72話 Cecil
人里離れた山間に位置するその研究所の佇まいは、僕の予想に反するものだった。
大規模な施設と大掛かりなセキュリティーを想像していた僕は呆気に取られた。
二階建ての古びた小規模な施設を取り囲む様に有刺鉄線が張り巡らされてはいるが、敷地内に侵入する事だけで言えば、決して困難では無いと思えた。
敷地内へと続くゲートの警備にあたる人間はたった一人だけ、施設の扉の前にも警備員が二人居るだけだ。
桃恵先生は、この研究所は複数の個人の出資者によって成り立っていると話してくれた。
その中には政治家も含まれており、石造りの銘板にもある保険環境研究所とは名ばかりで、怪し気な研究が出来るのも、彼等の後ろ盾があるからだと教えてくれた。
そして、地上から見える建物の地下には、一般には知られていない、広範囲にわたる地下空間が存在し、その一角に、目的の装置が置かれている。
「警備も手薄の様ですし、施設への潜入は思ったよりも楽かもしれませんね。」
「地上の施設に入るまでは簡単でしょうけど、問題は地下ね。
地下に降りるまでに、複数のセキュリティーを突破しないといけないわ。
だけど、生体認証は既に私の情報に書き換えてあるからその点は安心して。」
「驚きました。ここへ来るまでの短時間で、そんな事が出来るんですね。」
桃恵先生は口籠った。
その様子から恐らく、この一件が無くても何らかの事情があって、研究所に潜入する事を以前から考えていたのだろうと僕は推察した。
だけど、それを実行に起こせなかった理由を計り知る事は出来ない。その理由を桃恵先生から引き出す事は難しいだろう。
第一の関門である、敷地内への潜入は容易だった。
桃恵先生が持つ、偽造パスを警備員に見せると、さして疑われる事も無く、あっさりと通過する事が出来た。
表向きは保険環境研究所として活動している為、警備員はこの施設の本来の目的は知らされていないのだろう。
この分だと、第二の関門である入り口の警備員も上手く躱せるだろう。
さっきと同様に桃恵先生は警備員に偽造パスを提示し、僕達もそれに倣った。
施設に足を踏み入れようとしたその時、背後から僕達を呼び止める声がした。
「君達!待ちなさい!」
戦慄が走った。
不味い、施設に入る前にバレてしまったか。
実力行使に出るべきか?
だけど、こんな所で騒ぎを起こしては、目的の場所まで辿り着く事は不可能になってしまう。
「さっきのパスを改めさせてくれないか?」
僕は隠し持っていた剣の鞘に手を掛けかけた。
やっぱり、何も事情を知らない人に対して剣は振れない。
僕は鞘からそっと手を離した。
こうなっては退路を考えるしか無い。
果たして二人を守りながらこの場から逃れる事は出来るのだろうか。
「早くパスを見せなさい!」
僕と陽菜さんは桃恵先生と顔を見合わせた。
そして先生は、恐る恐る警備員にパスを渡した。
気付かれない事を祈るしかない。
「やはりな・・・。これは偽物だ。」
警備員は制帽の鍔をちょこんと上げ、掛けていたサングラスを外しながら先生の耳元で囁いた。
彼の顔を見た先生は思わず目を見開いた。
先生を見つめる目が2つでは無く、横に3つ並んでいたからだ。
そして、彼の額からは角の様な物が飛び出していたのだ。
恐らく人体実験によるものだろう。
「私達をどうするつもり?」
桃恵先生は震える声で彼に尋ねた。
「君達は研究所に対して、何か良からぬ事を企んでいるんだろ?」
僕達は思わず沈黙した。
他の仲間を呼ばれてしまっては万事休すだ。最早、剣を取り彼の口を封じるしか方法は無いのか。
「まあ良いさ。大声では言えないが、俺自身、こんな体に変えられて、研究所の奴等には恨みの念を抱いているからな。」
「それなのに、あなたはどうしてこんな所で彼等の為に働いてるの?」
「こんな姿じゃ真面に人間社会で生きては行けないだろ。
かと言って、俺がどう足掻こうと、ここに居る奴等に痛手を負わせる事も出来ない。
だったらその役目を誰か別の人間に託そうって訳さ。
こんな日が来るのをずっと待ってたんだ。
それに、俺には娘が居るんだ。
もう二度と会えないその娘が、丁度お嬢ちゃん位の年齢だったんだ。
だから、君達みたいな子が奴等の実験の道具にされるのは見てられないんだよ。」
陽菜さんは、面識の無い少女を自分に置き換えて思いを馳せているのだろうか、段々とこの親子に対して、抑え切れないもどかしい気持ちが溢れている様に見える。
「あなたは娘さんともう一度会いたく無いんですか!きっと娘さんも、どんな姿であってもお父さんに会いたって思ってる筈です!」
彼は一瞬寂しそうな顔を見せた。
「ありがとう。だけど、もういいんだ・・・。」
「そんな事言わないで!娘さんの為にも諦めないで下さい!」
「違うんだ・・・。娘は今も近くには居るんだよ。」
彼は何かに向かって指を差した。
そこには、肉を貪る一匹の獣の姿があった。
獣の頭には、その姿に似つかわしくない真っ赤なカチューシャが着けられていた。
僕は思わず絶句した。
どうして彼が娘に会えなくなったかを理解した陽菜さんは、顔を抑えて泣いた。
この様な惨状が日常的に行われている事を知った僕は研究所に対して、怒りが込み上げて来た。
彼女の遠吠えは研究所内に悲しく響き渡り、僕は胸が堪らなく痛くなった。
何故だろう・・・
彼女の姿が、僕の世界に存在するモンスターとは異なる、魔獣の姿と重なる・・・




