8話 Cecil
故郷の世界と同じ、黄昏時の空の色は、セシルの心に僅かばかりの安らぎを与えた。
駅までの道すがら、陽菜さんは僕に色々な事を教えてくれた。
魔法に依存する僕達とは違い、この世界の人々はテクノロジーの進歩により、大きな発展を遂げたのだと知った。恐らく科学技術だけを比較すると両者には五百年以上の隔たりがあるだろう。
僕らの世界では当たり前の封建制度は、とうの昔に崩壊し、現在は資本主義国家が世界の大半を占めている。戦場においては、剣に変わり銃火器が台頭している。
中でも僕を驚かせたのは、この世界では魔物やモンスターの脅威が無く、この地に生きる人々はみな平和に暮らしていると言うのだ。それこそ正に僕が渇望する世界の姿だ。
「白百合先生が、こんなにもセシルくんの事を気に掛けて、何かと手を尽くしてくれるのがちょっぴり意外だったな~」
「そうなんですか?」
「普段の白百合先生って、私達生徒に対して、何ら関心が無い様に見えるの。それに、キリッとしてて、一切隙を見せないから、他のみんなは、話し掛けずらいし、何だか怖いって言ってるの。まあ、私はそんなの気にしないから、誰彼構わず話し掛けちゃうんだけどね」
「きっと他の方々は白百合先生の事を誤解してるんですよ。だって素性が分からない僕に対して、こんなに優しくして下さるのですから」
「うん。私もそう思う~」
陽菜さんには言えなかったが、僕が最初に彼女に抱いた印象は、他の生徒とは別の種類の恐怖だった。救いの手を差し伸べてくれた恩人に対して、その様な感情を抱いてしまった事を僕は、堪らなく恥じた。
「ところで、僕と入れ替わった翔さんとはどんな人物なのでしょう?陽菜さんから見て僕と翔さんには何らかの共通点はありますか?」
「そうね~。見た目の共通点は全く見当たらないなぁ~。翔はケンカも強くないし、正義感も強くない。それに言葉もちょっぴり乱暴だし、セシルくんとは正反対かな。不思議だなぁ・・・。どうして私、そんな人を好きになっちゃったんだろう」
陽菜さんは顎に軽く手を当て、小首を傾げた。
見門駅で電車を降り立ち、駅前の広場へと出た。
家路を急ぐ人や、広場のベンチに座り込みおしゃべりに興じる人。平和な世界に生きるはずの彼等の表情が、一様に疲れ切っている様にも見えた。
何か聞こえる。
「セシルくん。急に立ち止まってどうしたの?」
周囲の喧噪に紛れて微かに歌が聞こえる。
「歌が聴こえませんか?」
「向こうの方で、ストリートミュージシャンが歌ってる歌の事かな?気になるんなら、少し聴いて行こうか~」
僕達は少し離れた場所で歌う、ストリートミュージシャンの目の前に立った。
彼は長い髪を振り乱しながら、マイクを片手に、行き交う人々の心に向かって、叫ぶ様に歌っている。
TEAL GAME
空を飛ぶ小鴨は見た
狩られる刹那、天地は逆転
食事も忘れる程の思い
お前ならきっと見つけ出せるさ
答えはそこで待ってる
いつの間にか涙が出ていた。
この歌の何が僕の心をこんなにも震わせたのだろう。理屈では説明出来ない、人を感動させる不思議な力がこの歌にはあるのかもしれない。
歌い終えたミュージシャンは、足を止めて歌に聴き入っていた僕達に興味を示した。
「嬉しいな。俺の歌でこんなに感動してくれたのは君が初めてだ。そんなに、この歌を気に入ってくれたのか?」
「ええ。この歌の詞は、あなたが考えたのですか」
彼は一瞬戸惑った様な表情を見せた。
「ああそうだよ。でも不思議なんだ。夢の中でこの歌詞が浮かんで、一言一句、起きた時にもはっきりそれを憶えていたんだ」
「そうなんですね。何だかこの歌に勇気を貰いました」
「そう言って貰えると嬉しいよ。大体いつもこの辺で歌ってるから、気が向いたら、またいつでも聴きに来てくれ」
「はい。ありがとう御座います」