43.それから……一粒だけ
安っぽい人生だと思う理由の一つに、つつがなくがある。
常に安全を心がけてきた。
正確に言うならば、面倒を避けてきた。
自分ではどうにもならないことに関わらない。
間違いではないと思う。
でも自分の場合は行きすぎていた。
逃げを打ってきた、となっていた。
現在になって、ようやくわかる。
たまたまだった、巡り合わせが良かった。
金銭に不自由なくのびのびと育ててくれた家庭環境は当然と思いがちだ。家族同士お互い裏切ることなく、助け合える関係が築き上げられている。良い星の下に生まれていた。
仕事だって一人で進められそうな業務内容を求めて就いた。実力というよりもタイミングが良かった。ちょうど会社が求めていた種類の人材だった。もし受からず焦るまま営業職を選んでいたら、少なくとも現在のプロジェクトから与えられる評価は得られなかっただろう。
単なる幸運だった。
不得手な人間関係に煩わせられないよう避け、好きなゲームにのめり込む生活は何の掣肘もされなかったから実現し得た。
しかも趣味に没頭したおかげで、この年齢になって人との関わりが愉しいとする体験ができた。
それは彼女が来てくれたおかげだ。
電話の向こうから響く号泣に、のほほんと生きてきた自分にかけられる言葉があるだろうか?
彼女もまた混乱しているせいか、意味が通じない内容を繰り返すばかりだ。
だからヤスオは肝心なことだけを伝えた。
「未亜さん、帰ってきてください。帰ってくるのを、あの家で、自分はずっと待ってます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さすがにヤスオだって、というよりゲームに関することでは反駁する。
「そう仰いますが、凪海さんの回復の出し方も遅いですよ」
「いーんや、ヤスオの求め方が悪い。火属性もモンスターなんだから、炎系を使ってどうすんだよ」
「下手に反対属性より、同じ属性で対抗したほうが良い時だってあるんですよ」
そうですよね、とヤスオは今や我らの司令塔となった菜々へ確認する。
「いえ、ここでは攻撃における同属性は有効ですが、防御においては悪手です」
ほーら、みろ! と凪海が勝ち誇ってくる。
うぐぐ、とヤスオは日常生活上なら滅多にしない悔しさを滲ませていた。
菜々が丸メガネを押し上げつつ口を開いた。
「アタッカー不在が響いていますね。相手のスキルであれだけで、こちらが劣勢に追い込まれてしまうなんて」
「あーあ、早く帰ってこいよー」
コンソール卓から離した両手を後頭部へ持っていく凪海だ。
「そうですね。早く戻ってきていただかないと、敗北を重ねる一方ですよ」
真面目くさって嘆くはヤスオだ。
「まったくぅ〜、不在でも始めた二人がよく言います。たださえ人数が足りていないのに、無謀すぎます」
でもなー、と凪海が訴えるような声に、「はい」とヤスオが引き継いだ。
「せっかく三つ首の大魔蛇に出くわしたんですよ。あんなレアモンスター、放ってはおけませんって」
「それはわかります……確かにドロップアイテムは欲しい、特に光研の珠は欲しいところです」
ぎらり、メガネのレンズに閃光を走らせるような菜々は迫力満点である。
同意してもらったにも関わらず、ヤスオの腰は引け気味だ。
「あー、もぉー、なにやってんだよ、未亜ー。さっさと帰ってこいよー」
雄叫びを上げる凪海に、ヤスオも大きくうなずきかけた。
ガッと乱暴に部屋の引き戸が開く。
「ちょっとー、なに人の名前を呼んで大騒ぎしているのよー」
未亜の大きく張り上げた叫び返しだ。
座布団の上に座る凪海だから返答は見上げる格好だ。
「せっかくレアなヤツに当たったのによー、ぜんぜん未亜、トイレから帰ってこねーんだもん。なんだ、大きいほうか」
いちおう男性がいることを自覚しないのですか。そう問いかけたいヤスオだが、ここまで付き合いが続くと予想はつく。一笑に附される光景がありありと浮かんでくる。つまり口にする前に敗北を喫していた。
ちなみに付き合いが長期に渡る未亜は負けていない。
「ちょっと気を利かせて、いろいろ用意してきたの。ずっとやりっ放しでしょ」
ペットボトルや菓子を入れた袋を提げていた。四人分だけあって、それなりの手間を要したようだ。ならばここで一息、と思った矢先でヤスオは目ざとく見つけてしまった。
「げっ、います。まだいますよ」
画面の奥に生える樹々の合間を横切っている。
真っ先に未亜が手にした袋を投げ捨ててキーボードへ向かう。
「私が来たからには逃さないわよー」
未亜が操作するレオンはいち早く向かっていく。
もちろんすぐ後を追いかけていく三人だ。
たった今、戦ったばかりだから要領は得ている。
しかも今度は四人だ。
けっこうな時間は要した。
それでも激闘が報われる瞬間がきた。
おおっ! とヤスオがプレイ中ならば珍しくない感動の叫びを上げている。
ざまぁー、と凪海らしい会心とするセリフだ。
えへへ、やったわ……、と凪海が嬉しすぎで不気味さな呟きへなっている。
未亜だけは、ふっと息を吐いてからだ。
「ありがとう、みんな」
誰の顔も見ずに、ぽつりお礼を洩らす。
それから一粒だけ、雫を手の甲へ落としていた。