6話 Cecil
セシルは周囲の景色が一変したのを感じた。
目の前に居た筈の魔王が姿を消し、変わりにそこには、初めて見る少女が瞳を閉じて佇んでいる。思わず振り上げていた剣を下ろす。周囲を見回すが、そこには初めて見る風景が広がっていた。沢山の机や椅子が規則正しく並ぶ、見た事も無い不思議な建造物。
僕は魔王を追い詰めて、止めを刺す所だったはず。なのに、今僕の目の前に居るのは、見覚えの無い華奢な少女。アリシアとイワンの姿も見当たらない。
目の前に立つ少女がそっと目を開けた。僕はその大きく澄んだ瞳に思わず声を失った。
少女は困惑の表情を浮かべ、部屋全体を見回した。
「あなた翔?じゃないよね?」
「僕は名をセシルと申します」
「そ、そうよね。翔じゃないよね。ここで髪の毛を逆立てた男の子を見ませんでした?」
「見てません。それより、魔王はどこに行ったんですか?早く止めを刺さないと、大変な事になります!」
「えっ、まおう?」
彼女は首をかしげて、おもむろに下を向いた。
「キャーーー」
「どうしたのですか?」
「あ、あなたが手に持ってるもの・・・」
彼女は僕が手にしている剣に向かって指を差した。
「あ~。これの事ですか?これは父さんの形見でブレイブソードと言います。古代人達が悪しき魔物を倒すために数百年以上太陽の光を当てて・・・」
「そんな剣の由来なんかどうでもいいんです!」
「血、血が付いてる!あなた、もしかして・・・それで翔を殺したんじゃ・・・」
気が動転した彼女は頭を押さえ、ふらつきながら、傍らの机に手を突き、辛うじて体を支えている。
「大丈夫ですか?気分が悪いんですか?」
僕が差し出した手を、彼女は強く振り払った。
「私の目を見て正直に答えて!あなたは翔をどうしたの?」
「僕はその方と面識がありません。ですから、あなたが恐れている様な事は、何一つしてません」
翔というのは恐らく、彼女にとって特別な人なのだろう。どうしてここへ居るのかは説明出来ないが、翔と言う人に危害を加えていない事は確かだ。
「だったら、さっきまで目の前に居たのに、翔はどこに行ったの?」
「残念ながら、僕には分かりません。何しろ僕自身が、どうしてここに居るのか分からないのですから」
陽菜は慌てて鞄から携帯電話を取り出し、アドレス帳から安里翔の番号を探した。
『お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません』
電話を切った陽菜は首を傾げる。それからもう一度電話を掛けるも、結果は先程と同じだった。溜め息をつく。
「よく見ると、あなたの服装。西洋史の中から飛び出して来たみたい。金髪の長い髪も、青い瞳も西洋史そのものだわ」
「西洋史とは何なんですか?」
「う~ん。合ってるか分かんないけど、ヨーロッパ諸国の歴史かな?」
「ヨーロッパ・・・。初めて聞く名称です。そもそも、ここから魔王城へ行くにはどうしたらいいんでしょうか?」
「さっきからあなたが言ってるまおうとかまおう城って一体何なの?」
「驚きました。あなたは魔王を知らないのですか。幼子でもその名を聞けば縮み上がるというのに。僕はあなたが魔王を知らずに、その年齢まで生きて来れたのが、不思議でなりません」
「も~、馬鹿にしないでよ!私が知らないんだから、他のみんなだってきっと知らないはずよ!」
「では、魔物の存在もご存じない無いのですか?」
「見た事も聞いた事も無いわ」
彼女が嘘をついている様には見えない。しかし、その年頃で、魔王も魔物も知らぬ人間など初めてだ。
それに、この部屋にしても、僕が見た事も無いモノで溢れている。
ここがどこなのか、何か手掛かりになりそうなモノはないだろうか。
「そうだ。今日はアンジェロ歴何年のいつなのか教えて頂けませんか?」
「アンジェロ歴ってどこの歴なの、そんなの初めて聞いたわ」
僕は彼女の言葉に愕然とした。この場所に立った時から違和感は感じていたが、そんな訳はないと心のどこかで、その疑念を打ち消していた。突き付けられた現実を前にしても、いまいち実感が湧かない。それこそ、夢物語ではなかろうか。荒唐無稽な考えではあるが、もはや、その可能性を疑う余地はない。
「信じられないかもしれませんが、僕は・・・」
「別の世界から来たって言うんじゃないでしょうね~」
「えっ」
「そんなの今時の小学生だって言わないわよ」
「しかしですね、これらの状況を鑑みると、そうとしか説明が出来ないのです」
「だったら何か別の世界から来たって証拠見せてよ~」
「これはあまり他人に見せるものではないのですが・・・」
セシルは国王から賜った勲章を、彼女に示した。
「これは世界に一つだけしか存在しない代物で、国王が直々にデザインをして下さいました。
勇者の象徴である、剣と盾、それらを模しており、この勲章は唯一無二であるが故に、僕が国王が認めた勇者である事も同時に証明するものでもあります」
「こんなの近所の雑貨屋にいくらでも置いてあるわ」
彼女の言葉に唖然とした。この勲章を持つのが、どんなに名誉な事か。勲章をひとたび示せば、如何なる悪人も畏怖の念を抱くのだ。
「はい、返すわ」
思わず目を疑った。彼女は僕の大切な勲章を投げて返して来たのだ。丁重に恭しく返してもらえると信じて疑わなかった僕は、その様なぞんざいな返され方を全く予想しおらず、危うく大切な勲章を、手から滑り落としそうになった。
「これで信じてくれましたか?」
「う~ん。熱意は伝わったし、信じてみようかな~。私、これでも人を見る目があるから、あなたが嘘つきじゃないって事はよく分かるわ。翔が目の前から急に居なくなったのも、超常現象としか思えないし、俄かに信じられない不思議な事がきっと起こったんだって思う事にするわ」
「ありがとう御座います。あと、これは僕の憶測なのですが・・・」
「憶測でもいいから教えて」
「僕と翔さんはお互いの世界を飛び越えて入れ替わったのかもしれません」
「だったら翔はどうなるの?あなたは魔王って人と戦ってる最中だったんでしょう?そんな危険な場所に、何の事情も知らない丸腰の翔が行ったら殺さ・・・・」
彼女はこれ以上先の言葉を口にするのを憚った。目を潤ませ、口元を抑えている。
「きっと大丈夫です。あちらの世界には僕の頼もしい仲間達も居ます。彼等がきっと翔さんを保護してくれるでしょう
あまりにも楽観的過ぎたかもしれない。しかし、それ以上に、彼女の苦しむ姿を見たくないという思いが強く働いたのだ。
上手くいけばアリシアのワープの魔法で、魔王城から脱する事が出来るかもしれない。今はその可能性に期待するより外ない。
「そうよね!きっと大丈夫だよね!」
彼女は努めて悪い考えを払拭しようとしている様に見えた。それが、堪らなく痛々しくて見るに堪えない。
「私閃いちゃった!」
彼女の目が、光を取り戻し、輝きを放った。
「何をですか?」
「あなたを元の世界に戻す事が出来たら、翔はきっと、この世界に戻って来れるかもしれない」
「そうか・・・。そうなのかもしれません」
「きっとそうだよ~。私、あなたが元の世界に戻る方法、頑張って探すから、あなたもお願いだから、それに協力してちょうだい」
「勿論です」
「ありがとう。今更だけど、私の名前は相川陽菜。よろしくね~」
「僕の名前は、セシルです。ええと・・・何とお呼びしたらよいでしょうか」
「陽菜でいいよ」
「それでは、陽菜さん。小生、若輩者では御座いますが、何卒よろしくお願い致します」
「フフフ。セシルくんって変わってるね~。見るからに中世の騎士って感じなのに、喋り方は散切り頭の侍みたい」
陽菜さんの笑顔を初めて見た。先行きの見えない暗闇の中で、彼女の笑顔が僕の心の中に優しく温かい光を灯した。