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21.ダメだ……そうです

 どうしてこうも味が違うんだろう。

 同じ茶葉に水を使用していても、未亜(みあ)が淹れるとまろやかになる。なんか懐かしい感じになる。料理なんか苦手でも、お茶だけでさすがだと思う。

 今もまた新たに注がれれば、ヤスオはさっそく口につけた。


「さっきは興奮しすぎちゃった、ごめんね」


 急須を引き上げると共に謝罪してくる未亜だ。

 気が利かないヤスオであるが、ここは飲みを中断した。


「いえいえ、謝らないでください。仰るのはもっともです」


 帰り間際になってようやく菜々(なな)がヤスオの家までやってきた理由を訴えた。

 どうやら片桐のプロジェクトへ参加要請するために足を運んできたらしい。

 チームに参加して欲しい相手だが、これとは話しが別だ。ヤスオが渋れば、菜々は説得にかかる。残業が多くなるからですか、と指摘した時点だった。


 ぴんっと未亜は閃いたらしい。


「もしかして、やっちゃん。夜食のこととか考えてる?」


 うっと詰まってしまうヤスオだ。プロジェクトの進行次第では、終電を逃さなければとするほど業務が詰まる事態がたびたび訪れるだろう。父親のせいで背負わされた借金を返済するまでは、未亜の力になりたい。懸命に堪えている彼女のために、帰宅したらちゃんとしたご飯にありつけるようしておきたい。

 想いは立派だったが、所詮はヤスオだ。余裕ぶって否定するなり、笑ってごまかせられれば良かったのだが、できない。すすすすみません、と肯定も同様な謝罪を繰り出してしまう。


「やっちゃん、それはダメだよ。これ以上、なにか犠牲にされたら、わたし……」


 未亜の昂りすぎて言葉が続かない様子は一目でわかる。


「おいおい、ヤスオ。気の遣いすぎは逆に負担だぜ。なんだかんだこうして顔を合わせてからけっこう経っているんだからな。こっちにだって迷惑かけるくらいのことをしてもいいんだぜ」


 笑いながらの凪海(なみ)だが、真摯な訴えとして響く。


 丸メガネをかける菜々はブリッジを押し上げながらだ。


「そこは仕事はしたくないからなんだとか言って、納得させるような嘘をつくべきです。それが出来ないから安田さんなんですけど」


 そうですか、とヤスオが頭をかく。

 そうですよ、と答えた菜々へ、おいおいとばかりに凪海が言う。


「おたく、ヤスオに仕事させるため、来たんじゃねーの」

「これとそれとは別です。安田さんを見ていると、なんかもうじれったくてなるんですよ」


 わかるなー、と凪海が返せば、わかりますでしょ、とする菜々だ。

 未亜だけは真剣な面持ちを崩さないまま念を押してくる。


「ぜったいに、やっちゃん。わたしのためになんて、やめてよね」


 あ、はいっ! と迫力に押されたヤスオが背筋を伸ばして返事をする。


 凪海と菜々は肩をすくめ顔を見合わせていた。


 取り敢えずはっきりした結論は後日にするとして、訪問者の二人は辞去した。


 二人きりになれば、未亜がお茶を淹れると言う。


 まだ話したいことがあるようだ。さすがのヤスオでもそれくらいは察しがつく。

 こうして未亜が少し熱くなりすぎた態度について謝られることとなった。


 ヤスオとしても菜々の言う通り、もうちょっと自分の態度がどうにかならなかったか。忸怩たる想いが過ぎれば、安い男だと下す自己評価である。


 それに確認したい大事な点もあった。未亜さん、と呼んでからだ。


「あと八ヶ月したら、この家、出ていってしまうのですか」


 口にしてから、ヤスオはふと気づく。

 これでは出て行かれることを惜しむような言い草ではないか。変な意味で捉えられもしよう。だから慌てて付け加える。


「あ、いや、その……なんていうか、あれですよ、あれ……」


 何か言おうなんてするんじゃなかったと、結局は後悔するはめで終わった。

 救いがあるとしたら、未亜が笑っていたことだ。向かいの炬燵テーブルで口許を覆っている。


「ホント、やっちゃんはヤスのまんまだったね。思った通りの人で良かった」


 褒めてくれているようだが、聞いているほうは微妙な心持ちである。自分が操作するヤスが現実と重なるなんて、ヤスオには考えられない。誰よりも前に出て活躍するなど、実際の自分とは最も遠い姿だ。

 ディフェンダーという役割に憧れるくらい、それは出来ないことだった。

 せめて父親に裏切られて大変な未亜の力に少しでもなりたい。そう思う自体が守りたいする行為につながるとした自己満足なのかもしれない。真剣に考えれば考えるほど彼女のためだったか怪しくなる。


「そ、そんな未亜さんが思うような人間じゃないですよ。この安田ヤスオは」

「もう、わたしがどう思うかまで干渉なの。わたしがやっちゃんをどう思うかくらい、好きにさせて欲しいけどな」


 そう言っては甘く睨む未亜に反論など出てくるはずもない。ただでさえ女性慣れしていないところへ、そんな顔つきをされたら身がすくむ。敵うはずもなかった。


「未亜さんの仰せのままに」

 と、白旗を掲げるしかなかった。


 お茶、飲む? と未亜が訊いてきた。

 お願いします、とヤスオは湯呑み茶碗を差し出す。

 急須を持つ未亜が伝えてくる。


「今の調子で八ヶ月も働けば、借りた保釈金は返せるの。元々それほど凄い金額でもなかったし、時間をかければ昼間の仕事だけでも返せるには返せたんだけど」

「返済が長期に渡れば渡るほど払う利子も多くなるから、早め早めとなりますよね」

「あまりそれは考えていなかったかな」


 未亜がテーブル上で湯呑み茶碗を押し出してくる。

 そうなんですか? とヤスオにすれば一言の疑問しか挙げられない。

 未亜は自分で淹れたお茶を一口呑んでからだ。


「保釈金の返済があるうちは、ずっと事件のことを意識しなくちゃいけないじゃない。わたしは早くお父さんを忘れたい。お父さんがいたことを記憶から消したいくらいなんだ」


 ヤスオは黙っていた。自分に解るはずもない彼女の沈痛さであれば、迂闊に声はかけられない。湯呑み茶碗に口さえ付けずに、じっと待つ態度でいた。もっともただ固まっていただけとも言えなくもない。


 未亜は話しを続ける。


「そのために一刻でも早く返済しきってしまいたかった。少しでも生活費を抑えて完済することだけを考えていた。だから家賃がないなんて好条件、飛びつくしかなかった。そうだよ、わたしはやっちゃんを利用したんだ。ヒドいでしょ」


 途中からは涙が滲むような声へなっていく。

 ただ残念なのは聞き手が彼女の熱さを感じ取れなかったことだ。

 ヤスオはいわゆるヤスオなのであった。

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