25.頑と……することだって
祖父から受け継いだ家屋は周囲の景色から浮くほど日本式だ。
年季が入った黒ずんだ木造建屋は昭和の高度成長期を舞台したドラマなら、そのまま溶け込める。小さいながらも庭もあり、季節が良ければ縁側に腰かけてもいい。ただし隣接するビルやマンションなので、求める風情を難しい。
ぽつり時代から残されたような、ヤスオの家であった。
二階は階段を昇りきったところで二手に分かれる二部屋となっている。現在はお互いの自室としている。出入り口はドアなどとする洒落たものではない。引けば簡単に開く襖だ。立てた音などダダ漏れである。
起こさないようヤスオは慎重に階段を上がったつもりだ。だけど上手くはいかなかったらしい。未亜に呼ばれれば観念して、中へ入っていいか尋ねた。
いいよ、とする声は元気に振る舞っているようで掠れている。やはり申し訳ない気分で未亜の部屋の襖を引いた。
「すみません、起こしてしまいました」
畳に敷いた布団の中で横たわる未亜を枕元のスタンドライトが照らしている。柔らかく暖かい色味に包まれる彼女の背景は窓が広げる蒼い夜空。なんて美しい、と浪漫をかきたてられたヤスオだ。現実ではないゲームの世界へ迷い込んだような気分になる。
やっちゃん、と呼ばれなければ、どれだけ見惚れていたかわからない。
我に還れば、一日でやせ細った女性が臥せっている。しっかりしろ、である。
「音を立てないよう、頑張ったつもりでしたがダメでした」
ううん、と未亜が枕に置いた頭を振る。
「ちょっと前に目、醒ましてた。ずっと眠りっ放しだもん。起きちゃうよ」
それなら良かった、と言いかけて慌てて打ち消すヤスオだった。ここで安堵している場合ではない。
「大丈夫ですか。薬のおかげでだいぶ熱は下がっていると、凪海さんからメッセージはもらってますが」
「うん、もう熱は大丈夫」
未亜本人は元気にしゃべっているつもりだろう。だけど普段でない声調に顔の赤さは懸念を催させる。心配させまいとする態度は却って不安があおられる。
でなければヤスオが行動を起こせるはずもない。
ホントですか? と疑いを表明しては手を伸ばす。未亜のおでこに手のひらを載せた。
「やっぱり熱がぶり返してきているみたいですね。ちょっと体温を測って……」
「やっちゃんの手、冷たくて気持ちいいな」
穏やかな顔の未亜に対して、ヤスオのほうこそ熱があるみたいになった。
すすすすすみません! と真っ赤になっては慌てて手を離す。
気持ち良かったのに、と未亜が残念がりながら微笑んでいた。
なんとか体温計を渡せば、返ってきた数値は四十度近い。
目を醒ました理由は熱の上昇で苦しくなって、ということもありそうだ。
解熱剤を飲みましょう、と提案するだけでなく、お粥の用意も伝えたらである。
「そこまでしなくていいよ。やっちゃん、明日も仕事でしょ」
「いけません、病人が気を遣うなどあってはなりませんよ」
格好つけようとすればゲームキャラになるヤスオだ。ディフェンダーのヤスとなって諌める。ゲーム仲間からすれば、笑いを誘う呂律だ。
現に未亜に再び微笑を宿らせている。
無論、本人は起因を把握するどころか相手が笑みを浮かべていることさえ気づいていない。待ってください、とそそくさ出ていく。しばらくもしないうちに湯気の立つお粥を入れたお椀を持ってきた。
ぎこちなくも上体を起こした未亜が蓮華ですくってはふぅふうしている。体調が悪いなりに食事は摂れるようだ。二、三度口にしてからである。
「今日は朝からいろいろ迷惑かけちゃって、ごめんね」
いつもなら慌てて階段を降りてきてパンに齧りつく時間なのに、今朝は音沙汰がない。心配になってヤスオが二階へ上がり襖越しに呼んだら、死にそうな声が返ってきた。躊躇などしてられず開けたら、未亜がまさに立てないといった体で掛け布団の上でうずくまっている。見せてくる顔は紛れもなく発熱の様相だ。今日はダメみたい、といい、仕事は休むと報告をしてきた。
病院へ行きましょう! が、ヤスオの真っ先に口にしたことだ。
しばらく寝ていれば治るとし、ヤスオには会社へ行くよう、強く未亜は主張してくる。気圧される形で常備してある風邪薬を渡して出勤した。
仕事を始めてもヤスオが落ち着けるはずもない。途中で送ったメッセージに返ってきた内容は、大丈夫の一言に笑顔マークとやけに端的だ。時間も経ってからの送信だ。
そういえば、とヤスオは思いつく。未亜はこの街に来てから日が浅い。病院の場所だって把握しているか怪しい。急変だってあり得る。
プログラミングしている画面に祖父の顔が浮かぶ。酸素マスクをしていた。
ヤスオは自分なのかと疑うほど上司へ嘘を申し立てていた。
一人暮らしの友人が朝に不調を訴えたまま、その後は連絡がない。様子を見に一旦退社してもいいか。無事が確認できれば仕事に戻ってくる。
普段の勤務態度が功を奏したのだろう。
ヤスオからすれば真面目にやっているつもりはない。さぼるなど手を抜くための策を講じるほうが面倒だと考えているだけだ。でもおかげで、いきなり仕事を抜けても何も言われないほとの信頼を得られていた。確認次第に戻るとした点も良かったのかもしれない。
許可を得てヤスオが自宅に戻れば、案の定だ。
顔が熱で点っているだけでなく、呼吸さえ苦しそうな未亜が横たわっていた。
「……やっちゃん、仕事は……」
と、訊かれても無視である。
その場でスマホを使ってタクシーを呼ぶヤスオは別人のごとくだ。
病院へ行きますよ、と拒否を許さない頑とした口調で言い渡した。