47話 Cecil
僕は恐る恐る次のページを捲った。
「ごめんなさい。この次のページは欠けてるの。家中何処を探しても見つからなかった。」
七海さんが申し訳無さそうに言った。
「僕は大丈夫ですから。そんな悲し気な顔しないで下さい。」
僕は欠けたページは諦めて先を読み進める事にした。
"勇者アレンは無念の内に命を落とす事となった。
何も成し得る事の出来なかった自らを責め、現世への未練を強く持つ事となった。故郷に残した息子の事も心配だった。
その強い思いから、アレンは成仏する事が出来ず、霊体となって現世を彷徨う事となった。
霊体となって初めて、この世界には何らかの未練を持ち、自らと同じく成仏出来ず、霊体となった人間が存在するのだと知った。
アレンは霊体となって初めて、友と呼べる男とも出会えた。
しかし、この出会いがアレンの人生に大きな影を落とす事となる。
日に日に男は人として生きていた頃の記憶を失って行った。娘を持つ父親であったその男は、最愛の妻と娘の記憶さえも失って行った。
全ての記憶を失い、最後に残されたのは、生きている人間の魂を喰らう、ゴーストの生存本能だけだった。
霊体は人の目から見る事は滅多に叶わないが、ゴーストへと成り果てた霊体は、人の目からもはっきりと視認される。
男はゴーストになるまでは毎日、妻と娘が住む家を訪れ、二人を見守っていた。
その習慣だけは体に刻まれていたのか、理性を失い、真っ先に向かったのは二人の暮らす家だった。
そこで男は、恐怖に怯える娘の魂を喰らった。
娘の魂を喰らった後、男は一瞬我に返り、激しい後悔から涙を流し、咆哮を上げた。
男の叫びを聞いて駆け付けたアレンはその光景を目の当たりにし絶望した。
今まで自分が倒して来たゴーストは、強い意志を持った人間の成れの果てであったと。
そして、いつか自分も彼等と同じ様に自我を失い、人を喰らうゴーストへと変わり果ててしまうのだと、大きな恐怖を覚えた。
男は薄れ行く意識の中で、友として、アレンに自らを完全に消滅させてくれる様に懇願した。"
父さんは死後も、勇者としての重責を果たせなかった苦悩を感じ続けていたに違いない。
この話が事実なら、父さんは死して尚、苦しい決断を迫られたんだ。
醜悪な存在として、これまで敵と見なし、何の躊躇いも無く倒して来たゴーストが、元は人間だった何て信じられない。信じたくない。
"ゴーストとは、そもそも人が生きる世界に於いてはイレギュラーな存在である。
その不安定な存在であるが故に、稀に世界を飛び越えてしまう事もある。
アレンもまた、意図せずに世界を飛び越たその一人であった。
そこでアレンはゴーストに襲われていた一人の少年の命を助けた。
アレンはその少年と、ある約束を交わし、全てを託す事に決めた。
少年との別れ際、彼は最後にこう付け加えた。
この世界と私の居た世界とでは、どうやら時間の流れが違う様だ。
いつか、息子がここまで辿り着いた時には、すまなかったと伝えてくれないか。"
父さんは過去に霊体となってこの世界に辿り着いたのか?もしかして、今もまだこの世界に居るのでは?
もしそうだとしたら、霊体でも良いから会いたい。
「ここから先、またページが飛んでる。」
「そうなの。この先も見つからなくて、次が最後のページ。」
"あの時の少年は歳を重ね、老齢の映画監督となっていた。
そんなある日、彼を病が襲った。
病に侵された彼は床に臥せ、来る日も来る日も、アレンと交わした約束の事ばかりを考える様になっていた。
そして彼は、死の間際まで考えに考え抜いた末に、こう結論付けた。
あの日の彼との約束を果たせたかどうかについての判断は、後世の人に委ねるとしよう。
そ・・・"
物語はどうやら、ここまでしか描かれていない様だ。
僕には少し考える時間が必要だった。
これまでの物語の内容と、現実に起こった出来事とが余りにも多くリンクしている。
その時、不意に原稿が熱を帯びた。
「キャーーー!何なのこれ?」
陽菜さんが両手を顔で覆いながら叫び声を上げた。
七海さんは陽菜さんの様に叫びはしないにしても、その表情からは恐怖が伝わって来た。
それは一瞬の出来事だった。
突然、原稿の余白部分から文章が浮かび上がったのだ。
"そう思った時、思い掛けない人物が彼の目の前に現れた。
それは勇者アレンだった。
昔と変わらぬその姿を見て、彼は涙を流した。
アレンは年老いた彼の手をそっと握り、優しく語り掛けた。
『久し振りだな。まさか、君がこんな最期を迎えるとは思わなかった。
すまない。私には君の上に居る"アレ"をどうする事も出来ないんだ。
今まで散々苦労を掛けたのに、最後まで何もしてやれなくて本当にすまない。』
『何を言うておる。そなたが、少年時代の儂を、ゴーストから救ってくれなければ、あの時に儂の人生は終焉を迎えていたんじゃ。
この歳まで生きられ、孫の顔を見るなんて事も叶わんかったじゃろう。十分幸せな人生じゃったよ。』
『君にそう言って貰えると、罪深いこの私も救われる。本当にありがとう。』
『儂はあの日のそなたとの約束をちゃんと果たせたかのう?』
『ああ。君は十分過ぎる程よくやってくれた。』
『それは良かった。』
彼は少年時代と同じ、晴れ渡る青空の様な笑顔を浮かべ、そっと目を閉じた。
アレンはその魂を失った亡骸に向かって、何度も何度もすまないと言い泣き縋った。"
突如出現した文章はここで終わった。
これが、勇者アレンの物語の全てなのだろうか。
物語の終わりの方に登場した、七海さんに恐怖を与え続ける"アレ"の事も気になる。
それにしても、この物語。余りにも悲し過ぎる・・・
原稿を七海さんに返そうとしたその時。
今度は、先程現れた文章とは違い、悲痛な想いを訴える様な文字が突如浮かび上がった。
"物語はまだ終わらない・・・
取り返しが付かなくなる前に、この呪われた連鎖を断ち切ってくれ・・・"
それから数秒後、余白に浮かび上がっていた文字の全てが、何事も無かったかの様に一瞬にして、跡形も無く消え去った。
僕達三人はお互いの顔を見合わせ、混乱状態の中、誰も声を発する事が出来なかった。
最初に口を開いたのは陽菜さんだった。
「今のは一体何だったんだろう?」
「何が何だか・・・。七海さん、この原稿には何か特別な仕掛けがあったんですか?」
「分からない。こんなの初めてだから。」
この不思議な現象を僕達三人の内、誰一人として説明する事が出来なかった。
やはり、勇者アレンの冒険の内容全てが、七海さんのおじいさんの頭の中で生み出された空想の産物とは思えない。
それに急に出現した文字は一体誰が記して、僕達に何を伝えようとしていたのだろうか・・・