41.それは……一本の連絡
驚異とする空気でざわついた。
最後にもう一踏ん張りとするプロジェクトメンバーの意識合わせを主とする会議をしていた途中だ。
振動が伝わってくれば、ヤスオは腰元のスマホポケットから取り出す。画面を見れば、よく知る名前だ。普段なら後でとなるが、現在において放っておけない。
「凪海さんからですか」
隣りに腰掛けていた菜々が訊いてくる。
現状の不穏さに彼女もまた気が気でないのだろう、とヤスオなりに思いやる。真剣な面持ちをしていたつもりだ。
なにやら視線が痛い。
会議室にいる社員の目が一斉にこちらへ向いている。
なぜだか驚天動地とする色を湛えている。
本来なら電話を掛け直しに席を外していいか、尋ねたいところであるが……。
「どどどどどうかしましたか?」
会議室に漂う圧に負けてヤスオは質問した。
「凪海さんって、女性の方ですか」
ある女性社員の質問に、「あ、はい」と答えた。
おおぉーと声が聞こえてきそうな空気が室内に充満する。
誤解ですとする態度を取れれば事は簡単に収まりそうだが、所詮はヤスオである。
「ああ、いえ、そのぉ……なんというか……女性です……」
と、下手な濁しでダメ押ししてしまう。
おおぉー、と今度こそ声が上がった。
びっくりー! 安田さんですよね! そんなことあるんだ! とする忌憚のない意見が上がるなかだ。
「安田さんは鮎川さんとデキているんだと思ってました」
今時の若者という表現では収まらない無邪気さで述べる若手男性社員がいた。
焦りが極限に達するヤスオだ。さすがに否定を、と身を乗り出しかける。
それより先に、菜々の丸メガネが冷たく光った。
「あら、一色くん。なぜ急にそんな推察に至ったか、聞きたいわ」
ヤスオだけでなく誰もが思った。
コワい、今の菜々は恐怖そのものである。
「そ、それは安田さんがしゃべる女なんて一人だけじゃないですか。それにそうですよ、いつも鮎川さんのほうから話しかけにいくじゃありませんか」
人間は怯えるあまりパニックを起こすと、言わなければいいものを口にすることがある。ヤスオはよくやる。だから追い込まれた一色という若手社員の仕出かしに共感を覚えた。
怒髪天となった菜々の横で、ヤスオは誰というわけでもなく言う。
「鮎川さんは優しすぎる方なんですよ。こんな自分だから気を遣ってくれているだけです。なんだか助けてもらえて助かってます」
助かるばっかり言っているな、と表現の拙さをまず反省するヤスオだ。次に意識が向かう先は菜々の反応だ。
「もぉー、何も出ませんからね」
拗ねた感じが笑いを誘うようであれば、周囲の空気も和らぐ。
「すみません、何か欲しいわけじゃありません」
と、ヤスオは真正直に返すから余計に可笑しみが増す。
笑顔の片桐がリーダーとしてまとめへかかった。
「今回は地味な作業を一手に引き受けてくれたような安田さんだ。鮎川に限らず皆が気を遣うように」
冗談とも本気ともつかない口調で述べてから、ヤスオのほうへ向く。
「それで仕事中とわかる時間に電話をかけてきた相手です。至急ではないのですか」
ずっと引っ張っていく立場をこなしてきただけはある。さすがだ、と感心しながら「ちょ、ちょっと失礼します」とヤスオは頭を下げた。
ドアを開けて出ていく際に、ちらり片桐を見た。
なんだか申し訳ない感じになる。
きっと心配するに違いないのに、伏せたままだ。嘘を吐いているような気にもなる。
けれども現段階では、確実な事実となっていない。
焦ってはいけない、と自分に言い聞かせて人気のない場所から電話をかけ直した。
ヤスオー、と受話口から耳を離したくなるような大声がいきなり飛んでくる。
「す、すみません、出られなくて」
「なに言ってんだ、謝るのはこっちだろ。仕事中なのわかってて、電話かけてんだからよ」
動転しているようで変に気は回る電話の向こうの凪海である。
「どうかしましたか。もしかして未亜さんから連絡がありました?」
「ないから、ヤスオに電話してんだよー」
居ても立ってもいられないようだ。やっぱりかなり動揺している。
「おお落ち着いてください。福岡なんですから、時間的にはまだ微妙ですよ」
「そうか? オレはとっくに着いていると思うんだけどな」
今朝一番の新幹線で向かっている。凪海の言う通りかもしれないが、すんなり警察署へ到着できたとは限らない。事情が事情なだけに待機させられたりだってあるかもしれない。
「飛行機でいけよ、飛行機で。それのほうが早いだろ」
「確実に乗車券を手に入れられそうだったのは新幹線だったんですよ」
いちおう反論はしたもののである。
凪海の正しさを認めているヤスオだ。
何しろ気が動転しすぎて、正常な判断を失っていた点は否めない。
ストーカー騒ぎがあった夜だ。
深更を回る時間に、未亜へかかってきた電話。それは彼女に父親かどうか身元確認を求める連絡だった。