62話 Cecil
桃恵先生が何故七海さんの姓を聞いて驚いたのか僕には見当も付かなかった。
差し迫った危機である、"death sower"を倒す手段と、彼女の姓名には何の関連性も無い様に思える。
しかし、藁にも縋る思いの僕は、ほんの少しの見落としも許されない。
どんな些細な事でも良いから、七海さんを助ける可能性を見い出したい。
「先生、七海さんの苗字に関して何か思い当たる事があるんですか?」
先生は何かを考えている様子で、僕の言葉が耳に入らなかったのか、独り言の様に呟いていた。
「どうして今まで気付かなかったの。彼女の家庭環境と名前は前々から知っていたのに。
彼女のお爺さんがパートナーとは事実婚関係で夫婦別性であったって情報も掴んでた。
迂闊だった。パートナーの姓をちゃんと調べていれば、もっと早く気付けた筈だわ。
何もかも後手後手に回ってる。
七海さんが、まさか大空君の娘だったなんて。」
「先生、何に気付いたんですか?僕にも分かる様に説明して下さい。
"death sower"を倒す為にも、今の僕は何でも良いから情報が欲しいんです。」
「待って、セシル君・・・。どうしてあなたが"death sower"ってコードネームを知っているの?
この原稿に、その名は"あれ"としか記されていなかった筈よ。あなたが知る手段は無い筈なのに、どうしてなの。」
僕に驚愕の目を向け、上ずった声で桃恵先生が言った。
寧ろ僕は、何故、桃恵先生が聞き馴染みの無い、"death sower"と言う名を知っているのかが不思議でならない。
「それは、ここへ来る前に、以前と同じ様に、原稿の空白部分に文字が浮かび上がったんです。
また直ぐに消えてしまったんですが、そこには、
"彼女はdeath sowerに取り憑かれている急ぐんだ!このままでは、命を奪われる事になるぞ"と記されていました。
先生は何か僕に隠してある事があるんですか?だったらお願いです!隠さずに教えて下さい!」
僕の説明に納得したのか、桃恵先生は落ち着きを取り戻し、ゆっくりと視線を落としながら言った。
「隠すつもりは無かったんだけど。私もたった今知った事があるの。
大空七海と言う名前は、私、十年以上前に、ある人から教えて貰ってたの。」
「えっ!?それは一体誰なんですか?」
昔の思い出を手繰り寄せるかの様に、先生はゆっくりとした口調で語り始めた。
「私は教師になる前に、とある研究施設に勤めてたの。
そこで働いていた、同僚の大空君から聞いてたの。
大空君は今になって気付いたんだけど、七海さんの実のお父さん。
研究施設は今の彼女の家から何百キロも離れた所にあったし、苗字が変わっていたから、まさか彼の娘だなんて思いもしなかった。
あなたが話してくれた、連鎖。つまり血の繋がりによって彼女の家系は代々"death sower"が見えていたんだと思うわ。」
「僕も血の繋がりの事は、一度は考えました。確かに、七海さんにも、彼女のお爺さんにも"death sower"が見えていました。
だけど、彼女のお父さんは自らが取り憑かれた時もそんな素振りは一切見せなかった程ですから、きっと見えていなかったんだと思います。」
「それは違うわ。確かに大空君にも"death sower"は見えていた。
別々の部署ではあったんだけど、彼とは妙に馬が合って、後に彼の奥さんになる人と私は三人でよく飲みに行ってたの。
私と彼女に付き合うだけで、普段はアルコールは一切口にせず、物静かで、口数の少ない彼が、珍しくお酒を飲んで饒舌だった日があったわ。
それは、彼の父親が亡くなって直ぐの時だった。
きっと彼は悲しさを、お酒の力を借りてでもで紛らわせたかったのね。その時初めて彼の幼少期の話を聞いたわ。
自分には、子供の頃から幽霊が見えていた。
だけど、それを学校で話すと、友達からは噓つき呼ばわりされ、大人からは人から構って欲しい不憫な子だと言われた。
その時の担任は、家庭で愛情を受けていない、虐待の可能性もあると言った妄想に駆られ、母親を学校に呼んで頭ごなしに怒鳴ったそうなの。
その姿を偶然目の当たりにした彼は、居た堪れない気持ちになった。
自分が他人に幽霊が見えると言ったばかりに、母親に嫌な思いをさせてしまった。
これからは二度と幽霊が見える何て口にしない。そう心に決めたそうよ。
その日以来、誰にもこの秘密を喋る事はしなかった。父親が亡くなって、気持ちが沈み、つい私達に秘密を話してしまったあの日を除いては。」
「その話だと、七海さんのお父さんは、死の間際、自分が"death sower"に取り憑かれていた事も分かっていたと言うんですか。
お爺さんが亡くなった時に取り憑いていた"death sower"が自分にも取り憑いたと知って、果たして、こんなにも冷静で居られるものなのでしょうか?」
「誰だってそんな状況で冷静で居られる筈が無いわ!彼だって大切な家族を残して死にたく無かった!」
先生は語気を強め、激しく否定した。
ここまで、強い口調の先生は初めて見た。
言葉を放った後の先生は、唇を噛み締め、無念の表情を浮かべていた。
そこには、普段の凛とした姿は崩れ、怒りと悔しさの入り混じった姿だけが際立って見えた。
「大空さんの思いを僕なんかが口にするのはおこがましいですが。
取り憑かれている事をおくびにも出さず、七海さんの目から見ても分からない程、普段通りを装っていた。
だけど、心の内ではきっと、死への恐怖や無念を感じていたかもしれませんね。
桃恵先生の様に大空さんの気持ちになって考えたらそう思うのは当然ですよね。」
「セシル君、誤解しないで。これは、単に彼の思いを推し量った私の私見では無いの。
大空夫妻が死ぬ直前に会っていたのは私だから。その時に、直接彼が私に色々と話してくれたのよ。」
「えっ!?」
「最後に会った時の大空君の姿が脳裏に焼き付いてて、今でもはっきりと覚えてる。
あの日、彼の家に一本の脅迫電話があったそうなの。
最初に電話に出たのは七海さんのお母さんだった。
施設内で盗難された、とある装置を隠し持っているのは、お前の旦那だろう。大人しく装置を返さなければ、家族に危害を加えると。
電話を受けた彼女もまた、彼と同じ部署で働く研究所の一員だったから、その装置が持つ重要性と危険性は十分理解していた。
電話の主は旦那に伝えておけと言い残し、受け渡し場所を指定した。
彼等は素直に装置を返す訳には行かなかった。この装置は世界に混乱を招き、これまでの秩序を乱す物だったから。
悪意のある者が手にすれば、大袈裟に聞こえるかもしれないけど、この世界の支配者にもなれると彼は私に話してくれた。」
普段であれば、世界の支配者など荒唐無稽に聞こえるが、それが"death sower"と結び付くと、妙に現実味を帯びて来る。
人の手に余るであろうその装置で、一体何が出来るのだろうか。
「先生。そんな危険な装置とは、どんな代物だったんですか?」
「ごめんなさい。それは私も詳しくは知らないの。
装置の存在自体、死の直前に大空君から聞かされるまで、そんな危険な物が同じ施設内で、研究開発されてたなんて知る由も無かったから。
私が所属していた部署は主に時空の研究をしていたの。彼の部署がどんな研究をしているのかと言う情報は一切入って来なかった。
特に大空君が所属していた部署は、施設内でも厳戒な情報統制が成されていて、研究内容の殆どが極秘扱いされていた。
だから同じ施設内に於いても、彼の部署が研究していた内容を知る事は不可能だったの。本当に何も知らなかったのよ。」
「分かってます。先生が僕に嘘を言っているとは思ってませんから。」
疑問は深まるばかりだ。"death sower"や時空に関しての研究している施設の目的とは一体何なんだろうか。
もし、桃恵先生が完全な管理者としての能力を得ていたのなら、極秘事項も何もかも知り得る事が出来たかもしれない。
駄目だ。今はそんなどうしようも無かった事を後悔をしている場合では無い。
「ありがとう。信じてくれて。
大空君は、装置を彼等に返す訳には行かなかった。かと言って、自らが装置を使う気も初めから無かった。
そもそも、装置を自らの利益の為に使うのではないかと言う疑念を払拭する為に、彼は装置の動力源は持ち出さなかったの。
そして、約束の受け渡し場所に行く前に大空君達は私の家を訪ねて来た。
私の姿を見るなり、彼は切羽詰まった様子で、こう切り出したの。
僕達にとって、信頼の置ける人は桃恵さん。君しか居ない。
大きな厄介事を持ち込んで申し訳無いが、僕の最後の頼みを聞いて欲しい。
僕は研究所からある装置を奪った。その隠し場所を今から君に教えるから、誰にも奪われない様に守って欲しい。
僕の部署が秘密裏に研究をしている、コードネーム"death sower"。それに関する物だと。
そして、さっきセシル君にも話した、大切な情報を私に伝えた後、彼は初めて私の前で涙を見せたの。
『僕がしている事は間違っているかもしれない。
身の丈に合わない大志を抱いたが為に、妻や娘を危険に晒してしまった。
僕には既に死神が取り憑いている。
家を出る前に、七海にちゃんとお別れを言えばよかった・・・
日々成長する七海をずっと見守っていたかった・・・
桃恵さん。
僕はまだ死にたく無い・・・死にたく無いんだ・・・
七海パパを赦してくれ・・・
七海・・・七海・・・
幸せになってくれ・・・』
涙で擦れた声で、彼はそう言ったの。
その時の私は、どうして彼がそんな別れの言葉を言っているのか分からなかった。
だけど、数時間後にその意味を知って、後悔の念を抱いた。
彼は自分がこれから死ぬ事を知っていた。知っていて私に全てを託した。
あの時、大空君達を止めていれば・・・。
こんな不完全な状態じゃ無くて、完全な状態で管理者の能力を受け継いでいれば・・・。
その事を今でもずっと後悔してる。
私は普段の付き合いから、彼の人となりを良く知っていたわ。
だから、根っからの善人である彼が、研究所から大切な研究品を奪うと言う行動に疑問を抱きつつも、その正当性をずっと無条件に信じて来た。」
「彼と最後に交わした会話から、桃恵先生はその装置の在処を知っているのですね。」
「知っていたと言う方が正しいわね。」
「何かあったのですか?」
「次の日、私が彼から聞いた場所に行くと、そこには何も無かったの。」
「誰かに先を越されたと言う事ですか?」
「恐らくそうだと思う。
私がもたもたしていたばかりに、彼が命懸けで守ろうとしていた物を、見す見す何者かに奪われてしまった。」
「何て事だ!その装置さえあれば、少なくとも"death sower"と対峙出来たかもしれないのに。・・・!?」
考えるよりも先に、つい口から出た言葉で、僕は激しい自己嫌悪に陥った。
今の言葉は先生に対してでは無く、奪った相手に向けたものだと取り繕おうとしたが、時すでに遅かった。
先生の顔を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ごめんなさい。全部私のせいなの。」
「今の言葉は違うんです。なにも先生のせいじゃありません。だから謝らないで下さい。」
普段の自信に満ちた先生が別人の様にしおらしくなり、僕は申し訳ない気持ちで一杯になった。
悪気は無かったからと幾ら言い訳しても、先生を傷付けた事には変わりない。
暫くの沈黙が流れた。
事態を打開する様な妙案も浮かばず、お互いに視線は自然と下の方に向いていた。
突然、桃恵先生は顔を上げ、僕に視線を向けた。
その目には微かだが、光が戻った様に感じた。
「もしかしたら・・・。これには確証は無いんだけど、"death sower"に干渉出来るかは兎も角、姿を視認する事は可能なのかもしれない。
思い出してみて。『勇者アレンの冒険』の中で、アレンは大空家とは血の繋がりが無いにも関わらず、ゴーストに近い存在でもある"death sower"の姿をはっきりと見ている。
もし、別世界から来た人間にもゴーストだけじゃ無く、"death sower"が見えるんだったら、私やあなたにもその姿が見える筈よ。
だけど、アレンだけには見えてた。私達とアレンとの違いは、生身の人間であるか、霊体であるか。」
「ですが、死んだからと言って、絶対に霊体になれる保証はありません。
この命を差し出して、確実に七海さんが助かるのならば躊躇はしません。
だけど、何の確証も無いのに、これは余りにもリスクが高過ぎます。」
「何も私は、あなたに絶対に死なないといけないと言ってる訳じゃ無いの。
前にあなたに話した事、覚えてるかしら。
あなたと安里君が教室で入れ替わった時、私はその様子をある装置を使って、霊体となった状態で見てたって話。」
「・・・。そうか!つまり、その装置を使って霊体の状態になれば、"death sower"と対峙する事も叶うかもしれなって事ですね!」




