。画面の前に集う皆が座布団と敷いて座っている。畳へ直に手を乗せられる環境が良くない。いともたやすく額まで乗せられてしまう。
けれどもヤスオにとって『スタルシオン』で組んだチームが何より大事だ。
未亜が困らないならいつまでも住んでもらって構わない。凪海など慣れ親しみすぎでいくらでも好きにすればいいとしている。菜々に至っては毎週末のように泊まっていくことなど、もはや当然と受け止めている。
以前なら女性というだけで冷や汗をかいていた。
今や三人に対してはまるで嘘のようだ。
これぞ親友といった感じか。
土下座くらい安い、と考えられるくらいの関係性になれている。
仲良し同士のシェアハウスといった気分だ。
けれどもヤスオがいくらそう思っても他者はそう取らないだろう。
世間からみれば、男女が一つ屋根の下に住んでいる。
同棲という視点が確実に存在している。
男女とする関係性を無視させない事態は、すぐにやってきた。
それは現実世界ではなく、ゲームのなかで訪れた。