リゼットと、眠りの森の魔法使い
薄暗い中、リゼットはよろよろとしながらも前を見ながら足を進めた。
背中には令嬢には似つかわしくないほどの大きなリュックを背負い、一歩一歩歩く。
「……そろそろいいかな」
リュックを降ろして息を吐く。
水筒を取り出して口をつけた。
リゼットは周囲を見渡した。
月と星の明りしかない、うっそうとした森の中だ。
生き物の気配がするようなしないような、鳥がいるのかもよくわからない。
軽く頭を振ったリゼットは、リュックからずるずると何かを引きずり出す。
押し込んで形が変わってしまった毛布を取り出し整え、いそいそと体にまいた。
「やっと、眠れる…」
暗くて冷たくて、人の気配はない。
大きく深呼吸をしたリゼットは「おやすみなさい」と呟いて目を閉じた。
リゼットは、とある孤児院で育った。
経営ギリギリの孤児院だったが、皆仲が良く幸せだったと思う。
「読み書き・計算ができれば道は開ける」が信条の院長のおかげで、孤児院の子供たちは皆勉強する機会が与えられた。
その中でも、特にリゼットは吸収が速かった。
結果として、とある子爵家の下働きとして孤児院を出ることとなった。
当初は良かった。
頂いた給金は孤児院へ送り、せっせと働いた。
ところが、倫理観のかけている子爵家令息から目をつけられた辺りから狂った。
彼を敬愛する母親や妹からは「色目をつかった売女」と罵られ、何故か子爵からも「それだけ身持ちが軽いならいいだろう」と迫られる日々。
同僚やメイドからも見放され、完全に一人である。
暴力はないものの、仕事を押し付けられ暴言を浴びる日々は、あっという間にリゼットの精神を蝕んだ。
少しでも休もうとすれば暴言が襲い、冷たい水がかけられる。
眠る暇もなく働き、給金は「男を漁るためでしょ」ともらうことすらできない。
辞めよう、と思うものの「孤児院にどれだけ迷惑をかけるのか」と言われてしまうと、口にできなかった。
だがもう、限界である。
リゼットは逃げた。
僅かなお金を持って、食料と布団一枚をリュックに押し込み、飛び出した。
孤児院には「期待を裏切ってしまって、ごめんなさい」とだけ手紙を残した。
今更届くかどうかもわからない。
行き先は決めてある。
「眠りの森」だ。
眠りの森は、呪われた森だ。
森の中に入ると眠気が襲い、そのまま眠ってしまうという。
面白半分に入った何人もの男が消え、行方不明となった。
体にロープをつけた子供が度胸試しとして入ったものの出てこず、五分ほどたってから引っ張り出したものの1年は眠り続けたという言われもある。
しかもその間、特に何の世話も必要がないという謎の状態だったという。
自殺の名所とも呼ばれた時期もあったが、そのうち数名は森の入り口で眠ったまま見つかったこともあってよくわからない。
国中の魔法使いが調べようと試みたものの、むしろ自分たちが眠る始末で手に負えないと判断された。
それが「眠りの森」である。
そこに今、リゼットは足を踏み入れた。
ただ、誰にも邪魔されることなく、ぐっすりと眠りたくて仕方がないだけだ。
重たくなる頭をそのままに、力を抜いた。
のだが。
「……………………?」
眠れない。
全然、まったく、これっぽっちも眠ることができない。
「何で!?」
がばりと起き上がる。
頭の奥はじんわりと温かく、眠たいのに、全然眠ることができそうにない。
薄暗かった空はすっかりと暗くなり、時間が過ぎていることがわかる。
それなりの時間横になっていたはずなのに、とリゼットは肩を落とした。
「もう少し奥まで行かないと駄目なの?」
奥まで行けば、眠れるかもしれない。
仕方がない、とリゼットは毛布を小さく折り込み抱きかかえ、歩き出した。
奥へと行けば行くほど、道なき道になり荒れている。
息を乱しながら歩いたリゼットは、疲れて座り込んだ。
「もう、もうさすがにいいでしょ」
森から出られていないということは、未だに眠りの森の中にいるはずだ。
無理やり毛布を広げ、木の根を枕代わりにして横になる。
疲れているし、今度こそ眠れるはずだと頷く。
「あぁ、おやすみなさい……」
「こんなところで寝るな」
目を閉じたリゼットは、響いた声を聞こえなかったことにした。
呪われた森だ、きっといろいろとあるのだろう。
くらくらとした頭が沈み込んでいく気がする。
体が重い、やっと眠れそうだ。
「おい、聞いているのか」
とりあえず、聞こえてます。
でも後でいいですかねー?
心の中で返事を返した瞬間、一気に意識が飛んだ。
やっと眠れる。
ふわふわとした気持ちの中で、ぼーっと目を開ける。
頭が痛くて、顔をしかめた。
「あれぇ?」
ゆっくりと体を起こしたリゼットは、見慣れない光景に瞬いた。
まず、自分は、知らない部屋の中、ふかふかのベッドにいる。
物が雑多に置かれた部屋は、見たことがない物であふれていた。
リゼットは、喜びに震えた。
両手をあげて、叫ぶ。
「何で素敵な、夢!」
「そんなわけがあるか!」
奥のドアが開いて、男が声をあげた。
見知らぬ男は、ため息をつきながら部屋に入ってきた。
「……どちら様でしょう」
「一言目がそれか」
男は美貌を歪め、呆れたようにリゼットを見た。
長い髪を後ろで一つにくくった男は、近くにあった椅子に座る。
「俺が誰か答える義理はない。起きたのならさっさと出ていけ」
その声をどこかで聞いて事があるなと思っていたリゼットは「あ」と声をあげた。
「昨夜、何やらおっしゃっていた声の方でしたか」
「聞こえていたのか」
「まぁ。一応……」
あれ、とリゼットは首を傾げる。
自分は確かに森の中ですやすやと寝ていたはずだが、どうしてここにいるのだろう。
眠りの森で眠ったはずなので、少なくとも数年は眠っていると思ったのだが。
「すみません。私、何年ぐらい眠りました?」
「数時間だ。質問はそれで終わりだ、さっさと出ていけ」
数時間、と言われてリゼットは目を丸くした。
数年どころか、数日も眠っていないなんておかしいだろう。
眠りの森は、どこへいった。
「……お世話になりました」
この男の正体も気になるところだが、どうやらここは彼の家らしいので頭を下げる。
渡されたリュックを抱えて外に出ると、やはりそこは森の中だった。
「どういうこと?」
やはりここは、眠りの森の中なのか。
疑問たっぷりに振り返るが、ドアは閉められた後だったので質問できそうにない。
リゼットは、とぼとぼと歩き出す。
数年眠り続けると信じていたのに、このままではあの屋敷に戻らないといけなくなってしまうではないか。
もう二度と足を踏み入れたくないから、この森に来たというのに。
光がさす森の中を歩きながら、ため息が止まらない。
大きな木を見上げたリゼットは、リュックを下へと置いた。
「…寝よ」
だったら、もう一度眠ればいいのでは?
まだ明るいが、ここは「眠れる森」である。
毛布を体に巻き付けてリュックを枕代わりにして横になる。
寒くもなく、温かい。
「休めるって、最高~」
「寝るな、帰れ!」
何故かまた、男の声がした。
せっかくの良い気分が台無しである。
のろのろと起き上がると、仁王立ちした男がいた。
「お前、帰り道がわからないのか?」
「道もわかりませんが、帰りたくないので寝ていいですか?」
「いいわけあるか!」
怒鳴られた。
むぅと口を尖らせたリゼットは、ずるずると毛布を引き上げる。
「失礼ですが、ここはあなたの森でしょうか」
「あぁ、そうだ。ここは俺の私有地だ」
えぇ!? とリゼットは落胆した。
眠りの森に来たと思ったら、知らない男の森に来ていたとは衝撃である。
それでは何年も眠れるはずもない。
入る森を間違えたのだろう、がっかりすぎる。
「勝手に入り込んでしまい、申し訳ありませんでした」
立ち上がり毛布をくるくると丸めて、頭を下げる。
未だに眠たくて、目の奥が熱い。
「この道を真っすぐに行けば出られる。二度と来るな」
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げて歩き出した。
木が生えていて邪魔だが、とりあえず真っすぐだと信じて歩く。
歩いて歩いて、また歩いて…………日が暮れた。
「……何故」
リゼットは疲れて座り込んだ。
森から抜けれそうな気配すらない。
あの男は嘘つきだったのか。
持ってきた水筒も、もうほぼ空だ。
食料も残りわずかである。
さくさくと眠り、そのまま時が流れると信じていたので、毛布は持ってきたものの他は考えていなかった。
「寝よう」
だんだん、どうでもよくなってきた。
ここが眠りの森なのか普通の森なのかもわからないし、獣がいるかもしれないし襲われるかもしれない。
飲み物も食料もなくても、とりあえず今は横になることができるのだ。
何よりも今はただ、眠りたかった。
毛布を首まで巻き付けて、リゼットはゆっくり呼吸をする。
そして、目を閉じた。
健やかな朝である。
眩しさに目を細めると、見覚えのある部屋の中だった。
「んん?」
「ようやく起きたか」
そろそろと隣を見ると、眉を顰めた男がリゼットを見ていた。
幾分すっきりとした頭を起こしながら、瞬く。
男は随分と怒っているようだ。
それもそうか、とリゼットは他人事のように思う。
知らない女に私有地をうろうろされる男の気持ちもわかる。
しかし、リゼットとて言いたいことがある。
椅子に座る男に体を向けた。
「私は、真っすぐ歩きましたよ。ずっとずっと歩きました」
「出られなかったのか」
「……はい」
じとりと見られ、悪いことをしていないのに黙り込む。
よくよく考えれば、自分の森の中で女が勝手に寝ていたら問題しかない。
わざわざ二度も運んでくれたのか、と今更ながらに申し訳ない気持ちになってくる。
しょんぼりとしているリゼットを見て、男は大きくため息をついた。
「それで。お前はどうしてそう、眠ろうとするんだ」
「眠りたいからですかね」
「……それはわかった。外で何があったかと聞いている」
リゼットは瞬く。
何があったと言われても、それを男に伝えて何になるというのか。
黙り込んだリゼットに、男は軽く舌打ちした。
「言いたくないなら、勝手に読むぞ」
「へぁ!?」
男の手のひらが、リゼットの額に触れた。
異性に触れられたことのない場所すぎて縮こまるリゼットだが、男は「なるほどな」と言っただけだった。
「子爵家とやらには、ゴミしか存在しないようだな」
読まれた、と気づく。
額に触れただけでそんなことができるのは、魔法使いしかいない。
さっと顔色が変わったリゼットを、男はふんと眺めた。
「で。どうしたい」
「……どう、とは」
「異世界で聖女として崇められ過ごすこともできるし、別の世界では王族にもなれる。お前はどんな生き方を望む?」
いきなり訳のわからない言葉がぽんぽんと飛び出して、リゼットはあんぐりと口を開けた。
展開が急すぎて、何がどうなった。
「私、死にました?」
「阿呆だと大変だな」
大変失礼な発言である。
言葉が出ないリゼットに対し、男は「だから」と、がしがしと頭をかいた。
「この森を出られないということは、お前は選ぶ権利を得た」
「……はぁ」
「お前の人生に見合った生を与えてやる。異世界でなりたい者になれ、やりたいことができる」
「…………はぁ、そうですか」
頷くものの反応がいまいちなリゼットに、男は口を結ぶ。
じっとりとした視線は、不機嫌だ。
リゼットは慌てて口を開いた。
「えーと。つまり、私の望みを叶えてくださるということですか?」
「お前の人生を対価にな。お前は何がしたい。どんな生き方を望む?」
「そうですねぇ……」
何がしたい、と言われても。
そんなものは一つに決まっている。
リゼットは頷いた。
「寝たいですね」
「さっきまで寝ていただろう!」
もっともである。
だがそれが、リゼットの願いだから仕方がない。
「もっとぐっすり、心の底から寝て……」
ふかふかでなくとも、温かいお日様の香りがする布団で寝たい。
叩き起こされることもなく、幸せいっぱいに眠りたい。
「それから、起きて仕事をして」
朝ごはんを食べ、やるべきことをやる。
洗い物をして洗濯を干して、皆で一緒に遊び学ぶ日々。
それは孤児院での懐かしい思い出だ。
そうか、とリゼットは気づいた。
自分があれこれ頑張ることができるその土台には、いつも孤児院の思い出がある。
孤児院の存在が、リゼットの支えだった。
眠って頭が少しだけすっきりすると、孤児院での楽しい日々が蘇る。
死ぬほど眠りたいと思ったけれど、やっぱり何十年も眠るわけにはいかない。
リゼットは、ぐっと拳を握った。
「孤児院にお金をいっぱい送って、皆に幸せになってほしいですね」
孤児院での親友。
悪いことを一緒にやった、悪友。
自分たちを慕ってくれたあの子たち。
見守ってくれた先生や、院長。
皆、元気だろうか。
「そのために、やっぱりまずは寝たいです」
体あってこそ、働けるというものだ。
魔法使いの男は、唖然として口を開く。
「お前は、子爵家のゴミどもに復讐しようとは思わないのか」
「復讐? そんな時間があれば、お金を稼いで孤児院に送金したいです」
「……何だそれは」
怪訝そうに言うリゼットは、子爵家などどうでもよさそうだ。
うむうむと一人納得しているリゼットを、男は奇特な物を見るように眺めた。
この目の前の女一人の考えが、彼にはさっぱりつかめなかった。
眠れる森。
男が作ったこの森は、人生を嘆き苦しむ迷い子のためのものだった。
眠りたくても眠れず、生きることに疲れて休みたい人を受け入れ、彼らを転生させるのが彼の役目だ。
勇者となった者、聖女になった者、悪役令嬢とやらに転生した者等、いろいろと送り出してきた男だったが、こんな女を見たのは初めてだった。
「……お前は転生を望まないのか」
「そんなことをしたら、孤児院にお金を送れないじゃないですか」
リゼットは声をあげる。
この男、何を聞いていたのだろう。
「転生とかいいですから、良い就職先をご提示ください」
「就職……」
「はい。人間関係が良くて、お給金をしっかりと頂ける職場だと嬉しいです」
にこにこ笑うリゼットを前に、男はかける言葉が見つからない。
人生を諦めたわけではない彼女は、何とも眩しいほどだった。
「……わかった。とりあえず寝ろ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに笑って、もぞもぞと布団に潜り込む。
目を閉じて呼吸すると同時に、吸い込まれるように眠りにつく。
くふくふと眠るリゼットを、男は不思議な気持ちで眺めていた。
手を伸ばし、リゼットの頬にかかる髪をのける。
顔色は悪く頬はこけ、決して健康状態も良いとは言えないけれど、眠っている姿はとても幸せそうだ。
「お前は、この世界で生きることを選ぶのか」
彼女が受けてきた理不尽な仕打ちは、精神を削り取り思考を奪った。
それでも、幸せな来世へと導こうとした男の提案を、思い出を盾にばっさりと切り捨てるだけの強さが彼女にはある。
彼女は、迷い子などではない。
止まり木を探す、ただの渡り鳥だ。
男はリゼットを起こさぬように静かに立ち上がり、そっと部屋のドアを閉める。
彼女が良く休めるように、そっと魔法をかけることも忘れなかった。
お読みいただき、ありがとうございました。