崖の下からの麦下到十郎
私は確信していた。将来は後継者とか二世とか言われ持て囃されることを。音楽界に革新をもたらし歴史に名を刻む事を。
私の名前は麦下到十郎。
木曜日――昨日までの癖でつい朝早くタイマーをセットしてしまったようだが、どうやらしばらくは必要なくなるようだ。
仕事に行かなくてよいのだ。
今日から。
途端にやるせない気持ちがどっと押し寄せてきた。
それは涙となり私の目からこぼれ落ちた。
水門の壊れたダムのように止めどなく溢れる悲しみの結晶。
私はフランツ・リストに憧れていた。だからピアニストになったんだ。それが怪我を理由に引退!?ふざけるな!私はまだまだ彼に近づけてすらいないのに…
幾らか経った後、むくりと起き上がる。
スーツに背を向け私服に着替える。
右手のギプスのおかげで少し手間取ってしまった。
玄関の框に腰掛け靴に足を捻じ込む。
ほどけかけた靴紐も結ばぬまま、朝10時の散歩へ出かけた。
外は晴れ、眩い陽の光がどんより曇る私の心の影をより暗く、くすませていた。
気持ちのいい風が吹く。
平日のこんな時間にふれあい公園にいるのは未就学児か創立記念日の学生、もしくは…職を失ったものだ。
遊んでいる子供に目をやる。もういっそ誘拐でもしてしまおうか…
無邪気な笑顔だった。
一瞬でも誘拐なぞと馬鹿らしくも馬鹿らしいことを考えた自分が馬鹿らしくて堪らないほど馬鹿らしい。そして…情けなかった。
こんな状況での誘拐など虚しさを紛らわし現実から目を背ける行為なだけだ。
純粋無垢な子供へただ逃れたいという後先考えぬ、思いつきの愚案だ。
かといって現実を見ると目を覆いたくなるほど凄惨な光景が広がっている。
私はプロとしてもう演奏できない体になってしまったのだから――
―「深爪です。ピアニストを続けるのは難しいかと…」
主治医の加藤から病名を聞いた時、声が出なかった。体が事実を受け入れるのを拒絶したからだ。
「ギプスをして暫くは絶対安静に―」
加藤の言葉は耳に届かなかった。
頭は真っ白に、意識は虚空にいっていた。
数週間後――
ふと駅の求人広告が目に止まった。
「初心者大歓迎!!ラジオ体操ハンコ押し係!」
生活費もままならない状態だったため、藁にもすがる思いだった。
自分でも驚くほどすぐに電話をした。
ボルトもチーターもバショウカジキもこの時なら光や宇宙の膨張速度だって超えてたかもしれない。
そのぐらいの速度で電話した。
ただ、私の間違いはハンコ押し係を独自の解釈と見解と学の無さで「反抗し係」と勘違いし、当日手足を縦横無尽に回して野をかけたことだ。
ヤンチャな男子たちは私の後をついて回り、その日の体操は見るも無惨な地獄絵図となった。
翌日、PTA会長から呼び出しをくらった。
自分がやらかしてこれから大目玉をくらうことなど露知らずむしろ昨日の働きっぷりに称賛を貰えるだろうと確信していた私は、「東京ゲルばなな」という菓子折りを持って自信満々に会長に話しかけた。
怒られた。
なぜだ。私は仕事をこなしただけなのに。
その旨を伝えても得意の早口でどうやら論破されてしまったようだ。
このまま引き下がる訳にはいくまいと思考を巡らせ、たった一つ会長を黙らせる言葉を思いついた。
「でも会長、リストとかベートーベンより下ですよね?」
もっと怒られた。
会長は教養が無かったようでリストのことを知らなかった。
ただ、野生の本能で馬鹿にされた事を悟ったらしい。
私は教養の無さに内心プププと笑った。
そしてクラムボンはカプカプ笑った。
明日は56歳の誕生日だというのに何をしているのだろう…
時は遡り 西暦1833年
私の名前はフランツ・リスト。
音楽に全てを捧げた男である。
そしてこれからもそうしていくつもりだ。
音楽にしか興味のない私にはある悩みがある。
妻とは結婚して10年経つが、未だ良好。
音楽に偏りすぎる私に些かの不満は抱いているらしいが。
子宝にも恵まれ、娘は既に学生だ。
子の名はベートーベン。
悩みとは彼女のことである。
どうやら、虐められているようなのだ。
きくと、ベートー便器などと呼ばれ罵詈雑言を吐かれているらしい。
机に便器が置かれていた時もあったらしい。
椅子が便器にすり替わっていたことは何度もあるらしい。
酷い時には下駄箱を開けると上履きの代わりにトイレのスリッパが置いてあったこともあるといっていた。
元来親というものは、子供が可愛くて仕方がない。
そんな子供の危機とあらば、立ち上がらない親はいないだろう。
しかしそんな状況でも私は音楽にしか興味がなかった。
ベートー便器?いいではないか。
私はピアノに向かった。
いじめを放っておいたある日、私は妻に叩かれた。
彼女は私に言い放った。
「覚悟とは!!暗闇の荒野に道を切り拓くもの!」
ちょっと何言ってるかわからない状況ではあったが、彼女は鞭打の達人であったため、叩かれた頬に異常がないか主治医の加藤に見てもらった。
幸い頬に深い傷はないらしい。
しかし違う問題が発見された。
「ADHDです。」加藤がいう。
何のことか理解できなかった。
聞いたこともない病名に困惑の念、そして加藤に対する不信感を抱かざるを得なかった。
だが、とにかくここは理解しているふりをしよう。
「僕が…ですか?」
「いえ、私の方がです。」
憤怒。まさしくこの感情であった。
家に帰り妻にこの事を話した。
まず、アルファベットとは何かについて訊ねると、
「αとβだからアルファベットなのよ」と後に定説となる自論を披露してくれた。
つぎに本題のADHDについて聞くと、彼女は自慢げに語り始めた。
彼女がADHDの提唱者となるまでの過酷で凄絶なる半生を…
【ここでは一部省略しディレクターズカット版をお送りいたします。】
「―そこで私は言ってやったのよ!あんたは雑巾の生搾りジュースでも飲んでろってね!あら、話が逸れちゃったわね。それでね、私の発見したADHDは多くの著名人にも表れていてね、あれは2005年だったかしら…」
西暦2005年
「ハングリーであれ。愚か者であれ。」
―スティーブ・ジョブズ
エピグラフにはこの言葉を置こう。
俺の名はスティーブ・ジョブズ。アスペルガー症候群だ。
俺はいま、今日まで人類の進化と発展に貢献してきた者たちを集めた、「世界偉人伝」という本を執筆している。
もちろん世界に名を轟かせる大企業、Appleの創業者である俺は初めに持ってくるとして、2番手をどうするかだ。
悩みどころである。
そうだな…ならば、私の最も尊敬する武士の名を連ねようではないか。
彼の名前は――
西暦1324年
彼の有名な「悪党」楠木正成は躊躇っていた。
新しい性癖の開発に。
「おおかた人々の望む性癖は出揃った。しかし大衆が求めているのはかような刺激のないものなのか!?」
「いや、ダメだ!思い止まれ!"それ"を世に広めたら人が人で無くなってしまう!!思いとどまるんだ楠木正成ぇぇー!!」
楠木はスカトロを開発した。
西暦2023年 東京某所
ぼくは世界偉人伝を手に取った。
この本に載るくらいでないと、大きな存在とは言い難いな。中田敦彦…偉人と呼ぶにはまだ相応しくない名だ。
載ってすらいない存在が自らをパーフェクトヒューマンというか…
ラボのソファに腰掛け、ドクペを口にする。
著者であるスティーブ・ジョブズのページは読み飛ばし次ページに目をやる。
楠木正成 主な功績:スカトロの開発
時は遡り……西暦1326年
私は開発してよかったのだろうか…スカトロという性癖を。あれから二年もしないうちにスカトロは社会現象となり、間違いなく日本の伝統文化の一部と化した。
回転寿司にでもいくか…
そういえば寿司にはネギトロとかいうのあったな。
………語感は似ているな。
「相席いいですかな?」
突然後ろで声がする。
見ると、貫禄のある髭をたくわえた男がこちらを見て微笑んでいた。
名前は板垣退助というらしい。
いかにも胡散臭い名だな。
板垣退助がテーブルを挟み対面のシートに座る。
「何か悩んでいる御様子ですな」
「ん…ああ、これでよかったのだろうか…スカトロを生み出して。」
「おっと注文がきたようですな」
絶対恐らく多分……ま、4割くらい俺の話を聞いてない様子の板垣はネギトロを食し始めた。
「ガッキー、俺の話聞いてたか?」
「もちろんです。で、その後ケビンの履いたスカートはどうなったんです?」
憤怒。まさしくこの感情であった。
何もこやつは聞いておらなんだ。
「怒ってらっしゃるか?無理もない。ただ、これだけは言わせてほしいですな。貴方はなんら間違いなど犯してはいない。貴方は皆を悦ばせたかっただけじゃないですか。」
「板垣…!」
涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
「さび抜き頼んだつもりだったんだけどなんでだろ…はは」
といい、ネタのマグロを裏返した。
わさびが大量に塗りたくられており、この涙は感動とは無縁、寧ろ対局に位置するものだと知った。
よく分からないけど板垣に対して腹立った。
板垣はネギトロを指差し、言った。
「ネギトロの上に…乗せれば立派なスカトロとネギトロの融合ではありませぬか?」
「あ、ああ!これでまた皆が悦ぶ!」
西暦2023年
楠木正成の関連人物の欄には、板垣退助が載っていた。
板垣退助 主な功績:スカトロの普及と啓蒙に尽力する。また、ネギトロとスカトロの融合を考案。
ぼくはユーチューバーを生業とする傍ら、独自にタイムマシンの研究も進めていた。一度でいい、スカトロの全盛期の時代に行ってみたいと思ったのだ。17年もの歳月を費やし、今やついに完成間近に迫っている。
あとは数箇所を木工用ボンドで貼り付ければ長年の夢が現実となる。
慎重にボンドを出していく。1メートルでもずれればこれまでのすべてが水泡と帰す。慎重に…
ミッションコンプリート!!
ぼくはやり遂げた。
ただ、エネルギー源となる単三電池を用意しているとき、ふと疑問に思った。
直列回路と並列回路…どちらにすべきか、と。
西暦1335年
スゥウォッ!!
「うあっ!こっ…ここは?成功したのか!?」
そうだ、ぼくはあの後並列回路を選んだ。
結果だけ見れば成功だが、タイムマシンは相当なダメージを負っているはずだ。
とにかく、この時代に来れればこっちのもの。楠木正成さんを探さなければ――
――楠木某から聞いた話によると、この時代のスカトロは2023年のそれとはかなり違っていた。それも負の方に。
ぼくが変えねばならないと感じた。
そこから2、3年かけぼくはスカトロを変えていった。
時には言葉で皆を導き、時には行動や態度で示し、率先垂範となった。
笑われようと、馬鹿にされようと、ツイッターに晒されようと、挫けずこの時代に尽くした。
西暦2023年
世界偉人伝
中田敦彦 主な功績:スカトロの改訂
そこには、図らずも中田敦彦の名が記載されていた。
タイムパラドックス――
β世界線からα世界線へと変わり、そこには残酷な約定がこの世界の人々を待ち受けていた。
西暦2023年
「なあ、ダル、もといダル・パティーニョよ。直列と並列、どちらがいいと思う?もちろん並列だよな?」
「お言葉ですがナカリン、ボクは刺激の強烈な並列より優しい肌触りの直列のが好みです!」
外で足音がする。
まゆりがジューシー唐揚げNo.1を買って帰ってきたようだ。
ラボのドアが開く。
む、ぼくの懐中が止まっている…さっき巻き直したばかりだというのに…。
帰ってきた…入ってきたのは、まゆりではなくヘルメットと銃を携える複数の男達であった。
銃口はぼくにはっきり向いている。
中田敦彦の死――
世界線が変動し、中田敦彦という人物は世界に殺された。
―葬式
彼のチャンネル登録者、実に500万もの人々が葬儀に参列した。
焼香をあげる際、中田に近づく女性がいた。
彼女は叫んだ。
「覚悟とは!!暗闇の荒野に道を切り拓くもの!」
喪主をしていたダル・パティーニョがハッとする。
アホかと。馬鹿かと。死んでしまったのなら、死なないようにすればいいだけだ。
結果とは必ず原因あってこそである。
幸い、ナカリンの生み出した未来ガジェット204号機、タイムマシンがある。
過去にタイムスリップし、ナカリンを救うのだ――
無理だった…何べんやっても結果は変わらなかった…
ボクは…ナカリンを救えない……。
「悲しみに耐えてよく頑張った!感動した!!」
背後から声がする。
振り返ると、にやにやした小泉純一郎元総理がいた。
それから二人で色々頑張ってナカリンを救った。
結果的に中田敦彦の名前は世界偉人伝からは消え去ったけど、無事でなによりだ。
ナカリンを救った後、ボクたちはファミレスで水だけの長居をかましていた。
「ダルくん、僕はね妻と二人の子もちなんだけど、息子の内、片方がどうやら変な方向に育ってしまったようなんだ。」
突然ボクとは無縁の家族について自慢され、心底腹が立った。
憤怒。まさしくこの感情であった。
「同じことを二度言い、終いにはセクシー何ぞという破廉恥な言葉を口にするそうだ。」
このじいさん純粋かよ。
「妻の遺伝なのであろうか…妻の系譜は代々こうなのだろうか…最近男の気配するし…調べちゃうか。」
そういうと元総理はスマホを取り出し、yahoo知恵袋で質問し始めた。
京都府某所
私の名前は小泉マリコ。
元内閣総理大臣、小泉純一郎の妻であり、京都府警科学捜査研究所職員。
趣味はネトフリとyahoo知恵袋回答。
職業柄、知識は多くなり回答出来る質問も増えてくる。知識の及ぶ範囲の質問はなるべく答えてあげている。
今日もなんか来てるかなーっと。
一つの質問が目に止まる。
「小泉マリコさんについて質問したいのですが、彼女はバカなんでしょうか。もしくはそういう血が受け継がれているのでしょうか?あと、最近職場で男でも出来たんでしょうか?」
なぜ私についての質問が…
しかもよく分からん質問だな…
「彼女の家系はリストに繋がっています。
リストを馬鹿だと思っていらっしゃるのであれば言うことはございませんが、もしそう思われないようでしたら質問の内容を謝罪下さい。彼女に。」
「リストに繋がっていたのか…。」
元総理は驚きを隠せない様子であった。
「なあ、ダルくん。前に悲しみに耐えてよく頑張った、感動したと僕は君に言ったね。」
「え、ええ…。」
「あれね、実は君に言ったのが初めてじゃないんだよ。」
西暦1835年
私はフランツ・リスト。ピアニストだ。
おつむは足りていない。つまり、頭が悪いのだ。
ピアニスト全員が知的である訳ではない。
どこの業界にも馬鹿は一定数いるものだ。
最近副業で力士もし始めた。
四股名は貴乃華。
3ヶ月前、右膝に怪我を負いながらも夏場所千秋楽での優勝を勝ち取った。
その際、時の権力者から言葉をかけてもらったのを鮮明に覚えている。確か…
「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!」