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5.ミシェル・ライネル『憧憬』

ミシェル・ライネル十二歳。


現在動悸が半端なく、体温が無駄に上昇し、

血圧がヤバイことになっている。


ミシェルは現在自分の中で起こっている激しい化学変化を、

恋と認識した。


(私はどうやら恋をしてしまったようだ)


しかも男相手に、一目惚れだ。


あり得ない。


「あり得ないっつったら、あり得ないんだよっ!」


ミシェルは甲高く叫び、自身の思考を打ち消すべく、その記憶を抹消すべく、

自室の壁に激しく頭を打ち付けた。


「うん。頭痛い。(色々な意味で)」


『私の目には、ミシェル様は美しい方だと映っております』


先程出会ってしまった天使が、そう言った。


ミシェルの脳内が、お花畑状態になる


(あはは~♡ うふふ~、手を腰に当て、スキップをしたい心境だ)


美しい方……。

美しい方……。

美しい方……。


恋の脳内リピートがエンドレスに鳴り響き、天にも昇りそうな心地がする。


(嗚呼、私はなんて幸せなんだろう)


ミシェルは愛用の枕を抱きしめ、うっとりと呟いた。


天使の名は、ゼノア・サイファリア十二歳、

隣国の王太子(♂)だ。


現実の障害が半端ない。


ミシェルは白目を剥いて、枕を壁に向かって投げつけた。


(一体何を浮かれているのだ、私はっ!  

無理じゃん! 絶対無理じゃん! 

これじゃあ告白すら出来ねぇじゃん! 

恋愛始まる前から、すでに詰んでるじゃんっ! 

国家国民絡む前に、男同士ってどうよ? 

私に想われているって事がバレたら、キモがられるだけじゃん! 

好きな人にキモがられるとか、私のガラスの心臓が持つわけないじゃん。

よし、もしバレたら切腹しよう)


密やかにやばい決心をするミシェル・ライネル十二歳、思春期真っ最中であった。


そしてその天使はこうも言った。


『ああ、だからですね。ミシェル様の体格が、貧弱でモヤシみたいなのは』


貧弱で、もやしみたい……。

貧弱で、もやしみたい……。

貧弱で、もやしみたい……。


(悪魔か、あいつは)


恋の脳内リピートが、今度はミシェルを奈落へと突き落とす。


ミシェルは激しく落ち込んだ。


服を脱ぎ、全身を姿見に映すと、なるほど確かに貧弱でモヤシみたいだ。


家庭の事情は事情として、これは自分が生きるということに、

きちんと向き合ってこなかったことの結果だ。


「確かに甘えていたな、私は」


ミシェルは苦々しく呟いた。


(食べることは苦手だ、だが努力をしようと思う。あいつに認められるために)


そういうわけでミシェルは、用意された食事を完食するところから始めた。


それはミシェルが、生きるということを受け入れた瞬間だったのかもしれない。


傷つき、閉ざされていた世界が開かれたとき、

ミシェルは初めて自分に注がれている愛を知った。


「ミシェル様がお食事を完食なさいました」


給仕役から報告を受けたアレックが廊下を走り、


「ミシェル様っ! お食事を完食なさったと伺いました」


ノックを忘れ、小躍りしそうな勢いで喜びを表現している。


頭脳明晰、冷静沈着を地で行くこの完璧執事が、である。


「食事くらいで、大袈裟なんだよ」


ミシェルは少し恥ずかしかった。


だが、温かい気持ちにはなった。


自分を心配し、自分の生を喜んでくれる人が、たしかにここにいる。

そう思うことができたから。


「午後は少し散歩がしたい、家庭教師の予定を都合してくれ」


ミシェルがそういうと、アレックが破顔した。


「畏まりました」


紫宸殿へと続く石畳の両脇には、楓が植えられている。


夏の日の命の燃えるような新緑の時を経て、


今は秋風に吹かれる移ろいの時。葉は黄金色に、

また鮮やかな紅へと色付き始めている。


風に吹かれてひとひらの葉が舞い落ちると、ミシェルが感慨深げに、それを拾い上げた。


ミシェルは夏に、大きな発作をおこしてから、

ずっと食欲もなく、体調も悪くて外出ができなかった。


死というものと隣り合わせの日々の中で、

部屋の中で眺めていた外の世界に、今自分は触れている。


穏やかな木漏れ日の温かさ、頬を撫でる秋風の冷気。それはとても不思議な感覚で、

しかし決して当たり前のことではない、とミシェルは思う。


少し湿り気を帯びた楓の葉には、生命がある。


それは掌の中にある紛れもない生の営みので証で、

確かに自分はそれを握っているのだと、ミシェルは自覚する。


自分もまた命を取り留めて、この場所に生きている。

いや、生かされているといった方がしっくりとくるのか。


いずれにせよ自身の見つめているものが、変わったのだ。


遠目に見える城内の馬場では、ゼノアが乗馬の訓練を受けている。


元来運動神経がいいのだろう。


背筋も伸び、フォームも美しい。


眩しいものをみるかのように、ミシェルが目を細めた。


「ゼノアは美しいな」


ミシェルがそう呟いた。


それはミシェルにとって、生命(いのち)へ賛歌であり、太陽への憧憬だったのかもしれない。


今のミシェルにとって、ゼノアとはそういう存在なのだ。


アレックがミシェルに優しい眼差しを向ける。


「ゼノア様は筋が良いですね、勉学も優秀だと聞いています」


「病気に甘えていた私は何もかも劣っている。

だがな、見ていろ、アレック。必ず追いついてみせる」


ミシェルは踝に力を込めて、歩き出した。

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