11.熱い感動……も続かない
お茶を淹れるね、と未亜が台所へ向かう。
ポットのお湯が切れたらしい。新たにガステーブルへ火を入れ沸かしている。
ヤスオとしても飲み物は常にあって欲しい。
滅多にしない長話しは喉が乾く。
祖父が亡くなってから、会社以外で誰かと会話するなど稀となっていた。上京してきた両親もしくは妹夫婦が寄った時にするぐらいだろう。
現在は他人で、しかも妙齢の女性ときている。
未亜を真正面にすれば、多少の差はあれど緊張は拭えない。一週間が経つけれど、顔を合わせる一日の時間は数分程度であれば、未だ同居している実感は持てていない。
はい、と彼女がお茶を出してくれれば畏まってしまう。「料理がうまくいかないから、がんばって淹れちゃう」なんて笑顔で言われたら平身平頭である。有り難く呑ませていただくだけである。
座布団へ腰を落ち着けた未亜もお茶を一口してから、ぽつりと洩らす。
「凪海もそうなのかな」
何がですか? とヤスオは訊き返した。
「凪海のアランは、やっぱり成りたかった自分なのかな」
常に冷静沈着な魔術師のアラン。ヒーラーを主な役目とする後方支援のポジションは相手が強敵であればあるほど重要度が増す。誰かを救い勝利へ導く、頼りになるキャラであった。
実際で満たされない想いを凪海もまた抱えて……、とヤスオはしみじみしかけた。が、待て待てと思いつく。
「だけど凪海さんの場合は普段がやりたい放題に見えます。乱暴ものだから、アランでは知性的にいきたい? いやいや、あれだけ的確な指示を出せるくらい頭が回るんだから日常生活においてでも出来るはずですよ。自分とは違う」
ゲームに関すれば饒舌になれるヤスオが、正面から向けられる視線の変化に気づく。微笑の色から意味深な光りを放っている。我れに還れば「ど、どうかしました」といつもながらの口調で訊く。
「なになに、やっちゃん。凪海のことは名前で呼ぶんだ」
ちょっと唇を尖らすみたいな未亜だ。
あっとなったヤスオは慌てて両手を合わせた。
「つ、つい会話の流れで口走ってしまいました。どうかこのことは杉谷さんには言わないでください。気持ち悪がられます」
「やっちゃんって、まず口止めからくるんだね」
と、答えた未亜はそのまま腹を抱えだす。
なにやら妙にウケてしまった。理由が不明でも自分が笑いをもたらせたとなれば無条件で嬉しいヤスオである。お、おかしいですかね、と尋ねる声が弾んでいる。
うん、と未亜は元気よく返事してから、急だ。突如、真面目そのものの顔つきになる。思わずヤスオが身構えてしまう変貌ぶりである。
テーブルに置いた湯呑みを握りしめて真っ直ぐ目を向けてきた。
「キモチ悪いなんて思わないよ。少なくてもわたしや凪海は、やっちゃんをそんなふうには思わない」
間違いなく気持ちがこもった声だった。
不意に目頭が熱くなるヤスオだ。
彼女の視線を受け止めたかった。だが視線を外して、うつむいてしまう。
情けない。だけど泣きそうな自分は見せたくない。安っぽい人間だけれども、少しくらい見栄を張りたい時だってある。
無論、対面していれば肩の震えを認めているだろう。気づかれないわけがない。
やっちゃん、と未亜が心配そうに呼んでくる。
「すすすすすすみまん。でも、感動してしまいました。ずっと誰かにそう言ってもらいたかったんだって、気づいたもんで」
現在やっと自分の気持ちに気がついた。気持ち悪いとされるたびに実は傷ついていた。やり過ごせていなかった。誰もがヤスオに抱くイメージと思えば、身を縮めるしかなかった。
でも今はたった一人だけでも強く否定してくれる。もう一人いる、としてくれる。それがどれほど心の持ちようを変えられるか。
この年齢になって初めて知った感情であった。
「……ありがとう、未亜さん」
感謝はゲーム上ではなく現実の人物へ伝えたい。だからすんなり名前を口に吐けた。
今晩は特別となりそうだ。
おかげで、その一週間後である。
お約束となりつつある、休日はヤスオの家に集まりゲームをしていた際だ。
だぁー、マジか! 食材を共に訪れた凪海が魔術師アランの操作に四苦八苦の叫びを上げている。今回のダンション攻略において、サポート役の貢献具合が鍵となる。苦難の原因と自覚しているからこその雄叫びだった。
ヤスオにすれば、未亜の言葉のおかげだろう。仲間だ、とするまで意識は高まっていた。お互いフォローし合うべきなのだ、とする想いから口を開く。
「一人で苦しまないでください。凪海さんには、自分と未亜さんがいます」
凪海のコントローラーでもあるキーボードを打つ手が止まった。
「ヤスオ、気味わりぃーこと、いきなり言い出すんじゃねーよ」
これまでのヤスオなら慌てふためいていただろう。内心では傷ついていることもあった。だが現在は違う。本人なりの毅然さで臨む。
「照れなくてもいいのですよ。苦しいこと、辛いこと、素直に言ってくださって結構なのですよ」
うげっ、とする文字をまさに書くような顔をした凪海だった。
「大丈夫かよ、ヤスオ。なんだか今日はいつも以上に気持ちが悪いぞ」
えっ? とヤスオは驚きを隠せないままだ。
「凪海さんは自分を、この安田ヤスオを気持ち悪いなんて思っていたのですか」
「あったりめーじゃねーか」
断言だった。
がーん! と打ち鳴らされた衝撃がヤスオの脳内を揺すぶっていた。自意識は粉々なまでに砕け散っていく。
起因は未亜だ。チームを組んでいる二人が気持ち悪いなんて思うわけがない、と言い切ってくれた。変な自信を持ってしまった。
嘘だったのですか、と責めたくなる。けれども口にはしない。
なにせヤスオは未亜にとてもとても恥ずかしい秘密を知られてしまっている。
そう、それは一週間前のことだった。