38.ぜんぜん……違うから
近くで見ると、さらにヤバそうだ。
ずっとヤスオと未亜をつけてきた。
いきなり目の前へ立ち塞がっては、はぁはぁ息が聞こえるほど吐いている。切羽詰まっている感がはっきり伝わってくる。
昨今、男女の怨恨を元にした事件は多い。
ヤスオの頭に過ぎる多くの事例は男性による刺殺だ。自分のものへならない女性へ逆恨みで及ぶ衝動的な犯行だ。
目前の男は羽織るドカジャンのポケットへ手に入れた。
これはもう、とヤスオは確信した。
咄嗟に未亜の手を振り解く。
彼女の前へ立つ。
敵わなくても盾くらいになろう。
なんて気負っていた。
ふぅー、と男は大きな息を吐いた。
顔を拭き始めている。
落ち着いて観察したらだ。
相当走らなければかけない量の汗をかいている。
取り出すは刃物でもなんでもなく、単なるハンカチだった。
なーんだ、と口にしないものの顔には出てしまうヤスオであった。
「いい加減にしてください、三田園さん」
背後の未亜が放つ尖った響きで、名前が知れた。
「しょしょしょ、しょうがないじゃないか、みあちゃん」
いくらドカジャンでもそこまではとする三田園の暑そうな汗かき具合だ。
冷静になってその人物を改めて眺めればである。
ヤスオとしては親近感を覚えた。
おどおどした態度といい、吃り方といい、共通点は多い。
服装の微妙さも自分の普段の格好を思えば似たものだ。
何より未亜を素敵とする感性は同じである。
もしかして自分が進む可能性があった道の一つかもしれない。
こいつも哀れなヤツなんだな、としみじみとしてしまった。
未亜が立腹していなければ、柔和な対応をしていたかもしれない。
「なにがしょうがないんですか。わたしにはお付き合いしている男性がいることを、もうわかったはずでしょ」
「わかってる、わかってるよ、みあちゃん。ただどんな男か確かめたかっただけなんだけどさ……」
歯切れ悪くもじもじしている三田園に、ヤスオは思う。
態度や格好の端々にもっと気を遣えば、かなり印象が変わりそうだ。まだ三十歳手前だろう。自分と違ってこれから磨けば、いい線いきそうだ。なんか勿体無い感じがしてならない。
モラハラだなんだでアドバイスし難い世間の状況である。でももし何かきっかけが与えられればこいつも、と上目線で評価していた。
無論、つけ狙われた未亜は忖度なんてしない。
「じゃあ、確かめましたよね。わたしには彼氏がいるんです。しかも同棲中の!」
この告白にヤスオがたじろいでしまう。
そうなのか……確かに嘘ではないものの……。
事実に間違いなくても内容は世間様が想像する類いではない。けれども耳にする同棲の単語が現状を再認識させられる。
じろり、三田園の目がこちらを向いた気がした。
動揺した自覚を持つヤスオは慌てた。きっぱり諦めさせるために疑惑を持たせてはならない。ただでさえ三田園は嘘だと思いたがっている節がある。
「そそそそうです。これから一緒に家に帰ります。確認してもらってもいいですよ」
「知ってる、二人が同じ家に住んでいることは」
えっ? となったヤスオである。そこまで知っておきながら、なぜ未亜につきまとうかわからない。いやそれ以前に、家の場所を突き止め観察していた行動力が感心しつつも不気味だ。やはり彼と自分はヤバさが違う。ここはしっかり印象づけておくべきだ。
「ももも申し訳ないですが、彼女と自分は……なんです。だから理解してください」
「理解なんかデキるかよ。相手がオマエなんかじゃよ!」
深更の住宅街は静かだ。人気もなければ、三田園はぐっと両手を握りしめて続ける。
「みあちゃんにカレがいると聞いてショックだったけど、当然だと思ったよ。彼女は素敵だからな。でも相手が、おまえかよ。しょぼくれたおっさんかよ。みあちゃんの相手はすげーイイ男じゃないと。これじゃ僕と変わらないじゃないか。それじゃ諦めきれないよ」
どうやら相手も同族意識を抱いていたらしい。しかも心の底からの納得もさせられた。そうですね、とヤスオは思わず答えそうになったくらいである。
だけど未亜が熱り出てきた。
「違うわよ、やっちゃんはあんたなんかとぜんぜん違うんだから!」
矛先が向く三田園ばかりでなく、横で聞くヤスオも驚きだ。
すっかり頭へ血が昇っている様子だ。今にも殴りかからんばかりの勢いで未亜は喰ってかかっていく。
「三田園さんが手をポケットに入れた時、ナイフかなんかを出すんじゃないかって……怖かった。だけど、やっちゃんが前に出て、かばってくれた。わたしを守るために」
「そんな危ないもの、僕が持ち歩くわけないだろ。な?」
なぜか三田園の顔はヤスオへ向く。確認を求めてくる。ここは正直に答えた。
「いえいえ、自分だって何かヤバいものを出すんじゃないかと思いました。ハンカチだと判った際は、ほっとしたものです」
そんなぁ、と三田園が嘆いている。僕はそんな危ないヤツじゃない、とも付け加えてもいた。
どうやらストーカーと呼ばれる迷惑行為をしている自覚はないらしい。
けれど小心さは窺えた。
警察といった言葉を出したほうがいいかなと思案するヤスオだ。だいぶ平静になれていた。なんとか幕が引けそうな気がした。
事態は落ち着いた方向へ傾き始めている。
だが未亜は退く気配さえ見せなかった。
それどころか怒り心頭で叫びだした。