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37.どどど……どうしよう

 どどどど……どうしよう!


 女性の、しかも未亜(みあ)に腕を絡めれ、がっちり手を握られている。

 いわゆる恋人同士の密着である。

 しかも女性からだなんて男の本懐、と考えられるくらいならヤスオの人生は変わっていただろう。ドッキンドッキン、動悸を爆発するままに任せていた。



 不幸中の幸いであったのは、パニックを起こしすぎで何のリアクションもできなかったことだ。鼓動以外は全て硬直していたヤスオである。

 だからきちんと誤解された。


「ごめんね、いきなり。でもやっちゃんが大人で良かった」


 信頼と安心を寄せられては、ヤスオだって頑張るしかなくなる。俺だって大人だ、と息巻こう。それに未亜の口調から事情がありそうな気配も窺えた。


「どどどどっど、どうかしましたか?」


 顔を向けないで券売機前の柱を見て、と未亜が囁く。

 ああ、とヤスオは了解できれば羞恥から警戒へ一気に切り替わった。


「あのドカジャンみたいの着ている人ですか」

「そうそう。まさかの、わたしなんかにストーカーだよ」


 いやいや、と思わず声に出たヤスオだ。未亜ほどの女性ならば、ある。充分にあって然るべきである。さらに言葉を続けようと思ったが、ぎゅっと握る手に力が込められた。


 再び怒涛となって押し寄せる昂りがヤスオに声を失わせた。


 会話の再開は取り敢えず歩き出してからだ。


 数歩を進んだところでヤスオはちらり後方へ目を遣る。

 あのドカジャンを着た男は意外に若い。先ほどは三十半ばくらいかと思ったが、もしかして未亜より年齢が下である可能性もありそうだ。間違いなく付いてきていた。


「タクシーなんかに乗ります?」


 安全策を提案すれば、闘志を燃やした回答があった。


「ううん、ここは思いっきり見せつけて諦めてもらう作戦でいきたい」


 それならば、としたヤスオではあるものの、実際は身体の密着である。未亜が巻く腕を深くし、手は恋人繋ぎとくる。

 何度、夢見たことだろう。性的欲求よりも強い願望だった、女性と腕を組んで街を歩く。もうこの年齢になれば叶わないとすっかり諦めていた。

 例え作戦行動であったとしても、のぼせずにはいられない。


 ふわふわした状態で、足許が覚束ない。蹴つまずき、こけそうになった。

 大丈夫? と訊く未亜は身体全体で受け止めてくれた。

 つまり抱きついた格好だった。


「すすすす、すみません」


 謝り急いで離れようとしたヤスオに、「こらこら」と甘く諌める未亜の力はけっこう強い。振り解かせない。


「やっちゃん、ラブラブよ、ラブラブ」


 念には念の押しように、ヤスオも何とか踏み留まった。再び二人で歩きだせば、ここは事態に対する冷静な把握を心がけよう、と自らへ言い聞かせる。やはり黙って歩くだけでは、家まで心臓が保ちそうもない。


「未亜さん、今晩は早かったですね」

「うん、いつも送りをやってくれるドライバーさんが急に具合が悪くなっちゃったみたいでさ。タクシーだと結構な金額になっちゃうから電車のあるうちに上がらせてもらったの」

「こんな時くらい、店でタクシー代を出してくれてもいいように思われます」

「うーん、それやっちゃうと他の女の子が贔屓だって騒ぐから、ね」


 前々から薄々勘づいてはいたものの、こうしてはっきりした事例で打ち明けられるとその苦労が偲ばれる。人気があるということはやっかみを買わずにいられない。女子だけの職場は顕著と聞くが、程度の差はあれ性別関係なく何処でもある。


 せっかく出た話題ついでに、ヤスオはこの頃の懸念を口にしてみた。


「あのー、未亜さんのお店に何と言いますか。三十手前くらいのイケメン風でシステムエンジニアをしてるっぽいお客さんが来てませんか」


 ぽいってなに、とウケたまま未亜が答える。


「それって片桐(かたぎり)さんのことでしょ。常連さんだから、けっこう素性はわかってるよ。やっちゃんと一緒に仕事をしているくらいは知っている」


 ええっ、と軽くながらも驚きを表明せずにいられないヤスオだ。


「ももももし自分が店に行ったら、どうするつもりだったんですか」

「やっちゃん、来ないでしょ、ああいうお店。それに場所も家とは反対方向だし。来ても知らないふりすればいいだけだしね」


 言われてみれば、そりゃそうだ、とヤスオは納得である。問題なんて何もなかった。

 なので未亜がくすくす笑いだせば、なんだろうとなる。


「でもさ、やっちゃん、ちゃんと知らないふり、できる?」


 うむむ、と唸ったヤスオは「行かないようにします」と賢明な結論を下した。

 そうだね、と未亜は笑みを滲ませた上目遣いを送ってくる。

 すると、ある疑問が浮かんできた。


「ところで、未亜さん。いいんですか、こんな恋人がいるなんて見せつけるような真似をしたら、仕事に差し障りが出そうな……」

「つけてきた人、お店のお客じゃないの。不動産のほうの出入り業者で、一目惚れしたとかなんとかでさ。ちゃんとお断りしたのに、諦めきれないんだって。同棲している彼氏がいるとまで言ったのに、この目で見るまで信用できなんだってさ」

「それは確かに困ったものですね」


 しっかり状況を把握できて落ち着くヤスオだ。これくらいの理由がなければ、女性と腕を組んで歩く夢のようなシチュエーションなどあるはずがない。夢みたいな偶然が重なっただけだな、と妙に割り切れられた。


 帰ったかな、と未亜が少し振り返って確認している。


 さすがにもう……、とヤスオが答えかけた、その時だった。


 いきなり二人の前に立ち塞がる人影だ。


 ストーカー行為に及んでいるドカジャンを着た彼だった。

 暗がり下でも眼が血走っているのが、はっきり認められる。

 刃物を持っていてもおかしくなさそうなヤバい奴に見えた。


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