46.夢見心地……の後は
疑問が一つ一つ解けていく。
まずどうして未亜が駅の近くまでやってきたか。
なんと! ヤスオを迎えに来たらしい。
一緒へスーパーへ寄るつもりで出てきたそうだ。
「まだ食べていなかったんですか」
心配そうにヤスオは訊く。
普段より早い帰宅時間とはいえ、夜の九時を廻る。夕飯とするには遅い。
えへへ、と未亜は舌を出すような笑いを見せてくる。
「ほら、わたしって大したもの作れないでしょ。それに……なんか一人きりだと食べる気になれなくて……さ」
ヤスオに自分の人生が安っぽいと自覚させる瞬間がやってきた。
「どうしたの、やっちゃん。なんかキョドってない?」
未亜に指摘されるほど挙動不審へ陥っていては観念するしかない。ヤスオはおずおず切り出す。
「あ、あのぉー、実はそのぉ……女性と二人きりでスーパーなど初めてでして……なんかいいなとか……すみません!」
父の死から立ち直れていない様子を垣間見せた未亜に、自分のくだらない気持ちを表立たせてしまった。なんて情けない。人生の軽重の区別がつかない安い人格と落ち込むしかなかった。
あははは、と未亜が朗らかな笑いを立ててくれたから救われた。
「そっかそっか。やっちゃんの初めてなんて光栄だな。これは絶対に行かなくては」
俄然と張り切り出している。だからヤスオは余計に萎縮だ。
「なんだか本当に申し訳ないというか、この歳にして何をしてんだかというか……料理がんばります……」
「なにを作ろうと思ってるの?」
「それは今日の特売や値引きを見て決めましょう」
日常生活へ話題が移れば、キリッとなれるヤスオだ。
スーパーで見定めた結果、今晩は鶏のささみにキャベツやもやしを混ぜたわさび醤油炒めとなった。さっと作れて、比較的ヘルシーとした選択だ。
居間の炬燵テーブルで食事する段になって、ヤスオは訊く。
なぜ山末が強引なまでに売却を迫ってきたか。単なる営業成績を気にしてとは思えない。理由を未亜は知っているようだ。外では話せる内容ではないだろうと配慮して、というわけではなく、一緒に買い物するイベントに浮かれていた。
すっかり忘れていた、今思い出したとする話しだ。
ご飯となったところで、ふと思い出した。そうなれば気になって仕方がなくなる。食事途中ではあるが山末の謎を訊いた。
よくある話しだよ、と茶碗と箸を持ったまま未亜は始める。
「あいつねー、会社の金で遊びすぎたの。けっこうやりすぎたみたいで。だけど、ほら、会社の身内でしょ。それなりに補填するような収益を上げれば不問とされちゃうわけ」
「個人経営の極みみたいな話しですねぇ〜」
「でも最近なんかやりすぎて、本人はかなり焦っていたみたい。甘やかしてきたツケなんだけどね。社長ワルイ人じゃないんだけど、昔気質なところが多くて。まだセクハラがなんだか、よくわかってない感じ」
「それに周囲の男性社員がかこつけてなんですね」
そうなのー、と答えて未亜がご飯をかきこむ。スゴくおいしー、とヤスオの料理を絶賛してくる。
褒められた当人といえば、落ち込んでいた。
料理の賞賛されるなか、気がついてしまう。
セクハラの件についてだ。
未亜が務める不動産会社の男性社員に怒りを覚えると同時だ。羨ましいと、ちらりでも思ってしまった。これだからおっさんは、と己れのしょうもなさに泣けてくる。
どうしたの、やっちゃん? と未亜に心配されてしまうほどだ。
「いえいえ、すみません。なんでもないです」
あからさまな誤魔化しが、誤解を生んだようだ。
「会社を辞めること、そんなに心配しなくていいからね、やっちゃん」
何事でもないと食事の合間の未亜が告げてくる。
言われて気づいたヤスオである。当然ながら平静に了解とはいかない。
「でででも、返済は? 本当は未亜さん、一億くらいあったりしませんか」
邪念が過ぎっていたところへ不意を突かれて焦るあまり口走ってしまう。
不思議そうな未亜の表情が、何か思いついたかのように変わった。
「やっちゃん。なんか、あいつに変なこと、吹き込まれた?」
ここを濁しては嘘を吐くに匹敵するような気がした。ヤスオは未亜があいつとした山末から聞かされた内容を正直に打ち明ける。
母親の長期に渡る治療費に、父親が横領した会社に対する示談金に、回収できなくなった保釈金を合わせれば、相当な金額になる。未亜が背負う真実の借金はかなりな額になっている。
「心配かけまいとして黙っているくらいはわかります。けれどもそれは山末さんからの口からではない、未亜からきちんと聞いて、一緒に……」
と、言い終える前に未亜を抑えなければならなくなった。
「……あんのやろぉー……」
地獄の底から這いずり出てくるような響きだ。なんだかホラー映画の一場面を想起させる迫力だ。すすすすっすすみません、と訳わからず懸命になって謝罪しだすヤスオであった。
はっとしたように未亜が我に返っていた。
「やっちゃんが謝ることじゃないって、うんうん」
普段の彼女へ戻って安堵するヤスオへ、これこそ真実とする説明がもたらされた。
母の治療は高額医療費の払い戻しや医療保険でほとんど賄えている。示談金については自宅を差し出すことで間違いなく決着を見ている。未亜が返済すべきはヤスオが当初から知る通り保釈金の額だけなのである。
「なに、やっちゃんをはめようとしているのよ。あんにゃろ、ぶっ飛ばしてやりたい」
箸を持ったまま握り拳を作っては掲げる未亜を見て、ヤスオは思う。
もうぶっ飛ばしてますよ、と。
それからもしかして凪海へ影響を与えているのではないか、と勘繰ってしまう。粗暴さを売りとするレオンの活躍はゲーム内に止まっていなかった。
そう考えたら、なぜだかヤスオは笑わずにいられない。
「ちょっとー、やっちゃん、なにが可笑しいのー」
と、未亜が気に留めるほど、にやにやしてしまったようだ。
ははは、と笑って誤魔化すヤスオだが、口調は真面目で告げる。
「家の売却を持ちかけられた件は、さっさと未亜さんに相談すべきでした。そうすれば変ないざこざまで発展しなかったでしょう。ホント、ダメですね。自分は」
山末に付け入る隙を与えてしまったのは自分のミスだ。安っぽい男だよな、胸のうちでつぶやくヤスオである。
「なにを言っているんだい、やっちゃん」
おどけた声に視線を向けたらだ。
とても優しく和んだ瞳が待っていた。
微笑む未亜の表情が確信に満ちていた。
「やっちゃんはゲームのなかだけじゃない、わたし自身に対してもディフェンダーだよ。この蒼森未亜を守ってくれた頼りなる素敵な人だよ」
そそそそんな……、とヤスオは赤くなってしまう。
こんな最上級な言葉をもらえるなんて、自分の人生に向けられるなんて信じられない。
まさに夢見心地だった。
だから次に言われた内容には引っくり返りそうになる。
改まった口調で未亜は言う。
わたし、この家、出ていこうと思うの。