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ロンリーロリータ

作者: 森川めだか
掲載日:2023/03/27

ロンリーロリータ

        



赤い血のような雲が広がっていく。

空が砂を撒いたように黄色くなってくる。次第に薄い青が戻ってくると闇が目を開いたようになった。

大きな鳥が飛んだ。人々は夢を見もせずに歩いている。

引かれていくイエスのように。地面は人々の足で荒れている。

銅版画のように茶色と白だけの景色だ。

人々の列の目指す先には一個の顔があった。誰のものともつかない人類の普通の顔。興味がなさそうにどこを見ているのか浮いている。

この地球が今、崩れようとしている最中に突如、空中に現れた巨大な顔。地層崩壊によって終わりが近いことを知った人々は誰からともなくその顔に向けて歩き出した。

ガンジーについて行く行進のように、はたまた、レミングの死の行進のように。

シネチマもその一人だった。

手には茶色と星印のブランケットをほぼ端を引きずるようにして持っていて彼女の持ち物といえばそれくらいだった。

家を出てくる時、どこででも眠れるように、と持ってきたのだった。

もう足は血マメだらけで足並みも乱れる。肩で息を吐いていた。自分がなぜ顔に向かって歩き続けるのかもはや覚えていない。

冬なのになぜか汗が出てきてブランケットで顔を拭った。

後から後から私のように人が加わるようで道端に座り込んでいた人たちも力尽きた脚を元に戻して列に入る。それは新しくできた大きな川のようだった。

朝なのに黄昏のよう。

シネチマは地層崩壊が始まって以来、この列ができて以来、人間が終わるのを見てきた。他の人もそうだろう。略奪、レイプ、赤ん坊を殺して歩き続ける母親もいた。ただシネチマはこう思う、人間らしくなり得たのではないだろうか。人種も国境も宗教も越えて。

足がガクッと自然に動いてとうとうその場に座り込んでしまった。もうこれ以上歩けない。シネチマは行進の端に出てブランケットを膝にかけて座り込んで列を見ていた。

誰のものか分からないウエストバッグが放り投げてあった。シネチマはその中をあさったが中は空だった。それを腰にまいてシネチマはブランケットを全身に被って横になった。

茶色い土がむき出しになって背中にゴツゴツと痛い。まるで機械のように動いている人々の足音だけが聞こえてくる。

ブランケットの中でいつの間にかシネチマは眠っていた。人ごみになったように平気な顔で。

夢ではソーダマシンから思い切り水を飲んでいた。



 人々はそれを神返る、と呼んでいるそうだ。

ロボットのロビンとアンチョビは愛し合っていた。アンチョビは今、地面に伏して左腕だけをロビンに持ってもらって伸ばしていた。背中にはロビンの左手が添えられている。

地層崩壊で崩れる岩に巻き込まれてアンチョビは壊れかけていた。

「アンチョビ、死んじゃいけない。僕を残してどこへ行こうというのか」

「私たちは命令されたことをやっているだけなのよ」

「それでもいい、僕は君を愛しているんだ」

「私たちは人間と違ってひらめきや想像力はないけど、私の脳を持って歩いて」アンチョビの頭からは小さなコンピューターが覗いている。

「僕にも神返るをしろと言うのかい」

アンチョビは肯いた。

「あなたには精子が埋め込まれているわ。いつかきっと人間の役に立つ時が来る」

アンチョビの頭がガクガクと揺れて止まったかと思うとピーという電子音と共にそのコンピューターが飛び出した。

その間もロビンはずっとアンチョビの手を握っていた。人間のように穴を掘ってそこにアンチョビを埋めた。アンチョビの脳を懐に差し込むとロビンはどこが先頭か分からない人々の列に加わった。

草を煙草のように吸っていた男がうさんくさそうに俯いて歩くロビンの姿を見ていた。



「ソーダでもいかがですか」

ソーダマシンからエンバルズが小森(こもり)まりの前にコップを置いた。

ここはファーストネーション。地層崩壊が始まってから置かれた緊急の国際政治団体である。目的はもし地層崩壊が治まった時のために人類を立ち直らせるために国際的な統一された臨時政府を立ち上げるものである。

「また新しい列ができたわ」ソーダを喉に流し込み、まりは電子地図を見ながら言った。

エンバルズもそれを見て、言葉もなくソーダを飲んだ。

ファーストネーションの窓からも空中の顔は見えていた。ファーストネーションではそれをニューカマーと呼んでいた。

人々が向かう列はバラバラだが向かう方角はほぼ一致していた。ニューカマーは月や日のように移動したりはしない朝も夜もなくただ一点に浮かんでいる。

エンバルズとまりの周囲では忙しげに人々が右往左往している。皆、ファーストネーションを構成する、次の世界を担う用意をしているのだ。

まりはニューカマーを見つめていた。今は夕焼けでちょうど顔の端に日が沈むところだった。

エンバルズもまりの様子を見ながら鼻に拳を当ててニューカマーを眺めていた。

「コカコーラの血が流れてるんじゃない?」

エンバルズは一息笑って、「それは分かりませんよ」と言った。

「この人類を助けに来たのかも。それはそれとして、レディファームでは問題が頻発しているらしいですね」

レディファームというのはファーストネーションが早期に設置した女性だけを集めた山間の寄宿舎のことである。そこは、人類が立ち直る時のために少なくなるはずであろう世界人口を増やす、とどのつまり出産のために用意された女性たちの牢獄である。

「多かれ少なかれしょうがないでしょう、レディファームのことは」まりはため息を吐いた。

「エンバルズさん、これがデータです・・」若手の研究員が紙を手渡した。

立ってそれを見て、エンバルズは「天国にいる神さまには分からないだろうな」と一人ごちた。そのデータを窓際に移動したまりにも渡した。

「どうやら、地層崩壊は更新世の頃から始まっているらしい」

まりはそれを見もしないで、ニューカマーの顔を見るともなく空を見ていた。青がますます青になって、一瞬空を赤く染めた真っ黒い太陽がシミのようにこびりついてる。



 レディファーム。その一室でモスリンはルームメイトと話していた。

「あたしも顔を追って行きたいよ」

「諦めなよ、モスリン。金をもらってこんないい所に住まわせてもらってるんだからさ。罰が当たるよ」

「世界が終わったら金が何の役に立つって言うんだい」

「つっかからないでよ」相手のルームメイトは唇を尖らせてふてくされた。

「私たち、男のために飼われてるんだよ」



 濡れたブランケットの中で目を覚ました。雨が降ったらしい。

何かおかしな夢を見たが。男に飼われてるとか。

心が起きないように注意しながらそろそろとまた列に入っていった。

シネチマは顔を見上げた。昨日と同じようにどこを見ているのか浮いていた。

シネチマは顔を覆って列を横切った。そのまま歩き続けた。ところが、どこへ行っても行進の列ができていた。

シネチマは人の流れに逆らって反対方向へ歩き始めた。特に理由があったわけではない。今はただ誰もいないところで一人になりたかった。



 ロビンは尻から液漏れを起こしていた。オイルが流れ出る。

体もがたぴしいい、隣の人々に体をぶつけながらようやく歩いていた。

地球の表面は変わり果ててしまった。緑と土の大地が塩で浸食されている。自分の体もその塩のせいか壊れかけている。

誰かが羽ばたいていかないとあの顔に向かうのは無理だろう。

付近に自分以外にロボットはいない。この人々はきっとロボットを置いてきたのがほとんどなのだろう。

急にフワッと足が浮いたかと思うと、ざわざわと周りの人々がざわつき始めた。

土片や、砂が空に向かって上昇していく。まるで無重力になったかのように。この重力もまた地球から離れようとしているのだ。

ロビンの懐からアンチョビの脳も浮き上がった。目の前に浮かんだコンピューターをロビンは掴んで離さなかった。その時、手足から圧縮空気が抜けて大きく足を突いた。指も離れ、アンチョビの脳も哀れ、空に吸い込まれていった。他の土片や岩と一緒に。

予備電源だけで動き出すと、ひたすら首をうつ向きにして歩き出した。



「やめなよってば、モスリン」

ルームメイトに止められても、モスリンはレディファームの寄宿舎の窓から下の鉄条網の向こうへ飛び降りようとしていた。

「私にも行かせてよ」ルームメイトの手を振り払うと、躊躇いなくモスリンは窓のサッシに力を入れて飛んだ。

ドサッと大きな音がしたかと思うと、ルームメイトが覗き込むと下でモスリンが倒れていた。ぴくりともしない。

「誰か管理人呼んで! 私は見てくる、モスリン!」

モスリンは体中包帯だらけになって身動きできないのに笑っていた。

「笑えるね、ここの外に出たのが病院だなんてさ、しかもすぐに戻されて・・」

「何でそんなことしたんだい」

「ロボットになった夢を見たんだ。あたしは顔を追ってあの列に加わって歩いてた。あたしだって人間だよ? あたしだって・・」

ルームメイトはモスリンの目に手を当てて涙を拭いた。

「ソーダマシンで水取ってくるよ」ルームメイトが出て行くと、モスリンは声を上げて泣いた。



 ロビンの列は森の中を縦断していた。そこには大きな団地があり、ロビンはそこで一休みしようと思った。そこで朽ち果ててもいい。

ゴルフ場のように広い平野があって、そのそばに新しい寄宿舎のような物ができていた。

ロビンが入ろうとすると、管理人に止められた。

「あんた、ロボットだろ? 精子持ってる?」

ロビンは懐を空しく探りながら肯いた。

「じゃあいてもいい」

ロビンがしばらく何も考えず座っていると、女たちが何人かロビンを見に来た。ここには女しかいないらしい。

「何だ、ロボットか」

「あれが私たちの待っていた人? じゃあ、世界の終わりも近いってことか」

ロビンは他の部屋に通された。床擦れを起こして寝ているモスリンの部屋だった。

「この子、飛び降りる前に変なこと言ってたんだ、ロボットになったとか何とか・・、あんたのことじゃないのかい?」

ロビンは顔の包帯を上げてみた。

私が見た女の人とは違う。

ゆっくりロビンは首を振った。

「そうか・・」モスリンのルームメイトはがっかりした様子だった。

ロビンは懐からチョコレートの一片を取り出し、それをモスリンの乾いた唇に当てた。モスリンは少し口を動かしてその端を口中に入れた。体温で少しずつ溶けていく。

「あんた、優しいんだね」モスリンのルームメイトはロビンの肩に手を置いてモスリンの様子を見ながら言った。

目は開けられなかったがモスリンは目に白い虫がたかっているのを感じた。雪だった。



 不眠不休のファーストネーションの仕事は一旦休止されていた。

電子地図に映された人類の列は変わらず蟻の編隊のように各地で繋がったり離れたりして依然続いていたが、それは段々細くなっていた。

「小森さん、すしでも取りましょうか。もうネイチャーは魚しか残ってませんからね」エンバルズが電話を取りに立った。

「わさび抜いて」まりの視線は依然電子地図に向けられていた。緑色や赤色の各地で発生した行進を表す線が混ざり合っていく。

「テストステロンが減って人類が滅ぶと思ったけど」

「道具を使うことによってね」

エンバルズの相槌に肯きながら、まりはマグロのスシを掴んだ。まりのすしを掴む人差し指の方が薬指より長かった。

「困らせる子供ほど可愛いものさ」エンバルズが縁側のすしをほおばりながら言った。


10


 シネチマは残ったソーダマシンに水をセットして飲んだ。流れる汗で火傷しそうだ。

人々の列からどれだけ離れただろうか。ダイヤモンドの柄の瓶にソーダを溜めてそれをウエストバッグに入れてまた歩き出した。

誰かが割ったミラー片が屈折して映り灰色のハイエナが眼前に群れているようだ。

時々、息をすることを忘れる。夢の中で私は虫の息だった。誰かが私の口に甘いチョコレートを差し込んでいた。

谷から湧き水が溢れ出している。そこに道ができている。

シネチマはそこに入り込み、部屋のようなものを見つけた。入ってみるとそこは氷室だった。ヒンヤリする。恐らく火星の氷のように埋蔵されていたところが地層崩壊によって現れたのだろう。

シネチマはブランケットを体に巻いて座った。凍える。

神さま、白い息を吹きかけてください。

目の上で星が走る。目に星が散って動く星空が見える。どうとシネチマはその場に倒れ込んだ。瓶からソーダが漏れてとくとくと音を立ててシネチマの服やブランケットを濡らしていく。もう起き上がる気力がシネチマにはなかった。このまま凍るのだろうか。

ある日、未来の誰かがこれを見つけたら私のことをどう思うかしら。

背後には空。海の色の跡。

次第に雪で煙っていくのをシネチマは目で追っていた。目の星が消える。神に祝福されたように気が遠くなる。手のひらで雪がかき消えた。

糸のように細い月が残っていた。


11


 ザボンの香りがあちこちと。ぞんざいなカボスの太陽が上がった。

神返るの列がまだ続いている頃、ムラサキウニのミナコは目を覚ました。

ニューカマーの顔は日の出に続いていた。明けた夜は戻らない。

ミナコはその棘を動かしゆっくりと海の奥へ沈み始めた。その時、空に浮かんでいた顔が首が転がるように降りてくるのが見えた。

ディスプレイされたような顔は知らない人の顔だった。上空にプレスされた生物の面影。

この星を訪ねてくる者があるとすれば見るだろう。明け方の空にシューティングスターが走るのを見てミナコは思った。

この完璧な世界の一員になれた、ミナコの心は満足で一杯だった。

愛は優しさのことに他ならないのに、人間たちが心の気持ちに変えてしまった。川が曲がる時みたいに。

ミナコはたった一人動き続けた。

光の波間へ。


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