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44.あの家は……帰る場所

 来るかも、とする予感はあった。


 ヤスオが人生で揉まれた経験があるとしたら。祖父の死後だ。

 連日に渡る残された家と土地について多くの人間が押し寄せてきた。

 今後の生活を考えマンションでも建てたら、と身内が勧めてくる。

 資本は金銭に変えたほうがいい、とする友人もしくはそれに類する人たちの助言もくる。


 連日のように不動産業者も営業をかけてきた。

 よほど祖父母が暮らしていた場所は収益を見込めるらしい。

 見た目がしょぼいヤスオだから、うまく丸め込めそうな気にさせてしまったこともあるだろう。


 三松不動産株式会社の営業取締役山末昇(やまずえ のぼる)もそう見立てていたに違いない。

 駅を出て自宅へ向かう道すがら、人波が切れたところで声をかけられた。いかにも企んだ笑みを顔いっぱいに湛えている。


 さんざん見てきた表情だ。何か言われるより先にである。


「すみませんがこちらから連絡しないのは、先日のお話しはお断りとする旨だと解釈していただけませんか」


 もちろん営業の職にある者がこの程度で退きはしない。大きな金額が動く案件であれば尚更だ。いやいやちょっと待ってください、と山末は手揉みするかのようにすり寄ってくる。 

 未亜のことを想って行動すべきとした主旨で諭すみたいなしゃべり方だ。困った相手をあやす態度であった。


 完全に見下されているんだろうな、と感じたヤスオはきっぱり伝えた。


「あのぉー、本当に申し訳ないんですが、あの家は売りません。あそこはもう自分だけの帰る場所ではないんですよ」


 身元確認は最悪の結果をもたらした。未亜(みあ)の電話で話す声は聞いているほうの胸が痛くなる。

 号泣の合間に伝えられる話しへ、ヤスオはろくなことを言えなかった。


 父親の遺体と対面した時は何とも思わなかった、と未亜が受話口越しに伝えてくる。むしろ当然くらいに考えていた。自分の中から消したい存在だった父親だ。しょうもないね、と小さく吐き捨てていたかもしれない。


 もし警察から報告を受けなければ泣かなかった。

 逃亡犯である父親だったから足取りはかなり詳細に渡った。九州を中心とする滞在場所が知らされていくなかで気がついたそうだ。

 そこはかつて家族で旅行した先だった。

 身体が弱い母だったから海外で万が一があったらとして、行き先は国内の暖かいところとした。家族三人の忘れられない思い出の地を辿っていた父だった。

 最終地と推測される海の中道海浜公園は家族旅行で最後に行った場所だ。

 そこへ訪れた晩に、堤防の下で頭から血を流して倒れているところを発見された。事件性も考えられたが酷い酩酊状態でもあったようだ。

 事故で落ち着きそうだった。

 詫びの手紙が発見されれば自殺に近くても、事故死とされそうだった。

                                 

 父さんはバカよ、でもわたしはもっとバカ!


 そう叫んだ未亜は膝が崩れていく姿が浮かぶ泣き声を響かせてくる。


 ヤスオは彼女がスマホを耳に当てたまま離さずにいてくれたことに感謝した。

 いくらでも泣き声なら聞く。ともかくこちらの声を届けられる体勢を保ってくれている。ここまで何も言えずであったが、伝えなければならないと思う。

 未亜さん、と呼んでからだ。


「帰ってきてください」


 電話の向こうの泣き声が一瞬、止まったような気がした。

 だからヤスオは言葉を止めない。


「帰ってくるのを、あの家で、自分はずっと待ってます。あんなボロ屋を好きといってくれた初めての人を、あの家で自分は待ち続けます」


 そうして未亜は帰ってきてくれた。

 祖父母と過ごした日々を守るだけではない、現在を生きる人の拠り所になれる場所となった。もうあの家は、自分だけの思い入れだけで存在しているわけではない。


 今、目の前には山末が貼り付ける営業用スマイルがある。この人も必死なんだと理解しても、安田ヤスオなりに譲れないことがある。


「何度こられても、あの家は当分あのままです。そちらに限らず、どこの不動産屋にも売却する気はありません」


 すると相手から営業用の笑みが消えた。


「いい加減にしなさいよ、あんた。いつまで、あんな家にこだわってんの」


 とてもお客を相手にしているとは思えない態度へ豹変した山末だ。しかもあくまで上から目線とくる。廻り出した口は制御できないようで、がなり声が続く。


「あんたさー、今にも崩れそうな木造なんかに、これからどれだけ修繕を必要となるか、考えたことないの。いつなんどき不動産価値が下がるかわからないんだよ。変に寝かせておいたら痛い目に合うかもしれないと、わかんないもんかねー」

「そうした忠告はさんざん聞かされたうえで、現状を選択してます。覚悟は出来てますからご心配には及びません」


 ややヤスオも苛立っていたのかもしれない。普段より挑発的な言い方になっていた。


 ぐっと詰まった山末はたぶん最後と思われるカードを切ってきた。


「あのさー、俺を怒らせていいわけ。蒼森(あおもり)が務める会社の社長の身内だよ。犯罪者の娘なんか雇ってやるなんて、うちだけだよ。でもさ、あんたがこんなんじゃ、職を失うはめになるんだろうな」


 一般的社会人として世に出ていても、内実は幼稚な者がごまんといる。これが脅しになるなどと本気で考えているのか。それとも個人経営に近い法人であれば従業員に難癖つけるなんて簡単なものなのだろうか? 幅広い人生経験など積んではいないと自覚するヤスオだ。想像の範囲を出ない事柄は多い。


 けれどもあの家には凪海(なみ)菜々(なな)も集う。傷心の相手と付き合いが長くても短くても、ただ一緒に遊ぶだけ、とした気遣いを出来る人たちだ。まだまだヤスオの家に集まってゲームをしていこう、と凪海と菜々が、未亜へ言っていた。これからも、とする気持ちを確認し合ったばかりだ。


「なんと言われようが、あの家を処分はしませんよ」


 もしこれで未亜に悪い結果をもたらすようであれば、そこで償いを考えたい。

 ともかく現時点では、あの家を失くす結論へ至れない。


 人生で何度も出来ないであろう毅然とした態度を見せたヤスオだ。

 ただ残念なことに、普通なら決断を示せば怯んでくれそうなものだ。ヤスオが貧相極まるおっさんだったから引っ込まない。それどころか力づくで訴えてくる。


 あんたねー、と山末がヤスオの腕をつかんだ。


 さすがに振り払おうとした。


 が、それより先だ。

 逆ギレ中の山末の頬へ拳がぶちこまれていた。

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