59話 Cecil
電車に飛び乗ると、扉付近のロングシートの端の座席に、丁度二人分のスペースが空いていた。
僕は七海さんに席に座って下さいと勧めた。
そして、七海さんが座席に座るのを見届け、隣のスタンションポールの方へ移動した。
扉の方に体を向け、ポールを軽く握って電車が動き出すのを待っていると、シャツの袖に微かな力を感じた。
力を感じた場所に目を向けると、七海さんが俯きながら、僕の袖を軽く引っ張っていたのだ。
「ねえ、セシル君も隣に座って。」
「ですが、僕が座ると七海さんが窮屈な思いをする事になると思います。僕はこのまま隣に立っているので、どうぞお気になさらないで下さい。」
「嫌。セシル君も座って。だったらセシル君が座れる様になるまで私も立つから。」
「そう言う訳には行きません。分かりました。では一緒に座りましょう。」
僕は七海さんの隣に腰を下ろした。
肩と肩が触れ合う程の近距離に七海さんの顔がある事で、恥ずかしさから僕は真横を見る事が出来ず、体が岩の様に硬くなってしまった。
昨日の晩あんなに、デートで何を話そうか頭の中で何度もシミュレーションした筈なのに、今、僕の頭の中は真っ白だ。
そうこうしている間に、多くの駅を越え、車両には僕と七海さんだけになっていた。
「セシル君、何だか辛そうだね。あなたの優しさに、ついつい甘えちゃって、今日は強引に付き合わせたりしてごめんなさい。」
「何を言ってるんですか。僕も七海さんと、こうして一緒に休日を過ごしたいと思っていたんです。
決して強引何かじゃありません。いつか、こんな日を過ごしたいとずっと考えていた程ですから。」
「ふふふ。」
「すみません。僕、また何か可笑しな事を口走ってしまいましたか?」
「違うの。私もよく周りから固いっていわれるけど、セシル君も同じだなって思っちゃって。」
「そうでしたか。それでしたら、これからはお互いもっと肩の力を抜く事にしましょう。」
「ふふふ。そうね。」
トンネルを抜け、背中から陽の光を受けた七海さんの微笑みが眩しく、とても輝いて見えた。
その微笑をこの瞬間だけでも独占出来ている事が、何にも代え難い、とても贅沢な事に思え、気が付くと、自然と僕の顔も笑顔になっていた。
いつもそうだ。七海さんと一緒に居ると僕の心は温かくなる。
彼女にはいつも笑顔で居て欲しい。その為に僕に出来る事は何でもする。
電車内に終点を告げるアナウンスが鳴り響き、電車は速度を落として、ゆっくりと停車した。
僕は七海さんより一足先に立ち上がった。
「さあ、行きましょうか。」
まだ座ったままだった七海さんの前にそっと手を差し伸べた。
一瞬戸惑いがあった様に見えたが、次の瞬間、笑顔で七海さんは僕の手を握った。
駅構内の食堂で昼食を済ませ、改札を出ると、外はどんよりとした曇り空へと変わり、雨はまだ降っていないものの、遠くの方で、雷鳴が轟いていた。
七海さんが目指していた海岸は、駅から然程離れていない為、急げば雨が降る前に行って戻って来れるかもしれない。
「あの日も雷が鳴ってた・・・。だから、今日って事なの・・・?」
七海さんが何か呟いた様に見えたが、雷の音に掻き消されて聞き取る事が出来なかった。
僕が幾ら聞き返しても七海さんは、何でも無いと言うばかりだった。
何でも無いって言うのが嘘だって事は、鈍感なこの僕でさえ感付いていた。
彼女は気付いていない様だが、僕の手を握る力が強くなっていたからだ。
それに何でも無いと言った時のその笑顔が、顔は笑っているが、さっきとは違って瞳の奥に恐怖を宿している様に感じたからだ。
だからと言って、七海さんが頑なに口を閉ざすのであっては、僕はこれ以上の追及は出来ない。
「雨が降りそうなので、海まで急ぎましょう。」
「待って!」
七海さんは先へ急ごうとする僕の手を引いて言った。
「どうしたんですか。急がないと、もう直ぐ、こちらも雷雨になりそうです。」
俯いていた七海さんは顔を上げ、先刻までの恐怖を押し殺して、強い覚悟を持った瞳で僕を見据えた。
「その前にお願いがあるの。
前に少しお話したけど、私の今の家の両親は本当の親じゃ無いの。
両親を事故で亡くした私を引き取ってくれたのは、お母さんの弟である叔父さん夫婦。
叔父さんと今の奥さんは再婚で、前の奥さんとの間に、萌ちゃんって言う連れ子の小学生の女の子が居るの。
いつかは元の世界に帰らなきゃいけないセシル君にこんな事頼むのもどうかしてるって思うかもしれない。
だけど、お願い。私が頼れるのはあなただけしか居ないから。
時々でも良いから、妹の萌ちゃんの様子を見てあげて。」
「七海さんが待ち合わせの時に言おうとしていたのはこの事だったんですね?」
「えっ?・・・。う、うん。実はそうなの。約束してくれる。」
「分かりました。では今度は僕と七海さんと萌ちゃんと三人で一緒に遊びましょう。」
「・・・そうね。ありがとうセシル君。」
「お安い御用です。そうと決まれば、海まで急ぎましょう。」
「ありがとう。本当にありがとう。」
どうして七海さんは、些細だと思える約束をこんなに焦っていたのだろうか。
海に行く約束をして以来、時折見せる悲し気な表情も何だか心に引っ掛かる。
海に着くと、天候のせいもあってか、どこを探しても人っ子一人見当たらなかった。
薄暗い空の下、波は荒れ、それはまるで、何もかもを呑み込んでしまいそうな恐怖を覚える程だった。
七海さんは徐に、砂浜に落ちていた貝殻を一つ拾い上げた。
「いつも夢の中で見る海は、雲一つない青空で、波はとても穏やかで、遠くの方には小さな島が見えて、水面には小舟が浮かんでるの。
私はそこで、裸足で砂浜の上を歩いて、波打ち際に落ちてる貝殻を拾ってるの。
遠くの方ではお父さんとお母さんが肩を寄せ合って、優しい目で私を見守ってくれてる。
私が両手に沢山の貝殻を持ちながら手を振ると、二人共、笑顔で手を振り返してくれる。
私は二人が居る事に安心して、また貝殻を探すの。そして一際大きくて綺麗な貝殻を見つけて、お母さんにプレゼントしようと思って振り返ると、もうそこには誰も居ないの。
私は必死になって二人を探すんだけど見つからない。そこで、いつも目が覚めるの。
一瞬、二人が居なくなったのが夢だって分かって安心するんだけど、現実にも居ないんだ。もう二度と会えないんだって事に気付いて止め処なく涙が出るの。
きっといつかあなたもこの世界から居なくなって元の世界に戻ってしまう。
だから・・・。
だからせめて、その日が訪れるまでは信じさせて。振り向いた先には、あなたが居るんだって。」
「ええ。僕は絶対に七海さんを悲しませたりしません。信じて下さい。」
「ありがとう。セシル君。
私、本当はね、とっても泣き虫で、弱い人間なの。だからね、こんな自分が堪らなく嫌い。
周りには弱い所を見せたく無いから、ついつい強がりを言っちゃったりするの。
だからと言って、現実を素直に受け入れて、それを乗り越えられる程の強さも無いから本当呆れちゃうよね。
自分のせいで親友を亡くしたあの日から、あなたと陽菜ちゃんと出会うまで、過去に囚われたまま、そこから一歩も踏み出せずに居た。
人と関わるのが恐くて自分から人を遠ざけて来た。だけど本当はずっと一人が寂しかったんだよ。馬鹿みたいでしょ?
自分をちゃんと見てくれている人が居るって、こんなに嬉しい事なんだね。
あなた達と一緒に過ごした時間は、寂しいモノクロだった私の世界に彩りを与えてくれた。
こう見えても、二人と居て、とっても、とーっても楽しかったんだよ。」
七海さんの頬を一筋の涙が伝った。
「お願い。今だけは何も聞かずに、私を強く抱きしめて。」
僕は七海さんの背中に手を廻し強く抱きしめた。
感情を表に出さず、人一倍愛情表現が苦手で、不器用で、その小さく細い身体に余りにも多くの悲しみを背負う彼女が堪らなく愛おしく思えた。
「セシル君ありがとう。大好き・・・・・・」
次の瞬間。僕の背中に手を廻す七海さんの腕がだらんと垂れ下がり、全身から力が抜けたのを感じた。
「七海さん・・・?」
「・・・・・・」
嫌な予感がする。
「七海さん!どうしたんですか!返事をして下さい!」
幾ら呼び掛けても返事が無い。
幸い微かだけど呼吸はある。
そうだ!駅からの道中に診療所があった。
何故だかそれを鮮明に覚えている。
急がなければ。
"物語はまだ終わらない・・・
取り返しが付かなくなる前に、この呪われた連鎖を断ち切ってくれ・・・"




