60話 Cecil
僕は意識を失った七海さんを背負い、なりふり構わず、診療所を目指して走った。
遠くの方では相変わらず雷鳴が轟いている。
ぽつりぽつりと雨が降り始めた頃、ようやく目的の診療所に辿り着いた。
診療所の扉は閉まっており、僕は必死になって扉を叩き、力の限り叫んだ。
「お願いです!どなたか居ませんか!」
すると、中から白い髭を蓄えた初老の医師が出て来た。
「一体どうしたと言うんじゃ。」
「彼女が急に倒れて、僕もどうしたら良いか分からずに、それで・・それで・・・」
「いずれにしても、ここにある設備では彼女が倒れた原因を調べる事が出来んのじゃ。
大きな病院で診て貰わん事には何とも言えんからのう。すまんが、儂には救急車が来るまでの応急処置しかしてやれんのじゃ。」
「彼女が意識を取り戻すのであれば何でも構いません!お願いです!必ず助けて下さい!」
僕は医師に七海さんを託し、待合室で救急車の到着を待った。
どうしてこんな事になったんだろう。
思い返してみると、ここに来るまでの七海さんはずっと何かに怯えていた様に思えた。
だけど、それが何なのか皆目見当もつかない。
妹さんの様子を見てあげってと僕に頼んだ意味は、こうなる事を既に知っていたからでは無いだろうか。
そう考えた瞬間、彼女の意識が戻らないかもしれないと言う恐怖が膨れ上がった。
彼女を助ける為に僕に出来る事は何一つ無い。
僕は何て無力なんだ・・・。
救急車が到着すると、診療所から少し離れた大きな病院に彼女は担ぎ込まれた。
僕は慌ただしくICUに入って行く彼女の姿を見送る事しか出来なかった。
僕はこんな時、どうすれば良いか分からず、桃恵先生に電話をし、助言を求めた。
桃恵先生も七海さんが突然意識を失った事に驚きを隠せない様子だった。
そして、ご家族に連絡をしなければと言ったので、これまでの一連の状況を知る僕がその役を買って出る事にした。
僕は七海さんがこんな状況だから、ヴァリア城訪問を延期したいと話し、桃恵先生もその意見に快諾し、電話を切った。
院内の公衆電話の前に立ち、僕は途方に暮れていた。
彼女の家族に何て説明をしたら良いだろうか。
考えが纏まらない中、意を決して番号を押した。
呼び出し音の後に、彼女の母親と思しき女性の声が聞こえた。
「夕飯の準備で忙しって言うのに誰なの?」
「僕は七海さんと同級生のセシルと申します。」
「あの子の同級生が一体何の用なの?」
「実は、先程七海さんが突然意識を失いまして、今、〇〇病院で治療を受けています。」
「そんな下らない事でこんな忙しい時間に電話したの?
あの死に損ないの悪運もここで尽きるのね。あの子が死ぬと、両親の遺産もこれで私に・・・」
何を言っているんだこの人は。
例え冗談にしても度が過ぎている。
「今七海さんは大変危険な状態にあるんです!それなのに、あなたはよくそんな事を言ってられますね!」
「何なのあなた!私に説教する気?忙しんだからもう切るわね!」
ガチャンと受話器を叩き付ける音と共に電話は切れた。
堪らなく悔しさと怒りが込み上げて来た。
血の繋がりが無いからと言ってここまで非情になれるのか。
こんな継母が居る家に引き取られ、学校では他の生徒から疎まれ、彼女はどんなに苦しかっただろうか。
彼女の胸に深く刻み込まれた、唯一、救いの手を差し伸べた友人を死に追いやってしまった事への罪悪感、自責の念はこれから先も決して消える事が無いのだろうか。
彼女が抱え込んでいる苦しみは想像を絶する物だ。
これまで苦しんだ分、これからは誰よりも幸せな人生を歩んで欲しい。
絶対にこんな所で、死なせる訳にはいかない。
ICUから出た彼女はそのまま病室のベッドへ運ばれた。
医師に彼女の容態を確認したが、倒れた原因も不明で、いつ目を覚ますのか見当が付かないとの言われた。
直ぐに目を覚ますかもしれないし、このままの状態がずっと続くかもしれないと。
僕は医師の説明に愕然とし、何度も何度も彼女の目を覚ましてくれと懇願した。
医師は憐れみに似た表情ですまないとだけ言った。
暗闇が広がる病室を、心電図の明かりが照らしていた。
僕は彼女の手を握った。
しかし、昼間の彼女の温もりは失われ、冷たさが僕の手を伝った。
「神様、もし僕の声が届いているなら、僕はどうなっても構いません。
だから、お願いです。七海さんを救って下さい。あの時、言えなかった言葉を伝えたい。
僕もあなたの事が大好きですと。」
その晩、僕は彼女に付き添い、一睡も出来ないまま、気が付くと夜が明けていた。
朝になっても、彼女を救う手立てが無いか、ずっと考えていると、不意に病室の扉をノックする音が聞こえた。
扉の先に居たのは桃恵先生だった。
七海さんの事が心配で、病院に駆け付けてくれたのだ。
僕は思わず桃恵先生に弱音を吐いてしまった。
彼女を守ると約束しながら、見守る事しか出来ない。こんな人間が勇者だ何てお笑い種だ。
桃恵先生は口を挟む事無く、僕の話を最後まで聞いてくれた。
そして、話を聞き終えた先生は僕に向かって言った。
「七海さんは生きている。だから、必ず近い内に目を覚ますわ。彼方は自分を責めないで、そして、彼女が目覚無いかも何て悪い想像はしないで。
これから先、きっとあなたがすべき事、あなたにしか出来ない事が見つかる筈だから。
それが他の人とは違う、特別な勇者なんだから。」
「僕は無力で、特別でも何でも無いんです。」
「あなたがどう思っていようが、きっとこれから先、勇者としての大きな試練が目の前に立ちはだかる。」
「試練・・・ですか?」
「そう。そして、その時は私の言葉を思いだして。
あなたは今まで、周りの期待を一身に背負い、多くの人々の為に戦って来た。
だけど、そろそろ自分の心に従ってみるのも良いんじゃないかしら。
それが、例え人から批判される事であっても、大切な人を優先する道を選ぶあなたを誰も責める権利は無い。
あなたには、かつての私の様に、身分の違いを乗り越えられず、世を忍ぶ恋の果てに大切な人を失う様な愚かな道は辿らないで欲しい。」
「それは、つまりどう言う事ですか?」
「今はどんなに説明しても分からないと思うから、その時が来たら今の言葉を思い出して頂戴。
それと、これは私が大切にしているお守り。きっと何時かあなたの役に立つと思うわ。」
桃恵先生は鞄の中から星形の何かを取り出し、僕に持たせた。
そして、桃恵先生は七海さんの様子は自分が見ておくからと、僕に一旦家に帰って休む様に言った。
僕は七海さんが心配だから目を覚ますまでここに居ると言ったが、居たからと言って彼女が目を訳じゃないと言われ、渋々一旦家へと帰る事にした。
家に帰ったものの、七海さんの事が気掛かりで、全く落ち着く事が出来なかった。
ふと、昨日家を出る前に机に広げていた勇者アレンの冒険の原稿が目に留まった。
どう言う事だ・・・!?
原稿の空白部分に、あの時と同じく、不可解な現象が起こった。
"彼女はdeath sowerに取り憑かれている
急ぐんだ!このままでは、命を奪われる事になるぞ"




