56話 Cecil
僕はこの原稿を一読しただけでは何か見落としがあるかもしれないと思い、七海さんに暫くの間貸して貰えないかとお願いした。
七海さんはこれに、快く応じてくれた。
明日はこの場に居ない桃恵先生にも原稿を読んで貰って意見を聞こう。
僕達はそれぞれの思いを胸に家路についた。
家に着き、僕は部屋の照明を点けた。
賑やかな一茂さんが消えてしまい、家の中で過ごす時間は寂しいものになっていた。
僅かではあったが、彼と共に過ごした日々を思い出し、彼の平穏を奪ってしまった事への罪悪感が不意に胸を襲った。
現実から少し目を逸らそうと書斎に入り、貸りた原稿を広げたその時、僕の携帯電話が鳴った。
この携帯電話は何かあった時の為にと、先日桃恵先生が持たせてくれた物で、番号を知るのは、桃恵先生、七海さん、陽菜さんの三人だけだった。
画面には七海さんと表示されていた。
普段は携帯を使わないと話した七海さんに、半ば強引に陽菜さんが、僕達二人の番号交換をさせたのだ。
僕は陽菜さんから教えて貰った通り電話を取った。
「ごめんなさい。こんな遅い時間に電話なんかしちゃって。」
「いえ、いいんですよ。それより七海さん。僕の思い過ごしなら良いんですが、少し元気が無いみたいですけど、別れた後に何かあったんですか?」
「・・・気遣ってくれてありがとう。・・・あのね。・・・ううん、何でも無い。」
「そうですか。それなら良いんですが。」
「・・・お願いがあるの。次の日曜日は何か予定はありますか?」
「特に何もありませんが、急にどうしてですか?」
「・・・一緒に、・・・二人だけで行ってみたいとこがあるの。今が大変な時だって事は分かってる。だけどお願い!これが私の最初で最後のお願いだから!」
「そんな大袈裟ですよ。僕なんかで良ければ何時でもお付き合いしますから。」
「ありがとう。電話したのはその事だったの。それじゃ、お休みなさい。」
そう言って七海さんは早々と電話を切った。
電話越しで表情は汲み取れなかったが、その声だけでも切羽詰まった様子が伝わって来た。
だけどこの時の僕は、七海さんとの旅行が楽しみで、嬉しくて、彼女の沈んだ様子については何も考えていなかった。
どうしてこの時、彼女に嫌われてでも、強引に不安に思っている事をちゃんと聞かなかったんだろうか。
自惚れかもしれないが、もしちゃんと聞いていれば、こんな未来は変えられていたかもしれない・・・
次の日、僕は化学室に居た桃恵先生に、七海さんから預かった原稿を見て貰った。
先生も僕と同じくこの原稿の内容は勿論だが、それよりも、突如現れ消えた一文が気になる様だった。
"物語はまだ終わらない・・・
取り返しが付かなくなる前に、この呪われた連鎖を断ち切ってくれ・・・"
それは、その言葉通りこれから良からぬ何かが起こるだろう事を示唆しているとしか思えない。
誰が原稿を通して僕達に危険が迫っている事を伝えようとしてくれているのか。
そして、呪われた連鎖とは一体何なのか。
どうすればそれを断ち切る事が出来るのか。
「分からない事が多過ぎて、どこから手を付けたら良いのか・・・」
桃恵先生は原稿を閉じると、真剣な表情で僕の目を見た。
その目からは大きな覚悟が伝わって来た。
「この話をするには、私が誰なのかをちゃんと話さないといけないわね。
あなたは今もこうして私に有力な情報を包み隠さず教えてくれる。
そして、私が触れられたく無い事に対しては無理に追及せず、剰えこんな私を信じると言ってくれた。
だから私もそんなあなたの誠意に応えなくちゃいけないと思ったから話すの。
出来ればこの話はあなたの胸の内にしまって欲しい。だけど、あなたが話す必要性があると判断した時には強制はしないわ。」
桃恵先生は首から掛けたペンダントを握り締め、僕の反応を待っている。
「分かりました。例えそれがどんな事であろうと、軽率な判断はしません。」
「あなたは誰よりも冷静に状況を見極め、正しい判断が出来るって信じてるわ。
これからする話は他の誰にも話た事が無いの。そして、今後も誰にも話す気は無かったの。」
桃恵先生が僕の事を高く評価してくれ、信じてくれていると知り、最早桃恵先生に対しての疑念など消え去った。
どんな話が飛び出しても、それを受け入れる準備は出来ている。
しかし、桃恵先生の告白は僕の大方の予想を遥かに超えた、余りにも突拍子もないものだった。
「私はね、セシル君。あなたと同じ、別の世界の人間。そして、この世界の管理者としての能力を一部受け継いでるの。」
最初、桃恵先生が言った言葉の意味を呑み込めなかった。
別の世界の人間?管理者?
混乱している僕を余所に、先生は話を続けた。
「昨日私があなた達と別れる前に電話してたの憶えてる?」
電話の事よりも、桃恵先生が事も無げに言ったあの言葉の意味を問いたい。
しかし、桃恵先生はその隙を一切与えてくれない。
「実はね、セシル君。あなたからANOTHER WORLD STORIESの事を聞いてから、友人に映画の事を色々調べて貰ってたの。
そこで、一つ気になる事があったの。映画の撮影場所に使われた勇者一行が向かう目的地。つまり、魔王の住むお城。
信じられないかもしれないけど、この世界に来る前に私、それと全く同じ造りで全く同じ名前のお城に連れ去られた経験があるの。
とても偶然とは思えない。そこに行けば何か分かるかもしれないわ。
そうだった、お城の名前はヴァリア城・・・」




