女という生き物と、男である僕
女が嫌いだった。
もちろん最初からそうだった訳じゃない。寧ろ自分の事をよく知る同級生から「タラシ」や「女好き」とのある意味で名誉ある渾名を付けられた事もあった。それがどうしていま、こんなに嫌いになってしまったのか。具体的な例を挙げて行こうと思う。
まず、僕が女を嫌いな理由の一つが、ヤツらの言ってる事は「あまりにも都合が良すぎる」事を喋るからだ。男には人を顔で判断したり、体つきで判断する事はナンチャラハラスメントとか言ったりするが、その反面、自分たちはしっかり某アイドル事務所や女性誌に登場する色男達の上裸を見てキャーキャー騒ぎ立てる。ならばコチラがグラビアやアイドルを見て「いい胸してるなぁ」「いい足してる」とかの言葉を発しても、何一つ責められる理由は無いのに、どうしてあんなに騒ぎ立てるのか。
次には「女の立場が弱い弱いと叫ぶヤツら」コイツらも、反吐が出るほど嫌いだ。最近、何かに付けて男の方が優位にいる。不平等だ。こう言った声を聞くことも少なく無くなった。ならば言いたい。僕ら男が、どれだけ女に対し気を使っているのか。本来、無視しておけば良いと思うが少しでも自分の意見が通らないと「女だから重要な会議の意見を採用して貰えない」「女だから最初から話を聞いて貰えない」とかワケの分からない理屈で騒ぐヤツらが現れる。そうなると僕らは厄介な事になる前に可及的速やかにその言葉を発している奴に状況判断と理解を得られるように時間を使う。あまりにも非効率だし、何よりその意見は間違いだと思う。
純粋に、そいつらの頭が悪いからだ。男は本当にそれが会社やグループの為になるなら、どんな奴が言い出そうが必ず最後には認める。(1部、そうでは無い奴らもいるらしい)周りを納得させるだけの実力が無いのを棚に上げて、デカい声で騒ぎ立てるなと思う。
次は「デートや、食事の場での振る舞い」だ。一言で言おう。いつでも奢られて当たり前だと思うな。それはお前らの驕りだ。こっちだって様々な事にお金がかかる。そもそもいくら誘われたからと言って、品定めする様な眼差しと態度で僕ら男を見回し、金を出させたかと思うと友達とその日の批評を始める。何様のつもりだ。こちらは必死に、一生懸命考えたデートプランやコースで楽しんで欲しいと思っている。余りにも酷い内容ならばまだ納得出来るが、そもそも最初から「その場を全力で楽しむ」つもりも無い奴らに、批評なんかして欲しくないし、そんなヤツらなどこちらからお断りだ。
多分、これを見て怒り出す人や呆れ返る人もいるだろう。馬鹿だと一喝する人も居るだろう。それは構わない。僕が勝手に思っている事だ。それに大して批判や賛同なんかは読んだ人達が好きにしてくれれば良い。ただ、僕は思う。
こういう意見もひとつの意見として認められる事こそが「男女平等」では無いのか。何故いつも男が奢らねばならない。稼がなければならない。重いものを持たねばならない。働かなければならない。守らなければならない。戦わなければならない。ヤツらの言ってることは所詮紛い物。平等と言う名に隠れた男への差別だ。心底、男で良かったと思う。そんな頭の悪さをひけらかしても平然と生きていられる、そんな醜いものに生まれ無かった事を母親に感謝するのみだ。
ひたすらに女への嫌悪感と憎悪が澱のように溜まっていく。
今日も、そしてこれからもこの気持ちを抱えながら生きていくのだろう。周りに当たる事も出来ずに今日も僕は捌け口に女を買い、弄び、そして家に帰り大好きな妻を抱き、生きるための力を取り戻すのだ。